●偏り方、変色の仕方。

 5円玉かと思って財布から出したら、黄金に変色した古い50円玉だった。ずいぶん古い硬貨だね、と年度を確かめたら、昭和45年だった。私が生まれた年じゃん。財布をひっくり返し、手の平にじゃらじゃら硬貨を落としてみた。平成生まれが多かった。汚れていても、まだ、新しい感が残っている。一方、昭和40年代のお金は、以前、子供の時に昭和20年代のお金を見つけて、ひゃーと思った感覚と似ている古さで、古かった。

 昭和の40年代。一昔前だ。テレビなどで時々目にするその時代は、カラーテレビに冷蔵庫、洗濯機に団地とミニスカートでパンダ。新しい家電が入ると、豊かになったような錯覚を起こす、そんな時代。電子レンジが初めて言えに来た日、ビデオ(VHSだ!)が初めて家に来た日。子供心に嬉しくて、きちんと記憶している。物質的な満足と幸福感がつながることを、時代が今よりうんと肯定してた。

 そうか。私、35歳か。年女だ。四捨五入で40歳。とか、別にしなくてもいい四捨五入をしたりして、老けた気分を満喫してみたりする。さして嬉しくもないし、悲観的な気分でもなく。「35歳」の意味など考えたりするけれど、35年間、娑婆を渡り歩いてきた50円玉の方がすごいような気がしたりする。あんた、苦労してきたんだねぇ。生き別れた双子と35年ぶりに出会ったようだ。

 そういえば。他人の年齢を、私はずいぶんと気にしてきた。

 どんな風に、年を重ねていくのか。
 自分のしたいことを見つけられるか。
 見つけたら、ソレをどのように始めるのか。
 いつ、始めるのか。
 見つけた人はソレを続けられるのか。
 続けるために何をしているのか。
 どのように、女は生きていくのだろう。

 女の年が、私は気になる。自分と比較する、というのとは少し違って、何歳に何を始めて、何歳に何を考え、何歳に一度本気で死にたくなったりして、何歳に挫折して、何歳に決意して、とか。そんな女の生き方を、私はもっともっと知りたい、というような思いで。

 女の年の重ね方を知ることで、私は自分をもっと知ったり、変化を陽気に受け入れることや、生きる楽しみを保つことができるように感じている。自分のことを信じたい思いが深まる。色々な女の色々を知ることが、私には今、楽しくてしかたない。インタビューの仕事に一番気持ちが動かされるのも、そのせいかもしれない。

 少し前のこと。読者からメールをいただいた。私の文章が、あまりにも「男」「女」という視線だけで書かれているという批判だった。つまりは。偏っている、と。

 そうだと思う。私は、偏っている。そして、偏っていることを十分自覚している女だと思う。私には「自分は中立だ」、と信じて疑わないバカな男とは違うという誇りがある。で、私の偏り方は、私の体を変色させる勢いで体中に染みこんでいる35年間の証なのだ。大げさに言えばネ。そんなことを50円玉をみながら思う。偏りながら生きてきたわよー、と話しかけよう。

 他人の年齢が気になりながら、私はやりたいこと、やらなくちゃいけないことをまだまだやれていないような思いになったりする。そして、急に自分の年齢が気になり始めた。私は、これからどんな風に年を重ねていくだろう。

 変色した50円玉は私のようで。変色後にもきっと何か変化があるんじゃないかと、なんだかその50円玉を手放せずに、ずっと財布に入れている。


INDEX
[2008/10/01]
愛せない、という罪悪感
[2008/09/24]
男女平等というルール
[2008/09/17]
ワガママなわたし
[2008/09/09]
女の候補者
[2008/09/02]
セックス・アンド・ザ・シティな夜。
[2008/08/26]
ハウスキーパー
[2008/08/20]
オトコジャパン
[2008/08/10]
お久しぶりのご挨拶。
[2008/05/30]
女の罪、男の罪
[2008/05/19]
母としてのわたし
北原みのりの書籍はコチラ
これより前のコラムを見る
▼コラム一覧へ戻る  ▲topへ