確かに私はワガママな方だと思う。先日、とにかく一休み、と入ったファミレスでコーヒーを頼んだら、「ドリンクバーをご利用ください」と言われた。ドリンクバーじゃないコーヒーはない? ときくと、ひょろりと細長い高校生バイト君は、質問の意味がわからない、という顔をして、改めて「ドリンクバーをどうぞ」と言う。ひどく疲れていたので、「ドリンクバーのコーヒー、持ってきてもらえる?」と聞くと、「セルフサービスです」と言う。「疲れてしまって・・・」と言うと、黙ってしまった。迷惑な客だよね、困っちゃうよね、こんな人。結局、一人でコーヒーを入れたけど、それでも確かにこういう時、私は「自己主張の強い・ワガママな人間」の部類に入るんだろうな、と思う。そういう人間になりたい、と思ったことはないのだけれど、そうなってしまうことは多々ある。
そう、私は私をワガママと認識している。それでも私が他人から「ワガママだ!」と責められるのは、思いもよらぬ場合が・・・ほとんどである。
一月前、私は視力矯正手術をうけた。ところが術後の副作用で大変なドライアイになってしまい、日によっては効き目が視力0.5に下がることもある。本を読んでいてもすぐに集中が切れ、コンピュータに向かうのもおっくうに感じる不便さの中にいる。さらに先日、掃除中にうっかり目を強打して、さらに視力が下がるという、最悪な事態になってしまった。時間はかかるが回復する、とは言われているものの、やはり知らず知らずに大変なストレスになっていたのだと思う。先日、診察予約の電話で、私は受付の女性に不安を訴えた。
「この前、診ていただいた先生は、あまり話しも聞いてくれず、大丈夫としかおっしゃらなかった。患者としては不安になります。」
流れ作業的に次々に患者をさばくその病院では、いわゆる担当医というのはいない。患者は自分のカルテを持って指定された部屋の前で待つのである。どんな先生が出てくるかはドアをあけるまで分からない。親身に話しを聞く先生がそろっている病院ではあるのだけれど、一番最近に診てもらった先生は最悪だった。私の目をチラリと機械でのぞき、「だいじょーぶですね」の一言で診察が終わってしまったのだった。「まだ、見えにくいんですけど」というと、「いつまでも目薬に頼ってはいけません」と意味不明に諭されて診察室から出された。
私は心を込めて、電話口で訴えた。
「だから! 話を聞く先生に診てもらいたい。できれば女性の先生に診てもらいたい。今までうけた女性の先生はみんなよかったから!」
それからまた、「すぐにもう一度、診てもらいたい」とも言った。その日は右目がほとんど見えなかったので、「今日、診てほしい」と。すると電話口の女性は、なぜか、ふー、と笑うようなため息と共に、
「今日明日は無理ですね」
と即答するのである。そんなにすぐは予約なんて取れないですよ、と言わんばかりである。私は、再度言った。
「何時の診察でもいいんですけど?」
すると彼女はこう言った。
「ちょっと待ってくださいね。調べますから。ああ、今日の5時だったら、あいてますよ」
なんとなくイヤな気持ちになった。じゃぁ、さっき、「今日明日は無理」と言った時、アンタは、予約状況を調べもしなかったのか、と。そして私はそのまま思ったことを口にした。怒っていた。
「最初に予約状況、調べるべきじゃない??!」
さて。その日、私は病院に行った。カルテをもって、指定された部屋の前に並んだ。カルテは青いプラスチックの封筒のようなものに入っているが簡単に取り出せる。毎回、待合室で待っている時にはカルテを読むようにしていた私は、習慣のようにカルテを膝の上に広げたのだ。そして、驚いた。本当に驚いた。何度も通ってできた分厚いカルテの一番先頭のページには、こんな紙がポストイットではさまれていたのであった。
「不安感の強い我が儘な患者。注意してください。」
それは、この前にはなかったメモ書きであった。今さっき、挟まれたような、”新しい”情報としてそこに堂々と貼ってあった。
そこで初めて気が付く私も私だが、きっとフツー、患者は自分のカルテを読まないのだろう。患者が自分のカルテを読むという前提がないので、こうやって患者の「特質」をカルテに貼ってしまうのだろう。と、そんなことを思いながら、気が付いたら、涙が出そうになっていた。動揺していた。「注意してください」自分がパラノイアでヒステリックで自己中心的で病的な人間に思えてくる。そういえば、私、ファミレスでドリンクバーを拒否した。ああいうのも「我が儘で不安感の強い注意すべき人間」だからなのだろうか。そういえば、私、ビックカメラで右開きの洗濯機を頼んだのに、左開きの洗濯機が来て、いったいどういうこと!? と取り替えてもらったけれど、あれもフツーの人間だったら「まぁ、左開きでもいいか。運送屋さんも大変なことだし」と引き下がるのだろうか、とか考える。
ふと気が付くと、名前を呼ばれていた。希望の通り女性のお医者さんで、よく話を聞いてくれる人のようだった。だが、私は話さなかった。ボーとしながら診察を受け、できるだけ「まともにみえる」ように、そして「不安を訴えないように」余裕ある態度を見せ、専門家の話を子羊のように聞く素直な患者を演じていた。卑屈なくらいに、ありがとうございますぅ、と頭を下げてカルテを持って会計に向かった。”よい患者”にみられなければ、という、今までにない感性が私の中に芽生えてしまったのだった。
冗談じゃねーよ!!!! と正気に返ったのは、会計で次の予約の受付をしている時だった。どう考えても、おかしいじゃないか。患者が不安を訴えるのは当然だし、予約状況をテキトーに流そうとする受付の方がやってること、おかしいじゃないか!!!! 当然のことを言った患者を、なぜ危険人物扱いするの? 猛然と腹が立ち私はカルテから自分で剥がしたポストイットを受付の人に渡した。
「そのカルテに挟まれているメモ、読みました。患者の不安をくみとろうともしないで、自分の考えを言っただけで、危険扱いする病院のスタッフの態度にはとてもガッカリです。さらに、こういうメモを、患者の目につくところに貼るのは無神経すぎない?」
言いながら、なにかイヤな予感がした。そのスタッフは顔色を変えず(フツー、こんなメモ発覚されたら、変えない?)、しかし声だけは深い深い反省の調子でこう言った。
「大変、申し訳ございません。スタッフによく注意しておきます。大変申し訳ありませんでした」
危険な患者をこれ以上怒らせないように・・・・というような態度にしか・・・私には見えないのだった。「要注意」と認定された者が「人権」を取り戻すことの難しさを・・・知った瞬間であった。一度レッテルを貼られた人間が、「以前の私」を取り戻すことの困難さは・・・筆舌に尽くしがたい・・・。私は丁重に、今までにないくらい丁重にその病院から送り出された。
確かに、私はワガママな方だ。基本的に我慢なんてするべきじゃないと思っているし、おかしいと思ったことは言うべきだと思っている。自分のカルテを読むのに許可は必要ないはずだし、調子が悪い患者は、正式に予約する必要すらなく、救急で診てもらってもいいくらいに思っている。病人は不安を抱えるものなのだから、どんなに不安を訴えられても病院は我慢して聞くべきだし、それが仕事であるはずだと思う。不安を強く訴えることが、危険人物であるという発想は、「病院が訴えられるかもしれない」というリスクを考えてのことなんだろうが、その前に、患者の容体を心配するのが病院の正しい姿勢だろうよ。足の悪い客や、疲れた客のために、ドリンクバーじゃないコーヒーも用意されるべきだし、用意されないにしても、顔色の悪い客が頼んだら持ってきてやってもいいじゃないかと思う。色んな思いが錯綜しながら、「ワガママ」という言葉が頭の中をクルクルと巡る。
ワガママの反対語は何だろうか、と思う。
他人を思いやる心?
ないのは、どっちだ、と思いながら。この社会は、ワガママな者にはそもそも大変に生きにくいのではないのかと、今更のように頭を抱えるような思いになる。生きにくいのは、私がワガママだからなのか。