昨晩、私は生まれて初めて、あと数歩を我慢できずにトイレの床に吐いた。すでに数分前、やばい、と思い立ち上がりトイレに向かう途中で口の中がいっぱいになった。たいへんたいへんたいへんと涙目になりながらトイレまで小走りに向かい(しかし、緩慢な動作であったことは確か)、ああやっとトイレだ、ドアドアドア、と思った瞬間に、第二弾が胃からこみ上げてきて吐いた。よく吐く時の表現として「げぇげぇ」が使われるが、それってちがーう! とカラダ全身が表現するように、私はドバビューピッ、であった。
吐いた瞬間に、世界はふつうに戻った。毒を吐く、とはこういうこと。さっきまで飲んでいた水色のカクテル(ほとんどウォッカ)がそのまま床に散らばった。で、不思議なもので、また酒を飲めるような気分になるのだった。汚い話でご免なさい。それでも、「生まれて初めて」の経験をした私は、ちょっとだけ暖かさに満ちて、カラダがプルプルと震えたのだった。嬉しくて。
「生まれて初めて!」 と思うこと、体験することは、年を重ねるごとに少なくなってくる。もちろん、肉体の変化や心的状況の変化で「こんなこと、今までなかったよなぁ」な、腰痛とか、記憶力の劣化とか、イヤな世の中で鬱々しちゃう・・・こんな気分は今までないねぇ・・・というものはあるけれど、それとは違う意味で。
昔、私がフリーライターをしていた頃、仕事をよくくれた男性がいた。彼は団塊世代だったが全く持って政治に関心がなく、大学中に海外を旅しヒッピー友達が多く、というか自分がヒッピーで・・・みたいな話を時々してくれた。彼は当時のイスラエルをよく知っていて、ユダヤ人ネットワークにも精通していて・・・って、今から思えば本当か嘘か分からないが大変刺激的だと私は感じ、「へー! ほー!」と聞くたびに心底、感激していたのである。(思えばオジサンの話を熱心に聞き感激する、という若さも、今は昔、である)で。そのオジサンが良く言っていたことがある。
「このくらいの年になると、知っていることしか、起きない」
若かった私は、そんなことはないでしょう、と反発した。心が新しければ、そしていつも新しいことを見ていれば、刺激はいつもある。初めてのことに心ウキウキすることがきっとある、と。
ところが。35歳の私は、彼が言っていた「知っていることしか、起きない」が呪文のようにカラダに染みこんしまったのか、その言葉を今、全身で理解している。もちろんこれは、経験豊かであるかどうか、ということとは関係ない。単に疲れている、という話もある。それでも、「既視感」というものが、懐かしさからこみ上げる暖かい感情とは全く違う、寂しさ、としか表現できず、人生の長さに圧倒されるような怖さを私はようやく理解しはじめた。遅すぎ! という話もあるが、長寿家系に生まれ長生きすることが運命づけられている者としては、ヒー、もうちょっと何かないのかよ、というような焦りが実はある。
そういう意味で、私は外国のトイレでゲロを一気に吐いたこの経験に、アラ、というようなちょっとした発見と嬉しさで、一瞬満ちたのだった。酒でこんなに吐けるのか。酒はこんなに人を吐かせるのか。こんなに! 水色のゲロ!! 一気に! 我慢できずに! 信じられなーい!
ところで、一緒に飲んでいたのはイギリス人の女子、である。彼女は私に「一気飲みしろ」と何度も言った。
「日本人くらいよ、一気のみを強制するの」
とか言っていた海外に詳しい友人がいたのだけれど、あれは嘘だったと、一気のみ強制を拒み続けながら、しかしノリで思わずやってしまった後に後悔の涙目で思った。イギリス人の彼女は、私が吐きそう、と言うと。
「良かった! 吐いてきなよ。また飲めるから。私もさっき、いっぱい吐いたよ」
と笑った。
その場にいたのは、イギリス人3人、カナダ人1人。1人抜かしてみなマンコ持ち。みんなバイブ屋。今日はバイブ屋の女子ネットワークについて書こうと思ったが、どういうわけかゲロの話になってしまった。私にとってバイブ屋の女子ネットワークですら、すでに「既視感」のある、なんとなく結末が見えているような寂しさを抱えるようなものなのかと、一瞬、絶望した。ゲロの方がニュースなのか、と。
でも。やっぱりそれって違うよねー、とも前向きに思ったりもするので。バイブ屋女子ネットワーク、海外編について、また改めて書きましょう。