やっぱり男の子だったね。ケケケケケケ(邪悪な笑)。
先日、品川区の女性センターで女子中学生向けのワークショップが企画された。映画監督の浜野佐知さんをはじめ、消防署署長や会社経営者の女性が中学生に「私がどのように働いてきたか」というようなことをスピーチするのである。曰く、女子中学生よ大志を抱け。都内各地から学年バラバラの中学生たちが10数人集まった。
しかし、今どきの中学生はなんてツルンとしているのだろうと、マジマジと見入ってしまった。私が中学生だった時は、ホルモンが大人バージョンになり、いろんな体液が吹き出し(マンコからも、なんだかいろんな粘膜系から大人バージョンの汁が出てきたような記憶)、自分がもう子どもではないことを日々突きつけられて、しかし内面が追っつかなくて。世界と自分との距離は果てしなく遠いように感じられて。混乱気味で醜くかった、という自信がある。それなのに、今時の中学生のなんとサッパリツルリとかわいらしいことか。これがオヤジの言う「少女の透明感ってやつか!」と、私はツルツルの中学生の肌やキラキラの瞳に見入ってしまったものよ。
さて。そのワークショップの中で、中学生にこんな質問が投げかけられた。
「女性は今も差別されていると思う?」
だいたい「ワカモノ」に「男女差別」について聞くと、「ウチラの世代はそういうの、もうないですー」とか言うのが常である。「北原さんの時代にはあったかもしんないけど」と言われ、ハー??? と鼻息荒くなったこともある。差別を感じる女と感じない女がいるだけなのにね。ある・ないの問題じゃねーんだよ。あるんだよ。だから、差別は感じるものなんだよ。感じる知性がなくては感じられないものなんだよ。そういう知性はねー、備わっている場合もあるけれど、精進しなくちゃ身につかないもんなんだよー。と、「ワカモノ」に威張り散らしてきた(心の中で)私だが、さて。今どきの中学生は「差別はある?」という質問になんと答えたでしょう。
それがねー。「差別はある」とフツーの顔で答えたのでした。多くの女子が。
印象的だったのは、一人の女子(中一)がしたこの発言。
「学校で差別を感じることはないんだけど。テレビを観ていたらやっぱり差別はあるな、って思う。一番分からないのは、天皇。なんで女子は天皇になれないんですか? あれは差別じゃないんですか?」
素朴であることは天才なのだと私は思う。こういう素朴な質問に、「日本の伝統が」とか「Y遺伝子が」と答えることの無意味さよ。「差別です。差別が日本の伝統です。差別です。男の方が尊いんです。差別です。男の子が生まれて万歳!!!! 万歳!!!」との声は、確実に子どもたちに届いているんだね。「差別していない」ふりをしながら、「差別する」のは醜いねー。つり革に両手つかまりながら、太ももや膝を使ってチカンする男と同じ。それがニホン。
男のお子様でも女のお子様でも慶事には変わりない。
テレビの中で誰かがそんなことを言っている。
だからうっかり、女子が差別されているなんて考える私の方が心が醜くひねくれているんじゃないかと勘違いしそうになる。女性天皇なんていらないと思っているけど。こうもあからさまに「チンコ付きか付きでないか」が問題になると、私たちの生きている世界に、急に屹立したチンコのような壁が四方から迫ってくるようですね。ゲプ。
満員電車の中で隣に立った会社員男が二人、こんな会話をしてた。
「今日、お生まれになったお子様、愛子様とご結婚する、という話があるだってさー」
「それはないだろー。変な子が生まれちゃうじゃんかー」
「そりゃぁそうだけどー、そうしないと、皇室の血が薄まっちゃうじゃないですかー」
思わずプ、と吹き出してしまう。皇室のグロテスクさは人々の会話に無意識に浸透している。男女差別に優勢思想。大変な差別を混在したニホンで一番尊い一家。その過激においても、ニホンで一番なのかもしれない。
とはいえ。チンコ一人が生まれたところで、皇室のチンコ欠如の現実が変わるわけでもない。皇室自滅への速度が遅くなったわけでもない。男子が産まれたことにより、先延ばしにしされた結論が、いつ火を吹くか。その火を私が生きているうちに見ることはあるか。関係なーいよー、と思いながら、女子中学生の「あれは差別じゃないんですか?」の素朴な質問は、長い間、私の柔らかい部分に突き刺さったまま。
(先週の続きはまた来週)