人の不幸を祈るようなそんな女になりたくない。
中島みゆきだったっけ・・・と思いながら、私は今、ある人の不幸を望んでしまいそうになる自分の気持ちを抑えようとしてる。天誅〜!! とその人の身の破滅を望む自分の気持ちに向かい合って、気持ち悪くなっている。負の感情がうごめくと胃のあたりが泣いている感じを味わう。キリキリキリとカラダの中が不自然に縮まっていくような音までが聞こえてきそう。大きく大きく深呼吸、と思う。差別、に向かい合うとはこういう風に、人を憎む気持ちに支配されることに苦しむことでもあるんだわ、ってこんなこと、今まで何度、気が付いているんだろう。
差別されることなんか、慣れていたはずじゃないかと思う。だから、フェミ、って言ってきたんじゃないか、とも思う。それでも「あなたレズなんでしょう」という「単純な事実」を、「犯罪者」を発見したような口調で怒られるように言われると、やはり世界がぐらつく。立っている場所が決して安全地帯ではなかったことを改めて知らされる。
「あなたレズでしょう」(ええだから?)「レズ売春婦め!」(英語で言われたのを直訳するとこうなるが、まぬけな日本語である)」「バイブ売っているレズビアンは歌舞伎町に行けばいい」(それって・・・二丁目の間違いでは・・・)
これは本当に、2005年の東京で私が言われたこと。近所のイギリス人夫&日本人妻である。私がレズでバイブ屋なのを何かで知ったらしく、ひょんなことからそんな風に攻撃されるはめになった。信じてもらえないかもしれないけれど、私の被害妄想だと笑われるかもしれないけれど、本当に起きたこと。その夫婦は「あなたたちはレズでバイブ屋」という理由で、私と私の相方を攻撃したのだった。
「こいつらはレズなんだ!」「だから?」
「レズビアンなんでしょ!」「だから?」
「アダルトグッズなんでしょ!」「だから?」
「だから?」としか言いようがない事実を叫ばれても・・・と「だから?」を繰り返していたら、日本人妻(40代前半)がこう叫んだ。「そうやってあなたちは自分たちを正当化するのよね!」
相方と二人きりになった時。正当化するもしないも私たち、悪いことしていないんだけどね・・・と文字通り、ひざをよせあわせて泣いてみた。互いに背中に手をまわしてオイオイとやってみた。レズビアンであることを差別されて苦しんでいる二人・・・と少し絵になりすぎて恥ずかしくて笑ったりもしてみた。絵にかいたような差別だったね、とフルーツポンチを食べてみた。でもやはり、消えない。一番底に残る感情がふつふつと・・・憎しみである。
「憎しみ」を向けられた末の私に生まれた新たな「憎しみ」は、私の心の中で新たな炎をつけたり消したりしている。「そんなバカほっておこー」と気持ちを切り替えられたらいいよ、と思う一方で、「こういうコトをもっと深く掘り下げて考えなければ」と起きたことに集中して辛くなったり。個人攻撃をしても始まらない、敵はココじゃないと自分の憎しみを鎮めようとする一方で、正にココが敵・ど真ん中じゃん! ココに正面対決しないでどう闘っていけるのよ、と思い改まったり。
憎しみから生まれた憎しみを育てずに、レズ差別や職業差別から遠く遠く生きていけるには。
「近所のバカ夫婦への憎しみ」の処理。これが今、私がかたづけなければいけない「差別問題」なのかもしれない。。
週末、大阪は浅香の人権センターでしゃべってきた。40人ほどの方が集まってくれた。その中で印象的な元リブの人がいた。男組織の中でフェミでいる自分を損ねずに生きていくには・・・みたいな話しになった時、その元リブの人が話し始めた。
「職場で私は本当に辛かった。世の中を変えたい、組織を変えたいと思って頑張ってきた。でも頑張れば頑張るだけ、ストレスがたまった。胃に穴まであいたんです。本当に辛かったんです。でも、ある秘策を発見してからは、もう、ストレスはぜんぜんなくなりました!!!」
当然、みんな!!!!と目を輝かせて彼女を見つめた。私は聞いた。
「で、どんな方法を?」
一息おいて、彼女はゆっくりとこう言ったのだった。
「早く、帰ることです」
ぎゃーーーー! と爆笑の渦であったことは言うまでもない。渦であったが、もしかしたらこれこそが「真実」なのかもしれないと、ふと思う。立ち止まり、この場に残り、がんばり、戦い抜く、それだけが「正義」じゃない。憎しみから逃れ、「そいじゃ、お先にしっつれ〜!」と、誰よりも先に「帰る」っていう方法で自分を生かすこともできる。
私の憎しみが育たないうちに。私はどこに「帰ろう」か。帰る場所は・・・まだ、きっとあるよね。