スタバでコーヒーを頼んだら、おつりを渡される時に、コソコソっとレジの女性が私に耳打ちしてきた。もにゃもにゃふしゃふしゃ。まったく聞こえないので、え? なに? と聞き返す。毎日のように顔を出すスタバで、行けば彼女に「ラテトールサイズでよいですか」と聞かれる仲なので、なになに? という感じで私は身を乗り出し、「どんな秘密ごと?」とワクワクした。ひそひそ話なんて、何年ぶりだろう。下手したら何十年ぶりだろう。彼女はグンと顔を近づけて私の耳元で囁いた。
「細長い足ですね」
と言われた。ような気がした。冷静に考えたらそんなこと耳元で言われるわけもないのに、えー、そんなことないよー、ありがとう、と言おうとして笑っていたら、まだもにゃもにゃふしゃふしゃ言っている。ん? なに? 普通の声でどーっぞっ! と彼女の口もとに耳を近づけたら、今度ははっきりと聞こえた。
「ファスナーあいてます」
あ。どうも。ありがとう。
ジッパーをグンとあげて、ラテができあがるのを待った。
待ちながら、いろいろと考える。スタバでコーヒーが出きあがるまでは、いつもちょっとした思考タイム。ハチとオク(愛猫)の柔らかい感触を思い出してぽーっとし世界平和の正体を探り。カウンターの前のコーヒー豆が変色していく様をみて、煎る、という行為について分からなくなってみたり。私が大学生でもスタバのアルバイトには受からないだろうな、とがっかりしてみたり。そういうちょっとした時間で、今日はジッパーについて思う。なぜ、あんなに小声で「ファスナーあいてますよ」って言ったのかな。
子どもの頃から「おまえ、社会の窓開いてるぞ!」と言ってドっとみんなが笑い、指さされた子が肩をすぼめながらジッパーをあげる姿って、よくみてきたな、と思う。もしくは、「今日、チャックあいたまま、学校来ちゃったよぉっ!!!!」とすごく楽しげに告白するクラスメイトも少なくなく、いたな。
そして、そういう「笑い」が私は分からなかったなってこと、思い出した。社会の窓、という言葉の面白さに笑ったが、実際にチャックがあいている同級生をみても、何ら感動が浮かばない。それは、ボタンを一つ掛け違えてシャツを着ていることよりも、たいしたことのないことのように思えた。一緒に愛想笑いをしてはみたが、本気で楽しそうに笑う友だちの横顔が怖かった。
鼻くそ、なら分かるのである。大きな鼻くそをつけている友だちを囲み、「おまえ、鼻くそつけてるぞーっ!」と笑ったり。「私、今日、大きな鼻くそつけてきちゃった」とか言いながら照れ笑いするのであれば。さらに言えば「鼻くそ・・・ついてるよ」と小声で教えてくれる人がいるのであれば。
でも、実際にはそういうことはおきないのだった。大きな鼻くそをつけている友だちがワハハと楽しそうに笑う姿を、みんないたたまれない思いで黙ってみているのが通常であり。大きな鼻くそをつけて学校まで来たくせに、トイレかなんかの鏡で気が付き、それを慌てて取って、なかったことにするのが常であり、鼻くそをつけていても誰も教えてなんかくれないのである。
「チャックがあいていることを面白い」「チャックがあいていることを恥と思う」という感性は、なぜ育つのか。そして、もしそれが恥ずかしいことと本気で考えているのならば、なぜ相手に教えられるのであろう。
これは、恐らく、本当はみんなたいした恥とは考えていないのに、一応恥じであることにしよう、という予定調和的「恥」というものの代名詞なのではないか。この程度の「恥」で、「恥」としておこう、というだらしない感じは、チャックをあけていることよりもだらしないのではないか。
とちょっと結論めいた答えがでてきたころにラテが来た。
もう一度、ファスナーを確かめた。大丈夫。
ちなみに、私のパートナーのモッコちゃんはパンツをはかずにジーンズをはいていることが多い。この人のチャックがあいている時は、つまり毛が数本はみ出している、ということである。これは恥、というよりは、迷惑行為であろう。
ふと、気が付いた。もしかしたら、みんな、ジッパーがあいている=パンツを見せている、という意識で笑っていたのか!? え? そうなの? しかし、これはおかしなことなのである。だって、ジッパーが開いていたとしても、ジッパーの裏地というものがあるわけで、簡単にはパンツの素材はみえないし、見えたとしても陰になっていて「見えない」ものであるのだから。ということは・・・パンツという「幻」をみんな恥だと思っていたのか。
分からない。
が、時間はつぶせた。
朝のコーヒータイム。