女祭、来て下さった方、ありがとうございました。沢知恵さん、辛淑玉さん、チヒョン、そして司会の笹野みちるさん、ありがとうございました。「女気」ってもんが何なのか、そんなことを感じられた4時間だった。
そう、女気。かっこいい女からしか発することができないこの「気」を求めての女祭り・・・、楽しかったなぁー。司会を忘れて、楽しんじゃいました・・・。
最後に、お客様から質問をいただきました。
その中に「フェミニストとして得られたこと、得られなかったことはなにか?」というのがあって、ステージでも答えたのだけれど、なんだかモヤモヤしていて。忘れないうちに・・・頭のなか整理してみよっ、と書いてみます。
えー、フェミフェミ言っていて得られたものは、おなかま、です。フェミ友です。
初めて、身近なフェミ友ができた時、うれしかったもんなぁ。「えーっ、テツドウ好きなのぉ? アタシもぉ!」と同じレベルでの仲間探しとは思うけれど、「不愉快なことに対して説明不要」な友だちって、ありがたいものでした。
そしてフェミフェミ言っていて得られなかったもの。得たいと思っていて、得たと思っていて、実は得られていなかった、というのが「女気」です。
ずいぶん前のことだけれど。もう10年以上も前のことだけれど。私、オトコにボコボコに殴られたことがある。見知らぬオトコ。クラブ(踊る方のね)のトイレ。化粧なおしてたら、大きなオトコが入ってきたの。「ちょっと、ここ女子トイレだよ」ってとっさに大声でそのオトコを制したら、ボンっ! て突き飛ばされてボコボコにされた。
ビックリしたさぁー! だけど、一番、ビックリしたのは、私がボコボコに殴られている間、その場にいた女たちが全員、そう10人弱はいたと思うけれど、全員が黙って見ていたことなの。怖かったんだよね、彼女たちも。だからオトコが出て行った後も、彼女たちは足がすくんでいて、誰も何もできなかったの。便器の上に倒れてる私をただ遠巻きに見てた。逃げるようにしてトイレを出たのは、彼女たちじゃなくて、私だったよ。
その時に、よく分かったこと。非力な人は、人を助けられない。
でも、じゃぁ力をつけよう、筋肉をつけよう、というのが答えというわけじゃない。あの晩以来、何度も考えたよ。もし、目の前でボコボコにされている女がいたら、私はどうするだろうって。力じゃ敵わない、分かってる。分かりながらも、私はそのオトコにつかみかかっていけるか。それが、私が自分を「フェミ」であるかどうか、そう言えるかどうかの軸、だったのね。
でも。あたりまえのことなのだけど。いざという時に身を切る戦い方ができる、太く逞しい女気って、フェミを勉強したからと言って、フェミフェミ言っていたって、身につくものではないんだよね。そして、なんというか・・・、私の勝手なフェミ幻想、そして勝手なフェミ信仰の故、なんだけど、体の動かないフェミに出会った時の方が、女に対する絶望が深まっちゃうの。
フェミ友はできたけれど、闘い方は、また別だ。生きる道は、一人一本。一人一本、バイブの時代、と言って始めたバイブ屋だけど、一人一本女の道がある。そして、フェミフェミ言ってるだけじゃぁ、他人の吐いたフェミ語をセリフのように語ってるだけじゃぁ、女気を振りまくことはできないよ。誤解を恐れず言えば、フェミフェミ言う分かった風な人に「女気」を感じたことって、ない。女気は、フェミとは無関係であっても自分の人生を見つめて生きている人にしか感じられない格好良さだから。自分を信頼している女にしかない力だから、ね。
そんなことを、女祭で楽屋にいながら考えてた。分かっていたことを、はっきり分かった、という感じで考えてた。自分自身を信頼できる、そんな生き方をきちんとしている人の言葉は強い。そして、私も、こういう女たちに少しでも近づきたい、と思ったよ。
自分の身が切られるかもしれないのに、走り出せること。
それはとても怖いことだけれども。
そういう怖さと向き合って、自分を愛している女たちが、昨日はステージに立ってくれたから。
私も、そういう女に近づくんだ、という思いになったんでした。
ということで。
女祭。ラブピースクラブ11周年。たくさんの人に出会いました。
これからも、よろしく!
な、ササノ!! (・・・来てくれた人には分かる・・・ネタです)