寿司屋のカウンター。隣で男二人がしゃべってた。
「俺、小学校の時、サッカーやってたんだ」
「俺もサッカーやってたんだ」
「俺、キーパーだったんだ」
「小学校の時、サッカー夢中になってやってたな」
「俺、夢中で走ってたな」
これは、会話か? 私は思わず顔をのぞきこんでしまう。男たちは寿司つまみながら、楽しそうだ。傍目には会話ははずんでいるかのように見えるだろう。「自分のこと」を順番に話してるだけというのに!
私はハラハラしながら男たちの“俺語り”を耳に入れてしまう。
男よ。それは、会話ではない。
と言いたい気持ちと一緒にタコを噛む。
その向こうでは男が三人がしゃべってる。
「最近は、女の子も、かたくなったよねぇ」
「うっかり手を出したらヤバイッスよ」
「前は、やりたいほうだいだったんだけどねぇ。ぬはははは」
「先輩の時代は良かったっすよ。社内でヤるなんて、あり得ないっすよ」
これは会話か?! それともセリフか?! それとも文化か? 私と同世代だろう十分“おじさん”な男たち。口の中に入れたイカを急に臭く感じる。生ものを食べるときは、空気が汚れてちゃぁ、いけませんや。下品な男よ、すし屋のカウンターに座るな。
別のレストランで。隣の男たち5人の会話。
「ものすっげーかわいいのー」
「あれじゃぁいくでしょー」
「ちょーかわいいーーーーーーーの」
「あれでいかなきゃおとこじゃないっしょー」
これは会話か?! それともメールの絵文字が音になっているのか?! 狭い店を支配するほどの声の大きさは、ただ酔っ払っていたから、ってだけじゃないだろう。スーツ姿のチンコたちよ。レストランは頭の悪さを披露する場ではないのだ。
公共の場で繰り広げられる無数の会話。他人の会話を聞くつもりはなくとも、うっかり聞こえてしまう会話は、ひどく陳腐に「彼ら」を象徴している。だけど、その「陳腐さ」故に嫌悪する私の「会話」は陳腐ではないのか。と私と友の間に交わされる言葉を見つめてみる。この貝おいしい。あわびたべたい。コリコリする食感好き。あわびたべたい。高いよ。いか塩で食べるのおいしい。え、シソ、嫌いなの。もったいない。このガリおいしい。ああ十分、薄っぺらい私の言葉。
それでも。こんな「会話」をうっかり耳に入れてしまった日。「俺」と「女」で世の中が構成されているようなそんな「男語り」をうっかり耳に入れてしまった日。私は「タコおいいしい」「イカおいしい」「あわび食べたい」を繰り返し呪文のように唱えたい気持ちになる。「俺」がどんなことを大声でしゃべろうが、私の心が揺れないような、そんな域に達したいの、という願いを込めて、「あわび食べたい!!」
先日のVOTE。何に一番ストレスを感じますか?
世のチンコ的なもの
という答え、とても多かった。最も感じたくないストレスを人は最も感じてしまうものなのか。そんな自分がいやなのに。あー、チンコ的なものに振り回されない女になりたいなぁ。チンコな言葉が聞こえなくなる耳がほしいなぁ。フェミが必要ないほどの、そんなマンコ持ちになりたいなぁ。タコおいしい。