●爺と私

韓国から帰ってきてから、ずっと風邪をひいている。ほぼ韓国に行っていた間と同じ日にち分だけ、具合が悪かった。張り切り過ぎたのかな、とかも思う。

韓国にいる間、昼間の学校では自分よりも一回り以上違う女子たちと授業を受けていた。「ひいおじいちゃん、91才」とか言っているクラスメイト。私のオジイチャンよりも若いんですが・・・。「私のママ、39才」って、私、あなたのママ世代に近いんですが・・・。韓国にいるカルチャーギャップもさることながら、韓国にいながら10代の日本女子たちと同じクラスにいる、というカルチャーギャップ、二重のカルチャーギャップにカラダがギクシャクしたんだろうか。休み時間、教室の窓にみんなが張り付き「ぎえー、あの軍服かっこいいー! 食いてー!」と騒いでいる女子たちは、なんともまぁ頼もしかったが、同じテンションで「食いてー!」と騒ぐこともできず、必然的に「まぁまぁ、お若いのねぇ」みたいな立場に私は立つ。人間の内面の何パーセントが関係性で仕上がっていくものだとしたら、私はむちゃくちゃ年を取ったような、まるで浦島花子のような気分なのであった。

さて。帰国後、私を待ちかまえていたのは、爺であった。

韓国語を私に教えてくれた爺。私の韓国語の師匠。家がありながら、家の中で新聞紙の上に寝るホームレスインホーム爺。韓国語を教える爺は、”言葉の世界”こそが真実であり、その真実を人は泳ぐしかないのだ、その泳ぎ方を知っていればこの世界には限りはないのだ、この世界はなんて美しく自由なのだぁ! というような気分に学ぶ者を誘う天才肌なのだが、しかし一歩、冷静に爺を眺めると、ただただ生活能力が著しい貧しいただただただの爺である。

その爺と私。
うすうすは気がついていたのだが、いや本当は最初から分かっていたのだが、ただ見えないようにしていただけなのかもしれないが、最近ハッキリと分かったことがある。
爺にとって私は唯一の生徒である。
そしてそれはつまり、私が爺のライフラインなのだ、と。

これは、しみじみと、恐ろしいことである。
と私は思った。
私がいないとこの人は食っていけない。
と思うことは、なんて怖いことなのだろう、と。

韓国に行く前、私は爺にお金を貸した。爺は私にお金を貸してくれ、とは言わなかった。
ただ、「もうすぐ電話が止まります。そこで、一つ、ご協力をお願いします」と言っただけだった。お金を貸してください、と言われたら抵抗もできたかもしれないが、まるで街の寄付のように「ご協力お願いします」と言われると、はい、と言うしかないように思った。
それに加え、爺は最近、授業のチケットをズルするようになった。30分一枚の爺の手作りチケット。20枚綴りのチケットを、私は授業が終わった後爺に手渡す。すると爺がそこから時間分だけチケットをハサミで切る。でも、最近、爺は続けて90分の授業なのに、4枚分(二時間分)のチケットを切っている。その時の爺は、ずるがしこい顔をしている。ハサミの切り方も素早い。人はやましいと、行動が素早くなるのだと思う。

辞めればいいじゃん、
とも思う。
責任なんか感じなくていいじゃん、
とも思う。

でも。でも。と思いながら私は爺から韓国語を習い、そして3週間、ソウルに滞在した。それは完璧に爺と三週間、離れることであった。しかし・・・帰国後、私を誰よりも待っていたのは、爺なのであった・・・(続き)


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[2008/09/24]
男女平等というルール
[2008/09/17]
ワガママなわたし
[2008/09/09]
女の候補者
[2008/09/02]
セックス・アンド・ザ・シティな夜。
[2008/08/26]
ハウスキーパー
[2008/08/20]
オトコジャパン
[2008/08/10]
お久しぶりのご挨拶。
[2008/05/30]
女の罪、男の罪
[2008/05/19]
母としてのわたし
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