●ネコと怒り

新年です。おめでとうです!!!

さて。さっそくだけれど。2006年を振り返り。私の身に起きた一大事件は、ネコとの出会い、に尽きるように思う。ネコと出会って確実に変わったこと。私、あんまり怒らなくなってしまった。

怒り、と言えば、フェミである。
例え「生きにくかろう」と同情されても、「変わっているね」と失笑されても、嫌いなものに自分を合わせて生き皺を深くするより、どーんなに自由でどーんなに楽かと、手足をのびのびさせて好き放題、言いたい放題怒る。それがフェミの定めである。

それでも。「怒る」とは決して楽しい感情ではないので、疲れるのである。
怒ることをやめたいと思う私は、フェミでいたくなくなっているのか? フェミに疲れたのか? 怒りに疲れたのか? 怒らないフェミなんているのか? と思っているころに、ネコに出会ったのである。

長い間、ネコが嫌いだった。目が怖かったから。だって、真剣なのだもの。犬好きの私は、カミサマがいたらこんな目なのだろう、と思われる深い深い優しい犬の目とネコの目をどうしても比べてしまう。

それでも、ネコにふれた時。そのふにゃふにゃとした柔らかさに、本当に驚いた。
ふにゃふにゃ、という言葉は、ネコから生まれたのではないかとすら思った。ニャー、という日本人が聞くネコの鳴き声から派生した言葉ではないか?! きっとそうに違いない! と辞書に書き込みたくなるくらいに。

そのふにゃふにゃの柔らかさの体を持ちながら、ネコは大変な臆病者である。大きな音に、突然の変化に、予想不可能な動きに、ギャー!  と恐がりパニックになる。ネコの目はだからいつも真剣だ。世界を信じていないから。いつか、空が落ちてくると、疑って生きているから。
それでも。ネコは一日のうち半分以上を寝ている。腹を出して寝る。手足をのばし、お腹を出して寝る人間以外の動物がいることを、私はネコを飼って初めて知った。ねぇ、あんた、さっきまであれほ疑いながら生きていたじゃないの?  そんなこと、すっかり忘れているのね。世界を信じ切って、体を伸ばしているのね。

このバランスの悪さ。私はネコに出会って、そのやわらかいー、かわいーい生き物の虜になってしまって。そして、そのバランスの悪さに、どこか懐かしい思いをしている。ネコを抱きしめていると、どこか深いところで自分とナカナオリしているような、優しい気持ちになる。この話をすると、笹野みちるさんは、「ネコは北原さんだったんだね」と婆星ラジオの中で話してくれた。

確かに。柔らかく生きながら、真剣な目で世の中を見つめるネコに、私はマンコ持ちを重ねているかもしれない。恐れながら疑いながらこの世を生きるたくさんのマンコ持ちとネコが重なったこともあった。そういう意味で、私はネコなのだとも思う。ネコのように生きていたのかもしれない、と思う。
不思議なことにね、ネコを抱いていると、体をクネクネさせながら柔らかいクッションになりながら心まで柔らかくしていったら、怒りという感情が、心の中に定着して固まることがなくなっていくような気がしてくるのだ。

怒りが固まる時が一番怖い。
怒りが、柔らかい心に吸収されて、もまれて、ポン、とはじき出た時、怒りはネコの真剣な目が放つ光のように、マシな言葉や感情になって出てくるかもしれない。
そんなことを思いながら、ネコを抱きながら年を越そう。
来年私は何に怒るだろう。何に喜ぶだろう。
すべてが、やさしいことに、柔らかいことにつながっていったらいいな。

新年、おめでとうございます。
今年もラブピースクラブをよろしくね!


INDEX
[2008/10/01]
愛せない、という罪悪感
[2008/09/24]
男女平等というルール
[2008/09/17]
ワガママなわたし
[2008/09/09]
女の候補者
[2008/09/02]
セックス・アンド・ザ・シティな夜。
[2008/08/26]
ハウスキーパー
[2008/08/20]
オトコジャパン
[2008/08/10]
お久しぶりのご挨拶。
[2008/05/30]
女の罪、男の罪
[2008/05/19]
母としてのわたし
北原みのりの書籍はコチラ
これより前のコラムを見る
▼コラム一覧へ戻る  ▲topへ