先日、駅のホームを歩いていた時。出会った光景があんまり「美しく」て、思わず目が潤んだ自分がいた。
学校帰りの小学1年生の二人が、所狭しとガムや雑誌やティッシュや眼鏡やハンカチが置かれているキオスクの前に立ち、小さな箱の中に座っているおじさんと話をしていた。「勉強はしっかりしなくちゃ、だめなんじゃないのぉ?」おじさんが子どもに向かって笑っている。子どもたちも笑っている。それだけの光景。
たったこれだけの光景なのに。私ったら通り過ぎてからしばらくして、目頭が熱くなってしまったんだった。
びっくりした。自分に。なんと目をうるうるさせながら私は「世界がこんな風だったらよかったのにね〜」とか妙な節で歌いたいような気分にすらなっていたのだ。こういうのを鬱のはじまりとか言うんだろうか。あまりにもとっさに感情的になった自分を心配した。
後でこの時の気持ちを整理した。で、一つ思い当たったことがある。その日の朝、住んでいるマンションの管理組合から「防犯カメラを設置するかどうか、住民の方へのアンケート」というのがきていたのだ。設置に対する賛成・反対というよりは、設置する方向にあるがレンタルにするか、購入するか、という話になっているようだった。気分が重くなった。これから毎日帰る場所に、入り口、エレベーター、ポスト・・・あらゆる所にカメラがつけられるのかと思うとげんなりとした。
それでも私は「防犯カメラ反対」の項目に印をつけなかった。このマンションには小さな子どものいる家族が多い。頭をよぎったのは、エレベーターで一緒になった隣人に殺された小学1年生の女の子の事件のことだった。「親だったら・・・」と思うと、「監視されているみたいでイヤだ」という私の思いなど敢えて書かなくてもいいような気がしてしまっていた。結果、私は「どちらでもいい。多数決の結論に従います」という、今まで私がしたことのない答えを出したのだった。
やりなれていないことをしたからだろうか。監視されたくない、と自分は思っているのに、「社会がそういう風になっているのだから・・・しかたない」とどこかで思考停止した自分にやましさがあったからだろうか。キオスクの前での光景をみた時に、ずーんときた。
ねぇ、こんな風にはなせたらいいのに。おじさんもこどもも。緊張感なくさー、笑ってさー、おもちゃ箱みたいなキオスクでさー。子どもにも「誰も知らない秘密」がたくさんあってさー。自分の世界が安全に守られてさー。大人ももっと余裕があってさー。守るものは自分の家族(だけ)みたいなケチくさいこと言わないでさー。監視して敵を駆逐、みたいな怖いこと言わないでさー。しゃべってさー、会ってさー、笑ってさー、怖がらないでさー。
問題は「防犯カメラ」をつけたことなんかじゃ、解決できない、ということを十分知りつつ。それでも効果のある「対応策」として「防犯カメラ」の威力を聴かされたりすると、「しかたないのかな」とうなだれる。そんな繰り返しに、疲れてしまっているように思う。さて、私たちはどうすればいいんでしょう。
すっかりライブドア事件の陰にかくれてしまっている「子どもへの暴力」。小さな子どもと女が犠牲になるような暴力社会のただ中に生きる身としては、ライブドア程度の「ルール違反」なんてとてもつまらないことのように思えてしまうよ。