年明けに風邪をひいたり、アメリカに行かなくちゃいけなかったりと、さっそくバタバタした2007年を送っている。そのため、韓国語の爺のところに3週間、行けていない。
爺からは、毎日のようにファックスが入る。
「発音が命です」
「時間があいてしまいました。明日来て下さい」
「言葉は芸術です。歌を歌うように韓国語を話すようになりましょう」
先日、爺に電話した。今週水曜日には必ず行きます。韓国語を忘れたわけではなく、本当に身体が空きませんでした。必ず習いに行きます。これからもよろしくお願いします。
するとしばらくして、爺からファックスが入った。
「電話をいただいた時、気力が出てきました。生かせていただいた。ありがとうございました。」
もはやホームレス寸前の爺。ずいぶん前、爺の寝室の扉が少しあいていた(教室はその隣の部屋だ)。ヒョイと顔をのぞかせると、そこには新聞紙がしいてあり・・・その上にウスーイ布団がしいてあった。家はあるが、生活は路上生活者と酷似している。細長いカオスのようにゴミが積み上がった階段の脇には、一応「水場」があり、ガスコンロが一つある。そこにはいつも大きな鍋が置かれていて、爺はそこで何かを煮て食べているようだが、いったい何をたべているのか。爺の服は、11月に初めて会った時から全く変わらず、一着だけだ。風呂には入っていないだろう。饐えた匂いが部屋中に立ちこめているが、それが爺の匂いなのか、生活臭なのかよく分からない。しかし不潔な雰囲気は不思議としない。それは爺の枯れ具合から来ているのだろう。そういえば靴は3足持っている。一足など、かなりヒップな花柄のスニーカーだ(拾ったか?)。
何を食べているのか。いったいどんな生活をしてきたのか。家族はいるのか。
実は私は全くそのことについて触れない。触れないようにしている。
私は爺に個人的な質問をせず、爺も私に個人的な質問は一切しない。
私たちは、ただただ韓国語を発音し、爺は韓国語の文法を私に教え、韓国語の辞書を共にひき、韓国語の絵本を読んでいる。そして時間が来れば、サヨウナラ、また今度。と別れる。
爺は、もしかしたら思ったよりも年を重ねているのかもしれない。60代後半くらいかと思っていたが、70代後半かもしれない。先日
「もうすぐシニマス」とハッキリ言っていた。
「そうですか・・・」と私は本を読みながら生返事した。
「私はもうオワッテマス」とも言っていた。
さすがに笑いそうになったけど、辞書をひいている最中だったので聞こえないふりをした。
いつか爺の生活のことを色々と聞くことがあるかもしれない。が、今、爺が私にそれを望んでいるとは思えない。爺と言ってもやはり「ムカシのオトコ」。語学を教えるのは上手だが、円滑なコミュニケーション、相手の話を聞き自分のことを話し会話が深まり話題が広がっていく・・・みたいな「喜び」には縁が薄そうだ。爺の会話は一方的だし、脈絡もなく「シニマス」とか言っているようじゃ、会話が成立するとは思えない。かといって、私は面倒をしょいこみたくない、という考えで「質問」しないわけじゃない。なんというか、私と爺には「定められた関係性」みたいなのがあるんじゃないか、というような思いがあり、その「定め」をきちんと今は全うしたい、という思いなのだ。
韓国語だけでつながる関係。それでも、爺と私の間には何かが芽生え始めている。
もし、前世というものがあったのなら、私と爺は大変な仲の良い親友だったのではないかとすら思うこともある。イメージの中の書生。私たちは互いに切磋琢磨しながら、何かを学んでいた関係なのではないか、と。もしくはやはり「師匠」と「弟子」であったか。韓国語の時間、貧しい部屋で、だけれどもどこか暖かい部屋で、私と爺は韓国語の世界に信じられないくらいに集中していく。
今、爺の喜びは、爺の力で私が韓国語をマスターすることだ。それが痛いほど伝わってくる。それが今、爺の生き甲斐なのだということも伝わってくる。かといって、私は爺の生き甲斐として義務感を感じることもなければ、ただただ「教わる喜び」「上達する興奮」だけで爺に会いに行けている。もし義務や責任を感じたら・・・どうなるだろう。まだ私には分からない。
今のところは。
「生々しい感情」を交えることなく、互いのプライベートに全く踏み込むことなく、一つの目標に向かって行く関係だ。それが続くような気配も含めて貴重な関係である。
なかなかあるようでない。私にとっても爺は一つの生き甲斐であるかもしれない。でも、それを爺に言うと、何か絶妙なバランスが壊れそうなので、今は、言わない。