●人の顔。安倍の顔。

長年会っていない友人に、会うのが怖い・・・と思う時がある。

妹の友人に腕のいい美容師さんがいる。学生の頃からよく知っている人なので、久々にお願いしたいなぁ、と妹に話していたときに、ふと何年会っていないのかと指を折ってみて驚いた。なんとまぁ10年以上ご無沙汰じゃないの。

そして、私は躊躇したのである。
「・・・・会いたくないかも・・・・」

10年は大きい。10年前の私を知っている彼女には、私がどんな風にこの10年を生きてきたかが、一瞬にして分かるんだろう。その瞬間を私は恐れている。1年くらいならまださ、「最近太っちゃってー」とかそういうレベルでのご挨拶で済みそうだが、10年の変化、というのは「生き様」みたいなものに関わるような判断を受けるような気がする。ああ不安だ。

だって私、この10年でものすごく変わったのだもの。
何が変わったかと言って、「目」が変わったのだ。左目が、どういうわけか二年前から少しずつ少しずつ、死んでしまっているのだ。死んだ、というのが大げさならば、ずっと気絶しているようなのだ。このことに気がついたのは1年ほど前。どうやっても、目が曇っている、目がおかしい。左目だけ。いつも寝ているような、いつもふてくされているような、いつも泣いているような、だけどいつも心がないような。石のような目になっちゃったのである。朝起きて鏡をみて。昼間どこかで鏡をみて。夜寝る前に鏡をみて。やっぱり死んでいる左目をみて、私は絶望した。

原因は分かってる。数年前、人間関係が激しく変わった出来事があった。心地よい人間関係を求めるために、心地悪い人間関係というものを存分に味わった一年を過ごした。友だちが何人も去っていった。私も友だちをすてた。たくさんのすれ違いを味わって、苦しいのぉー、と思うことがいっぱいあった。で、ある日、気がついたら、左目が死んでた。具体的に言うと、左の瞼が右の瞼よりも少しだけふくれていて、二重の幅が広くなっているのである。少しだけ、だ。でも。この変化は大きい。ずいぶんと顔の印象が変わった、と私の顔に詳しい私は嘆いた。整形しようかとも思った。人間関係に苦しんで目がこんなになっちゃったんだったら、瞼をスッキリとしたら人間関係もうまくいくかもしれないね、なんてさ。

幸い・・・最近、少しずつ左目が元気になりはじめている。今日の左目は起きてるね、な思いになることが増えてる。人間関係は以前よりもどーでもよくなった。
それでも一度広がった瞼の幅が戻るわけでもなく。私は「一度深く苦しんだ左目」を抱えてこれからの人生を生きるんだ、ということを自覚してる。私が作った、これがカオ、なんだと思う。ただ、そのカオを堂々と10年ぶりの友人に会わせるのは、ちょっと生々しいような気がしてる。やっぱり少しだけ勇気がいるのだ。

・・・と、そんなことを書いているのも。安倍晋三の辞任演説を観たからだと思う。各テレビ局はこぞって「安倍政権の一年を振り返る」というような特集をやっていた。どこかの番組では「政治家・安倍の軌跡」みたいな特集で、若い頃からの安倍晋三を映像で流していた。

そして「昔の映像」で、安倍晋三が美しい青年だったということを私は久々に思い出した。父親の後ろにひっそりと立つ、20代の安倍晋三の目はフツーにキラキラしてた。それは若さ故の美しさでもあるけれど、それだけじゃなくやっぱり「希望」というものを持つ人の目だった。
首相になる数年前、拉致被害者問題の先頭に立っていた安倍晋三の目も、やっぱりキラキラとしていた。「マヌケな代議士!」と拉致被害者の問題に目を向けない議員を、拳を振り下ろしながら批判する姿は、計算された「熱さ」を感じる冷酷さに満ちて怖かった。こういう人が首相になったらやばい・・・と思わせるような力があった。
そうそう数年前、NHKのドキュメンタリー番組に圧力かけたと報道された時の安倍の目も輝いていた。権力の香りでムンムンとしてた。大変なスキャンダルにもかかわらず「余裕」という態度を見せた安倍に、こういうのを「黒幕」っていうんだな、と私は奇妙に納得したものだ。
そして。安倍が総理就任の日。
「安倍晋三でございます」
というマヌケな挨拶が今から思えば全ての始まり・・・という気がしないでもないが、それでもあの日、安倍晋三のカオは、崩れていなかった。顔色もよく、目は輝いていた。あごは上を向き、目線は斜め上。「ホープ」というのはこういうカオかと、思った。
安倍の政治人生の多くは、目を輝かせ続けてきた道なのだと、知る。道途中で挫折し、貧乏くささが増している加藤紘一の絶望からしてみれば、安倍の順風満帆な輝きときたら!!!

それなのに・・・今・・・。涙目になりながら、プルプルと震えそうな唇で「テロとの戦いは終わっていないのでございます」と言う安倍の姿は、あまりにも「みてはいけないものをみた」感を誘う。
国民の心をつかもうと考えぬいた「カメラ目線」すら気持ち悪いと罵倒される安倍首相に、最も似合う哀しい幕引き・・・、マヌケな終わり方・・・。だけど、それが「期待していた」以上のものだと、人は戸惑うものなのかもしれない。「何か訳があるのでは?」と疑いたくもなる。安倍が実は、不治の病だった・・・なんてオチがつくことはないか? とハラハラする。どうしてよいのか分からず。とりあえず、「こんな終わり方、前代未聞だ」と叫んでみる。

確かに。ここまでボロボロになった総理大臣を見たことは、前代未聞だ。歴史的な未聞だ。
「バーカバーカ」と、たぶん安倍以上にさんざんバカにされた森喜朗は、バーカバーカ言われてる時もカオに皺が刻まれることなく、辞めたとたんに大物ブリを発揮している。政治家の男なんてソーイウモノだと思っていた。が、安倍の場合は違った・・・。恐らく再起できないんじゃないかという程、悲しみと困難と不運を「カオ」を描いてしまった。あの哀しい顔では、フツーに選挙に勝つことすら難しいのではないかとすら思う。ましてや二度と、総理大臣の座は狙えないだろう。
「美しい国でございます」と、身勝手な国づくりに精を出していた男は、辞める時期を逃してしまったばかりに、これ以上ないほどのダメージを顔に刻んだ。誰もがみたくない、不幸で不運でマヌケで哀しい顔を・・・。

小泉純一郎がいつもにやつき、笑い、大きな声を出し、髪の毛のツヤが衰えなかったことを思い出す。
つくづく思うわ。政治の中身なんて、関係ないんだ、と。
人は見たいものを見る。元気で偉そうに楽しそうな男を見たい私たちが、小泉純一郎をつくった。マヌケで不運な男を見たくない私たちが、安倍首相を辞任に追い込んだ。政治の中身は関係ない。だけど、政治のツケを払わされるのは、いつも私たち。いつもツケを払わされているから、ついつい幸福顔な政治家に望みをたくしたくもなろう。
そういえば、共産党の志井和夫って、福々しい顔してるね。共産党は忙しくないのかな。プレッシャーも少ないのかな。それとも、苦労が顔につかないタイプの人なのかな。

顔が気になる。


INDEX
[2008/10/01]
愛せない、という罪悪感
[2008/09/24]
男女平等というルール
[2008/09/17]
ワガママなわたし
[2008/09/09]
女の候補者
[2008/09/02]
セックス・アンド・ザ・シティな夜。
[2008/08/26]
ハウスキーパー
[2008/08/20]
オトコジャパン
[2008/08/10]
お久しぶりのご挨拶。
[2008/05/30]
女の罪、男の罪
[2008/05/19]
母としてのわたし
北原みのりの書籍はコチラ
これより前のコラムを見る
▼コラム一覧へ戻る  ▲topへ