●セックス・アンド・ザ・シティな夜。

セックス・アンド・ザ・シティを観ようと六本木に行った。駅を降りて地上へのエスカレーターに乗っていると、下の方から「みのりちゃん!」と声がした。誰!! と振り返ると、右手後方、隣の下りエスカレーターに、10年くらい前にちょっとだけつきあっていた男がこっちを向いていた。わわわわ、と思っているあいだに、男がエスカレーターを乗り換え駆け上ってきた。10年くらいでは消えない生々しい記憶・・・というのが一切ないさっぱりした関係の相手だったためか、おーひさしぶりーびっくりねー、とにこやかにはしゃいで、で、多分お互いに「苗字はなんだったっけ」と思いながら、じゃあねってケータイ番号をなんとなく交換して別れた。たった数分のこと。でもちょっとドキドキして、ああ! 昨日の夜! おっくうがらずに白髪を染めておけばよかったな・・・と悔しがってしまった。

その後、待ち合わせていた女友だちに、「たった今ね! むかしつきあってた男に、ばったり会ったんだよ!!」と開口一番に言うと、彼女は即座にこう返した。
「まさに、セックス・アンド・ザ・シティだね! ふさわしい幕開けじゃない?」
ああ、そうそう! と私は大きく頷いて笑った。昔の男に偶然出会ったことがセックス・アンド・ザ・シティなのではなく、こうやって反射的に「まさに今しかいえないセリフ」を切り返す女友達の存在がセックス・アンド・ザ・シティなんだわと思い、とつぜん六本木がマンハッタンに思えてきて、その女友だちがサマンサにみえた。チャングムに夢中だったときは、いろんな人間関係が宮廷の女官どうしのものに思えてきたが、今の私は、セックス・アンド・ザ・シティだ。自分の単純さも含めて、なんだか幸福な夜だった。昔セックスしていた人に会い、その日の化粧や洋服を一瞬のうちに自分の中で反芻し白髪を気にする自分。シンプルでいい感じ。
聞けばその友人も、前日に受けたマッサージの担当が若いキレイな男の子で、思わず、むふうーん、とサマンサの気分が盛り上がったのだという。
「次はきちんと足の毛をそっていこうと思う」
と、私たちはあまり普段しない会話をしながら、映画を観たのだった。

セックス・アンド・ザ・シティ。私は約5年かかって全てのエピソードをみおわった。途中、主人公たちがあまりも男男男男男男男・・・と言うので辟易して、そしてちょうどその時期は私が女とセックスに夢中になっていた時期でもあったのでお休みしていた時期もあったのだが、振り返って全部観てみると、そんな風に感じていた自分の浅はかさを反省するほどに、なんて自由で、なんて革命的なドラマだったのかと思う。
ドラマにはヘテロとか、レズビアンとか、ゲイとか、既婚とか、シングルとか、・・・セクシュアリティや立場の違いは安易に越境できないという真摯な前提がある。たとえば主人公の一人がレズビアンと愛し合い「私、レズビアンになった」と宣言した時、回りの女たちの反応はとても冷ややかだったりする。結婚し郊外に住んでいる昔の遊び仲間がマンハッタンでシングルライフを送る主人公に”張り合う“シーンは、相当冷徹だった。子供嫌いの主人公の一人が、子供をつれてランチにやってきた主人公の一人に、「これから私たちは買い物に行く。さぁ帰って」とタクシーに詰め込むシーンなど、これ、日本のドラマではちょっと考えられない女どうしの関係だろう。

私たちの間にあるものを、簡単に飛び越すことはできない。私は安易にあなたをわかろうとはしない。そういう前提の上で、セクシュアリティの違い、立場の違い、生き方の違い、他人の変化や成長を受け入れる自由な空気がキラキラと伝わってくる。
自分のセクシュアリティや立場を名づけ、他者との違いを徹底的に追求し、己を引き受けた者たちが一周回って、すべてを越境するという空気が2008年のニューヨークにはあるんだなぁ、と思う。そういう空気を感じる。
これは「オレはオレ、名前なんていらない、ラーララララー」という鈍感さとはまったく正反対のことである。ものすごく葛藤し、他者と摩擦することを恐れない文化からしか生まれない自由なんだと思う。そういう意味で言えば、日本って、優しすぎて、ぬるすぎて、そしてみんなが分かり合えている前提で物事が進むから、ニューヨークよりも揉め事は多すぎる・・・と思う。不自由だ。優しい人ばかりで張り合いがなく、なのにとても疲れる。

友情もしかり。強い意志があるというわけではないのに、互いを傷つけ、疎遠になり、友情がフェイドアウトすることって大人になってから何度か体験しているのだけれど、揉め事の多くの原因は、「あなた、私をわかっていない」というようなすれ違いからだったと思う。で、友情といえば「恋愛のようにもめない」ということがなぜか前提になっているので、傷ついたままあいまいに放置し関係が薄くなる・・・というのはよくある話しだ。
友情にも、恋愛と同じように、蜜月期があり倦怠期があるというのにね。焦がれるほど憧れる瞬間もあれば、嫌悪にあふれる一瞬だってあるというのにね。友情は安定的に、穏やかで継続する・・・なんて、そんなの嘘なのにね。
セックス・アンド・ザ・シティはこう教えてくれる。誰もは一定に精神を保っているわけではなく、不安定で、孤独で、寂しくてたまらなくて、だけれども自分を引き受けて生きてゆくしかない。だけれども。一人一人がきちんと個でいられるからこそ、友情が美しく開花する瞬間があるのだ、と。

私たちは、セックス・アンド・ザ・シティの女たちのように、ものすごい稼ぎがあるわけではなく、ハイブランドを着こなしているわけではない。セレブでもないし、男にもてるわけでもなく、セックスを堪能しているわけでもない。でも、女どうしの間にあると信じたいその友情は、私が私を引き受けて、あなたをあなたとして愛することでしか生まれない。そんなメッセージをまっすぐに受け止めて、いつか思いきりケンカだってしたいよね、というような愛情いっぱいの気分で、映画の後はコスモポリタンで乾杯したのだった。
エスカレーターの男からは・・・その後、連絡はない。(白髪のせいか!)


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[2008/10/01]
愛せない、という罪悪感
[2008/09/24]
男女平等というルール
[2008/09/17]
ワガママなわたし
[2008/09/09]
女の候補者
[2008/09/02]
セックス・アンド・ザ・シティな夜。
[2008/08/26]
ハウスキーパー
[2008/08/20]
オトコジャパン
[2008/08/10]
お久しぶりのご挨拶。
[2008/05/30]
女の罪、男の罪
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