●爺との出会い4

私は今、韓国語を習っている。今、一番幸せな時間。私の足にぴったりとはりつくネコの暖かみを感じながら、ハングルを読み書きしている時。

もちろん、まだ5時間しか習っていない韓国語をスラスラと読み書きできるわけもない。しかし、何度も言っているのだが、偶然に出会ったホームレス(と書くつもりで、どういうわけか今、ホームレズと打ってしまった。誤換というのはよくあることが、誤打でこんな風に意味深な言葉が出てくるのなのだね。ホームレス寸前のレズビアンのことをホームレズと名付けようか。それとも家から出てこないレズビアンのことを?)

とにかく、ホームレス風の爺の教え方は、美しかった。

私の韓国語能力がゼロであることを知っている爺はこう言い切った。
「30歳以上に、暗記しろ、なんて言うのは無理な話なんです。30歳以上の頭は、意味のあることしか、入ってこないようにできている」

そうかもしれない、と思う。
今日、テレビでラグビーの試合を観た。早稲田と慶応の試合。恐ろしいことに試合開始からほぼ30分、私は慶応と早稲田のラグビーシャツの色の区別ができなかったのである。ラグビーシャツと言えば、太いシマシマ。違いは色だけだ(たぶん)。慶応は黄色と黒のシマシマで(テレビではそう見えた)、早稲田は紫と白(間違いかも)。しかし私は、アレ?  ドッチがドッチ? と分からなくなる瞬間がほとんど5分おきにやってきたのだった。無駄な知識を無理に覚えることを、私の脳と体が断固拒否するのだった。結局、どう覚えたかというと・・・、覚えられなかったので観るのをやめたのである。

なので、爺のいう、「意味がなければ覚えられない」という考えには多いに励まされるものだった。そして爺は、こんな壮大な物語を繰り広げたのだった。

ハングルの世界は、陽と陰の世界である。世界は陽と陰でできている。それがハングルの思想にある。さぁ、この一本の線。この線に右横に棒を引くと、陽。左に引くと、陰。右は陽、左は陰である。音にすると、あかるいア。これを悲しく言ってごらんなさい。オア・・・、それが陰の音なんです! そして物事には、すべて中道というものがある。中というものが、言語のバランスを司っているのです。

とまぁ、こんな具合に。そして爺に演説に引き込まれている間、1時間のうちに、私は文字を読めるようになってしまったのであった。

私が凄い?  と思わず勘違いしそうになるが、そうではない。これは物語力の力なのだ、と私は思う。何かを力ずくで覚えることを拒否する年代になっている私だが、物語られるものの面白さを、年を重ねるごとに、どん欲に感じるようになっている。心の奥底に定着している、私の積み重ねてきた言葉と引き合うかのように、語られるストーリーに共鳴する瞬間は、なんて心地良いのだろう。

そう。爺の語るハングルの物語は、ただただ美しかった。世界のルール、というものがあるのだとしたら、それはこういうルールであってほしい、と思うような、そんな物語なのだった。静かな、完璧な、バランスの世界。

私は、その世界の住人となって内側の物語からハングルを学んだ・・・ような気になっている。もちろん、入り口は大変美しいものであるが、ふと現実社会に戻ると(自分の家に戻ると)、やはり繰り返し繰り返しただただ繰り返し読み書きをする、という訓練が残されているのは事実なのだけれども。それでも・・・・。

前回の繰り返しになるが。「分からない」ことが、この世の中には多すぎる。
私には、なんでアメリカ人がブッシュを選んだのかとか。
なんで、いきなり子供が株式を習うようになって、それがまるで現実世界を生きる術のように奨励されているのかとか。
なんで、イギリスで飛行機に乗るのにすごく大変な思いをしなくちゃいけないのかとか。
なんで、世の中には不愉快な人がこんなに多いのかとか。
なんで、世の中に不愉快な人が多いと感じる日と感じない日があるのかとか。
そんな「分からない」ことだらけが多くて、私は時々とても疲れる。そんな時に、自分の視線で自分の言葉でこの世の中を物語る、その力をもっともっともっと持っていられたら。そうしたら、希望はまた生まれるのではないか。なんて大げさなことも考えてみた。

そういえば。今年は物語に大きく助けられた一年でもあった。
そう。物語に救われたからこそ、私は韓国語を習うことになったのでもあった。
(また続く)


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女の罪、男の罪
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