京都教育大学の集団強姦事件
2009年6月18日京都教育大学の男子学生が女子学生を集団で強姦した事件。
大学は「加害者が自殺するかも」と事件を警察に通報せず、集団強姦を「公然わいせつ」と表現し、また容疑者たちのほとんどが「合意のものだった」と容疑を否認し、さらに同じ大学の学生が被害者を中傷する文章をブログに載せたりなどし。あっけにとられるような報道が次々に流れてくる。
スーパーフリーは2003年に発覚したんだった。コンパで泥酔した女性を集団で強姦する男たち。やったことは同じだけれど、加害者擁護の声は、スーパーフリーのときとよりも多く聞こえてくるのは気のせいじゃない。たぶんブログの進化が大きな要因なんだと思うが、「被害者にも落ち度がある」の声は後を絶たない。猥褻。卑劣。おおばかやろう。「レイプする人は元気がある」と言った当時の大臣は、そうだ、今も国会議員であった。
スーパーフリーがあれほど大騒ぎになり、そして誰もが安心して犯人を嫌い憎むことができたのは首謀者の男ワダサンの”おかげ”だったからかもしれない。28歳にもなっても大学に籍をおき続けた男。大学にいたのは、ただただサークルにいたかったから。そして、結局は裁判で全員に裏切られることになるのだが、当時子分のように扱っていた男たちの上に君臨し、女を皆で強姦したかったから。貸し切った"ディスコ”で得意気にMCするワダサンの姿は繰り返し報道された。今回の京都教育大学の学生たちのようにスポーツなんかしていないワダサンには社会が同情するような余地は一切なく、もう安心しきって彼を社会的に撲殺した。事件は、ワダサンの事件、のようであった。
あの事件ですら、同じ大学に通う女子大学生のなかに「被害者にも落ち度がある」というようなことを言う人がいた。「みんなわかってて、コンパに行った。賢い女(私)は、あんなサークルには行かない」 ワダサンを撲殺するのと同じ口で、「被害者だって悪いのよ」と、そういう「意見」はやはりあのときも聞いた。
結局犯人が違っても、そして事件の「衝撃」度が違っても、たとえばそれが痴漢でっても、たとえばそれが出会い系で殺された女の子の事件であっても。性に少しでもからむ女が被害者になる事件で女が言われることは、あまりにも似通っている。そのことだけが、事件が変わっても、変わらない。加害者が違っても、変わらない。加害者の社会的地位や年収や通う大学や家族構成によって加害者の報道のされ方が変わっても、被害者の女性は変わらない。
「あなたも、わかっていたんでしょう」
たとえ「わかって」行っていたとして、何が悪いというのだろう。
セックスが好きで、コンパで会った男の子とセックスしてもいいな、むしろそうなりたいな、という思いでコンパに行く女の子の気持ちそのものが罰せられることなんて、どういう思想だと思う。早稲田の男の子と知り合いたいな、恋愛できたらきっと楽しいだろうな、そういう思いでコンパに行く女の子を責めるって、どういう正義だと不思議に思う。
そんな女の子の「期待」と、実際に力づくで強姦される「現実」を結ぶ線なんて、一切、一切、断じてない。ない、ない、ない。ないのに。
ワダサンという男を不気味がり、おぞましがり、笑い、あほな国会議員の言葉に反応し。それだけでスーパーフリーって、終わってしまったんだな、ってあれから6年たって考える。私たちは、あの事件で、「女の子の欲望」そのものを、まったく無視してた。そのことだけが、ずっとずっと同じなんだ、と。
もちろん、スーパーフリーで被害にあった女性が、また今回の事件の被害者の女性がセックスを欲望していたというつもりはない。ただ、どんな時も性被害にあう女性に向けられる視線の中に、「そはいっても、そういうところにいったら、そうなることってわかってたんじゃない?」という視線が一ミリグラム、一ミリリットル、0.00001ミクロンでも入っているのだったとしたら、こうキッチリ反応しなくてはいけないのだ。
女は自由にセックスをし、自分がいいと思う相手に気軽に股を開いていいんです。男がうじゃうじゃいる空間に行くということは、「そういう期待」をする、ということだって、あるんです。それがなにか? いけないことですか? なんですか? 自己防衛? なぜ私たちが? 自分のチンコ一つコントロールできずに男性ホルモンに支配されている男こそ、まず自身のホルモンからの自己防衛を心がけるべきでしょ? ミニスカート大賛成。胸見せる格好大好き。肉食系女子万歳。男を挑発上等。だけど、したくないことは、したくない。そんな簡単な理屈がなぜこうも通らないんでしょう。
「おもしろいことになってるぞ」
京都教育大学のコンパで。何人かの学生が次々にそう呼ばれて、事件現場に行き、男たちが女性一人を強姦するのをみていたという。次の日、被害にあった女性は大学に行き、そしてまたコンパにも行ったと、そしてそれが「合意の証拠」であったかのようにブログで書いた学生がいたという。(しかも、これは事実ではない。大学は翌日入試で一般学生の立ち入りを禁止していたのだから。)
車に乗っていて、わざと幅寄せされ車を傷つけられた被害者が、次の日車に乗ったからといって責められるだろうか。銀行強盗にあいピストルをつきつけられた銀行職員が、次の日も通常通り働きに行ったら責められるのだろうか。大学に行けないほど傷つき、一生、男と一緒の席でお酒を飲めない被害者が「正しい」被害者の姿だとでもいうんだろうか。たとえば強姦された日に、もし他の男と、自分がしたいと思った男とセックスしたとしたら、彼女が受けた被害は”なかったこと”になるのだろうか。
女の欲望。性犯罪の裏で、まるでないことにされる、女の欲望。都合よく語られ利用される、女の欲望。
こわすぎニッポン。女は、自分のその欲望を注意深く注意深く潜めなくてはいけない。そんなの、もう、うんざりだと、女は絶望しきっているというのに。
※この原稿は19日に一部訂正しています。
被害女性が「翌日大学に行った」ことを、私は「事実」として書いてはおらず、悪意をもった誰かが「合意の証拠」として「被害女性が翌日大学に行った」とブログに掲載した、と書いたつもりでしたが、「女性が大学に行った」ことが事実として流布する危険性を読者の方から指摘されました。その通りだと思います。
追加したのは以下の文章です。
(しかも、これは事実ではない。大学は翌日入試で一般学生の立ち入りを禁止していたのだから。)
北原みのり プロフィール
ラブピースクラブ代表
1970年11月24日神奈川県生まれ千葉県育ち
津田梅子に憧れて、津田梅子のお墓を参る高校時代。津田塾では性教育の卒論を書き、その後、日本女子大の大学院に進む。すぐに挫折して、フリーのライターになる。95年、友人たちとインターネットHP制作会社 有限会社ユミット を立ち上げる。会社の経営をしつつ、ずっとずっと関心のあったエロとフェミの関連のある仕事「マンコ持ちのバイブ屋」を発見。1996年、日本で初めて、女性が経営するセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」を始める。エロ系フェミニストとして活躍中。
著書に「はちみつバイブレーション」(河出書房新社1998年)・「男はときどきいればいい」(祥伝社1999年)・「フェミの嫌われ方」(新水社2000年)ほか多数。
北原みのりブログhttp://www.onnamedia.com/kitahara
北原DJ婆星http://www.bababoshi.com
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