●あたたかな死を。

吉田さんが亡くなった。83歳だった。夏にはひまわりがたくさん咲く広い庭の平屋の一軒屋で一人、暮らしていた。知り合いの名前を忘れたり、奇妙なことを口走ったりと、ここ何年かは「少しぼけてきた」と言われていたけれど、毎日買い物に行き、ご飯をつくって食べ、夜にはしっかりと戸締まりをして、一人生活をしていた。

玄関前にたまり続ける牛乳瓶に、もしやと思った隣人が警察に電話をした。あわててきた二人の男の警官は、何度もチャイムを鳴らした。それから家をぐるりと回り、吉田さん吉田さんと声をかけた。どんな小さな窓にもしっかりと鍵がかけられていた家は、家の芯の芯から静けさが漂っているようで、もちろん中から返事はなかった。男の警官はドアを壊して中に入った。男の警官と隣人が見たのは、トイレの前で倒れていた吉田さんだった。警察に呼ばれて来た医者は、死後一週間は経っていると言った。牛乳瓶の数を見れば、誰でも分かることだった。

警官は、遠い町に住む吉田さんの親戚に連絡をつけ、それから吉田さんの通帳やハンコを探し始めた。何かの時にすぐに必要になるからと。二人の警官はおよそこんな所にあるだろうと、いろんな引き出し、いろんな棚、さらに鴨居の裏まで、家中すみからすみまで探した。が、通帳もハンコもまして財布も、出てこなかった。一人暮らしで用心深く、また自分がぼけてきたことを知っていた吉田さんは、おそらく吉田さんにしか絶対に見つけられないところに通帳やハンコを隠したのだろう。

親戚よりも前に、吉田さんの友人たちが集まってきた。吉田さんは警官がしいた布団に横たわり薄いかけぶとんを一枚、かけられていた。友だちは、40年来の友人の死に顔を見た。冷たく堅く。もう完全に死んでいる顔だと思った。そしてふと、ふとんをめくった。どういう理由というわけじゃなく、ただふとんをめくった。そして凝視した。吉田さんは、真っ裸だった。

倒れていた時に裸だったわけじゃない。検死で裸にされる必要があったからなのだろう。そして男の医者は死体に服を着せる習慣を持たないのだろう。あるいは着せる服がただなかったから。布団をしき寝かせた警察官も硬直した死体に服を着せはできなかったのだろう。親戚が来れば、あるいは葬儀屋が来ればと、遠慮したのかもしれない。もしかしたら、死者が裸であることは、この世の中では一般的なことなのかもしれない。

それでも。友人は、骨と皮だけになった吉田さんの体をみて、あわててタンスにかけよった。どこのどんな服が入っているなんて知らない。何を着せるべきかなんて考えたわけでもない。ただ、そうしなければと、タンスの中から一枚の浴衣を出した。そしてそれをふわりと体にかけた。それから、ふとんを優しくかけた。

その友人は私の祖母で、吉田さんは、私が小さい頃から知っているおばさんだ。吉田さんは今月半ばに亡くなった。

私は今まで、一人で死ぬことをおそれたことはなかった。一人で倒れて、なかなか発見されなかったとしても、それは「孤独」ではないと思っていた。無縁仏、上等じゃない?  と笑っていた。男と結婚しない、そしてもしかしたら子供を持つことがない私の人生、さらに長生きする可能性の強い私の遺伝的要素・・・孤独死の可能性はものすごく高い。というか、結婚せず子供生まないマンコ持ちが増えているのだとしたら、50年後は「孤独死」が一般的であるんじゃないかとすら、思う。だから、よけいに怖くない。

でも。男の警察官にドアを破られ、通帳を探すために家の中を探し回れ、さらに検察官の男に服を着せらず、裸で布団に寝かせられることがあったのなら。私は初めて、一人で倒れることを恐れた。魂が肉体を離れてしまえば、肉体に何がおころうと、もう苦しくないとしても。男たちの手続きの結果、ふとんの上に裸のまま寝かせられた時、私の魂は呪縛霊化してしまうのではなかろうか。私なら、怒りのあまり「あの世」から戻ってきてしまうかもしれない。

吉田さんの冥福を心から祈りつつ。吉田さんの魂が、とっくにひまわりいっぱいの夏の吉田さんの庭のような天国に行っていることを信じつつ。死に関わる人たちが、体や魂や女や・・・いろんなことを自分のことのように優しく考えられる人々だったらよいのにと、思う。手続きの中で体が運ばれ、手続きの中でカネが流れていく。そんなものじゃないじゃない、と思える暖かさが、死には必要だ。暖かさが、やわらかさが、必死さが、体が思わず動いてしまうような誠実さが、人の死の周りに必要だ。安心して死んでいけるような、それは安心して生きていけるような、そんな風な死との関わり方を、クリスマスの夜に思う。


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