700件かそこらのクリニックに電話し続けて、今思うのは、わたしたちは医療を味方につけることなどできるのかということだ。
医療事故から遺伝子治療まで、医療への批判は新聞やTVなどでもおなじみのネタだ。女性の立場からも、医療者と対等な関係を築き、もっと上手につきあっていきましょうと提案されたりする。
みんな、よりよい医療を求めていて、よりよい消費者になりたい、らしい。誰もが声を揃えてそう言うけれど、んー、そうかなあ。わたしはフーサンのエッセイのほうがずっと共感できるけど。
日本の女性が、中絶という選択肢を得たのは、1948年に制定された優生保護法からだといわれる。これはその2年ほど前の話。
敗戦後、ピョンヤンから難民キャンプでの収容生活を経て、博多港にたどり着いた引揚者は、検疫所での手続きを受けた。そこでは、男・子ども・高齢者と、それ以外の女性に振り分けられた。なぜなら、女性の引揚者のなかには、強姦され妊娠していた女性が少なくなかったからだ。
トラックがやってきて、連日のように彼女たちを施設に運び、手術が行われた。当時の中絶は堕胎罪の対象だが、政府の暗黙の了解のもとに、国立大学の関係者などのもとでその手術は実施されていた。麻酔薬さえない手術だったという。
と、こんなエッセイを書いていたのは、五木寛之だ(朝日新聞2002年5月6日)。「ポリネシアンセックス」のオヤジである。「雨の博多港に立って、そんな50年前のことを思い出した」と締めくくっているが、ちょっと待て。オヤジの感傷はここまで。
彼女たちは強姦されたのだという。だからってわざわざ法を犯してまで、国立大学の医師が中絶手術を行ったのはなぜか。なぜそんなに「親切」だったのか。表向きは女性のため、貧民救済のため、となっているようだが、フェミはそんなの信じない。
一説によると、彼女たちが孕んでいたのは外国人兵士の子であったため、「民族の血」が穢されることを怖れた関係者が、中絶を行ったのだという。なにしろそれらは「不法妊娠」と呼ばれていたくらいなのだから。
戦後の混乱期、外国人兵士によってレイプされた女性は数知れず、同様に各地で秘密裏に行われていた中絶手術が、優生保護法成立を後押ししたのではないか、と、これはわたしの先生の推測。
もちろん、強姦したのは外国人兵士だけではあるまい、と、これはわたしの推測。日本人の男もヤリまくっていたはずだ。口裏を合わせて、外国人のせいにしちゃったのかもね。ともあれ、中絶という医療には、そんな歴史があるということだ。
今回の原稿のために見つけちゃったのが、こんな気味の悪い記事だ。「性被害の引き揚げ女性に中絶手術 医師顕彰の石碑建立」(京都新聞2002年11月26日)
福岡県のある医師(故人)は、堕胎罪に問われるのを覚悟で、終戦直後の1946年6月から翌年4月までの間に、約二百数十名の女性に中絶手術を行った。かねてより医師夫妻と交流のあった京都の養徳院の住職は、医師を顕彰する石碑を建立。「故人の勇気を後世に伝えたい」。
故人の勇気。おまけに石碑。加害者の罪も、被害女性の痛みも、全部ひっくるめて医師の「ちょっといい話」に回収されちゃう。住職にとって後世に伝えたいのは、哀れなオンナを救ってやった医師の武勇伝だけ。男同士の絆。ホモソーシャリティってやつだ。
オンナの股を広げて、麻酔もなしに、子宮口をひっぱり出して、内容物を掻き出して、それでも「ありがとうございました」って深々と頭を下げてお礼を言われたはずの、医師。そもそもオンナの股をこじあけたのは自分たち男だってことに、一瞬でも思いを巡らせたことはあったのか。「不法妊娠」なんていう汚名で塗り込めて、被害女性たちの口を封じたのは、いったい誰か。
わたしたちは、中絶したけりゃ医師に頼むしかないと思っているから、だから医師が立派に、頼もしく、輝いて見えてしまう。ご機嫌を損ねないように、いつもへこへこと頭を下げてしまう。
「よりよい医療」だなんて、タチの悪い冗談ってもんだ。最初から勝負が決まってるんだから。まるでご主人様との「よりよい関係」を要求している奴隷みたいだもん。
やっぱりわたしは、ヤミの堕胎小屋がほしい。薬草を煎じたおろし薬、木の根から抽出したピル(もちろん男性用)、罠にかかって捕らえられた男は、はさみを持った婆がひとり残らずパイプカット。ああステキ。そこにバイブ屋が併設されたら、なお嬉しい。
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