●爺との出会い3

私は長年、英語に苦しめられている。

ガラスの天井、という言葉がある。
テッペンまで行けると思ってどんどん上に上に上っていくが、ある時コツンと突き当たるものがある。なんで?  とよく見ると、見えないほどキレイに磨かれたガラスが目の前に・・・

ご存知のように「ガラスの天井」とは、どんなに力があっても女はテッペンに行けないというシステム、という意味。最近は「ガラスの天井はなかった」と言う女もいるので、ガラスの天井にもどこかに一名しか抜けられないような細い小さな穴が開いていることもあるのだな、と噂されているあの天井。

私の英語は、もう、ガラスの天井に突き当たっているとしか思えないのだ。努力をすればよいのだ、と思い努力をした・・・つもりだったが、もうこれはシステム上、これ以上うまくならない状況に私はいるのではないか、と最近は疑い始めている。何か邪悪な力が私の英語力を留めているのではないか、と。

英語圏の取引先の人に、早く荷物送ってくれよー、いい加減にしてくれよー、あのバイブよかったねー、もうちょっと負けてよーという程度の商談はできる。ワハハと楽しそうに笑う英語人の中で、8割くらいの理解でもワハハと笑っていられる勇気はある。でも・・・たとえばマンコとかフェミとか自分の仕事に関する以外の会話・・・たとえばイギリスのお化けの話などは・・・5割理解できるか理解できないかのレベルであることを実感した時。悪い気分の波にいる時など、私はこんな風に考え始めてしまう・・・

私は今まで35年生きてきて・・・英語の一つも満足にしゃべれないで・・・いったい・・・それは私という人間の生きる姿勢を表しているのではないか・・・中途半端でクダラネー! 英語くらい・・・英語くらい・・・

亡くなった漫画家中尊寺ゆつこさんの最期の本は、英語についての本だった。「オヤジギャル」で一世を風靡した彼女は、憧れのマンハッタンに住んではみたが、英語を完璧には理解することができなかった。マンハッタンから帰ってきて、彼女は東京で基礎の基礎から英語を学び始めた。ニューヨークでかっこよく振る舞っていたこと全て忘れ、一から学んだ。しまいにはアメリカの大学で日本の漫画について英語でスピーチができるまでになった・・・。それはまさにサクセスストーリーである。中尊寺さんが英語でスピーチをする場面は、映画のクライマックスのようにキラキラと盛り上がる。
最期の本は、中尊寺さんの死の直後に出されたと記憶している。つまり彼女は末期ガンの辛い治療の中、英語への情熱をつづっていたのだ。

語学とは、客観的に自分のレベルを理解できる苦しさがつきまとうものだと思う。飛行機乗って、飲み物は? と聞かれ、ミルク下さいと言ったのにビールが出てきた時、泣きながら・・・ビールを飲んだことがある。こんなもんだったのか・・・オレの英語・・・と。で、私のような偏差値教育をたたきつけられたような人間は、そしてたぶん、中尊寺ゆつこさんのような上昇志向の強い方には、語学を学ぶ、ということは、上を見るしかない、立ち止まることを許されない苦行のようなものなのだと思う。だから、苦しく。だから、抜けられないのである。

つまりは、苦しく考えれば、自分を追い詰めて考えれば考えるほど、英語ってものが、なんだか人生とか、思想とか、そんなものとリンクしていくような大げさな話になっていくのである。まさにサクセスストーリーがピッタリくるような、上昇の物語。

と。暗い気分の時にはそんな風に自分を追い詰めてしまう。たかが英語なのに、たかがコミュニケーションツールでしょ、とか思っているのに・・・。で。そんな風に大げさに英語を考え、英語に苦しめられる。だから私は今まで英語以外の言語を習おうなんて思ったことなかった。英語ですら・・・世界で一番簡単と言われる英語ですら完璧じゃねーっつのに、他の言葉なんていけませんよ、物事には順序っつーもんがあるでしょー、と。それが、突然、思い立ったのである。韓国語だ、と。

当然、私の韓国語の能力はゼロである。アンニョンハセヨしか言えない。ハングルなんてただ棒と○にしか見えない状態である。韓国語を習ったら、英語の苦しみの他にさらに苦行を自分に与えることになるのでは・・・とチラと思ったりもした。

が。これが!!!   信じられないくらいに、楽しいのである。
近年、これほど興奮したことがあるだろうか、と思うくらい、知的な部分の能力を刺激されている。近年、これほど自分を認めたことがあるだろうか、と思うくらい、「分かる」ことが多すぎて自分を天才と勘違いしてしまいそうになる。

30分前まで意味をなさなかったハングルが、音として意味として目に入ってきた・・・あの日のあの瞬間を、私は生涯、忘れることはできないだろう。まさに、ヘレンケラー。ウォーター!!! である。そしてホームレス風の爺は、私がハングルを読んだあの瞬間、一生の恩人になった。爺! 爺! と心の中で感謝の念を繰り返した。

分かる、ということがこれほどの興奮を人にもたらすのだ、ということを私は改めて感じている。つまりは、英語につまづいていた、のではなく、分からない、ってことにつまづいていた、というのを理解する。分からないにつまづいているのであれば、分かるという快楽を味わえばいいのだと知った。分かることの楽しさを久しぶりに味わうと、分からないことに囚われていた視野の狭さから、少し離れることができるのかもしれない。

そんなことを思っていたら、私にはたくさんの「分からない」があることに気がついた。私が人生というものを時々「重てぇなー」と感じるのは、この「分からない」が根本だったのではないか、とも思ったりする。「分からない」ってことが楽しいこともあるが、「分かる」という喜びは、カラダを少し軽くするもんだな、なんて韓国語教室の帰りに感じたりもする今日この頃なのである。
分かる、ということは、問答無用に嬉しい。
ワカルワカルワカリターイ。

ハングル読みってのはすぐに覚えられるんだって。
と、友だちに言われたが、それでも、嬉しい。
それにしても爺は天才なのだと思うこの話は、また次回。
私が韓国語を習う理由も、読者の方から聞かれました。ので、また次回。


INDEX
[2008/10/01]
愛せない、という罪悪感
[2008/09/24]
男女平等というルール
[2008/09/17]
ワガママなわたし
[2008/09/09]
女の候補者
[2008/09/02]
セックス・アンド・ザ・シティな夜。
[2008/08/26]
ハウスキーパー
[2008/08/20]
オトコジャパン
[2008/08/10]
お久しぶりのご挨拶。
[2008/05/30]
女の罪、男の罪
[2008/05/19]
母としてのわたし
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