遅ればせながら映画「フラガール」を観た。おもしろいよー、と聞いていたが、これほどとは・・・。アメリカまでの飛行機の中で観たのだが、あんまりにもおもしろくて3回観た。見終わったらアメリカに着いていた、という感じで、実は今、ラスベガスにいるのだが、私は『常磐ハワイアンセンター』にいるような気分でフラフラ街を歩いている。大好きなスロットも今日はただピカピカ光る箱だ。ブラックジャックも人気のある八百屋に見える。そう「フラガール」の前には・・・ラスベガスなんて・・・。
私はこの映画を観て、ハッキリ分かったことがある。
正月のコラムでも書いたが、「怒り」ということについて、私はずっと考えてきた。「怒る」ことはしんどい。「怒り」を燃やし続けると自分が消耗する。できれば怒りという感情を抜きに生きていきたいものだ・・・と。で、ネコを飼うとその「怒り」というものが、柔らかい感情に包まれ、なくなりこそしないが、定着して固まることがなくなるようだ・・・そんなことを正月に書いた。
で、今日、「フラガール」を観て、改めて思った。
誰のために、何のために、「怒ることができるのか」。
そのことが大切なのだ、と。
「怒り」という感情でしか動けない瞬間もある。
「悔しさ」という感情でしか動けない瞬間がある。
その瞬間を躊躇するような、そんなマンコじゃいけない、と。
「怒り」や「悔しさ」を、自分の中の黒いシコリのように取り扱いかねている場合じゃないことも、あるのだと。
物語は昭和40年代の福島。炭坑で栄えたその町だったが、時代は変わり炭坑は次々に閉鎖されていく。未来のない炭坑に代わり一大事業として立ち上がったのが「常磐ハワイアンセンター」だ。炭坑で育った少女たちを、フラガールにすべく、東京のSKD(東の宝塚、みたいなもの)から平山まどかが招かれた・・・。物語はそこから始まる。
炭坑の男たちは次々に首になる。恨みの矛先は、「常磐ハワイアンセンター」に。ハワイにかける金があるなら、首にするな・・・炭坑の人間はそう吠える。そういう町の空気の中、父親に内緒でフラガールを始めた一人の少女は、父親に見つかり激しく折檻される。顔が腫れ上がるほど殴られた少女が平山に向かって言う。
「父ちゃんが首になったのに、私がはしゃいで踊っていたから・・・私が悪いんだ」
平山はその言葉を聞いたとたん、かけだす。考える間もなく男につかみかかっていく。少女にこんなことを言わせた男を。娘をボコボコに殴った父親を。
自分のために、自分のコンプレックスや自分の痛さだけで怒るのではなく、大切な友人のために、愛する人のために、どうしようもない力で体が動いてしまう怒り。明らかに自分よりも力の強い者に向かう怒りであっても、怯まない瞬発力。それこそ、マンコ気、女気、女であるならば身につけていなければいけない力なのではないか。
ずいぶん前にも書いた。韓国で、私が通りがかりの男にいきなりムネを触られた時。周りの女性がみなコトを荒立てないようにしようとした中、たまたま一緒にいた映画監督の浜野佐知さんが、信じがたいほどの瞬発力で韓国の警察官に日本語でつかみかかっていった時のこと。あの怒り。
自分のことではないのに、自分のことのようにその痛みを感じて動いてしまう力。その「怒り」の純粋さを、私は持ち続けているだろうか。持っているだろうか。私は、友だちに、いいえ、友だちじゃなくても、そんな風に動けるだろうか。
先日、車で渋谷を走っていた時。大変な渋滞に巻き込まれながら町をボーと観ていたら、一人の男が女性を背後からわしづかみにして引っ張っていくのが見えた。女性は明らかに嫌がっていた。いやだいやだ、と顔をしかめている。男は笑いながら、だいじょうぶだよー、という調子で彼女をひっぱる。窓越しの出来事。音のない世界で、そこだけにスポットがあたっていた。そして最後に、男は女性を背後から抱きかかえて、まるで人形のように、まるで私がネコを抱きかかえるように、そして女性は足をバタバタ子供のようにしながら・・・二人は人混みに紛れていってしまった。女性はとても小さく、男はとても大きかった。男はずっとニコヤカで、女の顔だけが真剣だった。
渋滞だったから・・・。車の中だから・・・。駐車できる場所じゃないから・・・。まだ明るいから・・・。人がたくさんいるから・・・。待ち合わせの時間に遅れるから・・・。入っていったのが大きなビルだから・・・。私はたくさんの言い訳をしながら、車のアクセルを踏んでいた。踏みながら、どうしようどうしようと、泣きたくなった。
分かっている。分かっていた。泣きたくなっている場合じゃないよ、あれこそ、走り出すべき瞬間だったのだ、と。
車をおいて、車なんかおいちゃって、「彼女、嫌がっているでしょう!!」と車から降りて男に近づいて行くべきだったと。二人の関係なんて知らない。町中で、あんなにイヤがっている女を、力づくで抱きかかえる男には、理由なく私、近づいていくべきだった。少なくとも、彼女に「だいじょうぶ?」と声をかける誠実さを持つべきだった。
「怒り」という感情はやっかいだ。だけれど、自分の「怒り」にとても真剣になれるのならば、私が感じる「怒り」の本質をもっともっともっともっと見極めていこう。そしてその怒りを、私は、優しく使えるマンコになりたい。マンコのために、ためらわずに走り出す力を、私はしっかり持っていたい。
私はあなたを心の底から愛してる。
クライマックスで、主人公の少女が平山まどかにそう告げる。フラダンスで伝える。
三回観て、三回ともグジュグジュと鼻水を大きくすすりあげ嗚咽した。飛行機の轟音だから気にしない。
女が女を愛すると、これほどまでにストレートに伝える日本映画があっただろうか。
女の感情がこれほど美しく気高く女に向かう日本映画が、あっただろうか。
決めた。
怒ること、愛すること。
心にきちんとおいておく。
そうする。
私は今年、そうするの。
そんな思いでフラフラと飛行機を降りた。
アメリカのイヤーな感じの入国審査も、全く気にならないくらいに、私はスッキリ晴れた。
フラガール、まだ観ていない方にオススメ!