よしもとばなな

2009年12月20日

同世代の友だち2人と食事をしている時、よしもとばななの話になった。

ちょっと前、よしもとばななのエッセーがネットで話題になった。こんな内容だ。

”友人たちと居酒屋で飲んでいる時、一人が持っていたワインを飲むため、店員に「グラスを持ってきて」と頼んだ。その店員は快くグラスを運んで来てくれたのだが、それをみた店長が「それは困る」とテーブルにやってきた。「こういうことを許したら、きりがなくなるから」というのがその理由で、いくらお金を支払うから、と言ってもその店長は取り合わなかった”

これだけで終われば何もなかっただろうが、よしもとばななは続けてこんなことを書いてしまった。

「もしも店長がもうちょっと頭がよかったら、私たちのちょっと異様な年齢層やルックスや話し方を見てすぐに、みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を持っているということがわかるはずだ」(『人生の旅をゆく』幻冬舎)

よしもとばななにそんな叶恭子的一面があったことに驚いた私がまず思ったのは、
「なんで、そんなに天井知らずの自尊心を、よしもとばななは持っているのだろう」
という単純な疑問だった。だって、どんなにキャリアがある女でも、どんなに容姿に恵まれた女でも、どんなにお金を稼いでる女でも、「私には人脈があるのに、あなた、頭悪いわね」なんてことを悔し紛れのその場の叫びとしてではなく、冷静に自分の本で書いちゃう勘違い系コーマンスピリットは・・・なかなか宿らんですよ。で、根拠なくそういうスピリットが肥大しちゃうのが男の病で、萎縮していくのが女の病だと、さんざん言われ尽くしているじゃないですか。
いやー、よしもとばなな、すごいね。
その安定感は、やはり、父親の名前が大きいからなの?
というようなことを私が言うと、その場にいた女友だち(仮にBさんとします)がすかさず、

「そういう人なんですよ。よしもとばなな。前にエトロのパーティで、全身エトロを着て・・・ええ、もちろん、全く似合っていないんですけど、ピーコのファッションチェックを満面の笑みで受けてたことがありますよ」

と言うのである。なるほど、作家に必要なのは客観的に自分を観る力ではなく、自分に酔える力だ。妄想力だ。よしもとばななの自己肯定感は、父にそっくりな容姿を得た故なのか、それとも得たにも関わらず、なのか。なんだか奥深い、いやー、どんな人だよしもとばなな・・・・と私とBさんは楽しく盛り上がったのだった。が。その場にいたもう一人の女友だち(仮にCさんとしましょう)は、笑っていなかった。Cさんは、飲んでいたシャンパンのグラスを握りながら、キッと私たち2人を睨みこう言い放ったのである。

「デブでブスは、エトロのパーティに行くべきではない、ファッションチェックを受けるべきでない、家にいて大人しくしているべきだってこと?」

一瞬、テーブルが静まりかえる。心なしか居酒屋中が静まりかえったような気がした。Bさんがビックリして叫ぶ。
「そんなこと、一言も言ってないですよ」
しかし、Cさんは譲らない。
「いや、そう言った。言ったも同然だ。ブスでデブは、大人しく家にいるべきだ、と言ったでしょう、あなたたち!」

確かに、よしもとばななは、美しくはない。はじめてよしもとばななをメディアで見た時は、あまりにも隆明パパにそっくりで驚いた。作品を何冊か読んだことがあるが主人公の女性がみな個性的で美しくて、考えさせられもした。
よしもとばななが一世を風靡した時私は高校生で、美しくない女の小説ってないのかな、ということを考えていた。自分も小説を書いてみよう、と書きはじめたことがあったが、ブスが主人公になるとテーマが深くなりすぎ、結局そこそこキレイな女主人公じゃないと物語がスムーズに進行しないことにすぐに気がついた。女の容姿を徹底的に表現するか、まったく表現しないか、どちらしかないのであるが、自分の容姿にコンプレックスを持ちながら、美しい主人公のことはシャーシャーとは書けないとも思ったり、しかし自分に似たブスな女を書くことは、コンプレックスをだだ漏れする感じがして怖かった。
というような私には、食うために子どもの頃から書き続けた田辺聖子とか、コンプレックスを隠さない林真理子の容姿には何も感じたことはなかったのだけれど、よしもとばななの容姿には、ちょっと驚いたのだ。どうしてこの人は自分の容姿に一言も触れずにいられるんだろう。それどころか、この人の小説に出てくる女の人はみな死にそうに細く、エキセントリックな美人じゃないか。どうして書けるのか? それが才能というものなのか! 10代で女の美醜に最も興味を持ったあの時代、私にはよしもとばななショック、というのが、あった・・・んで・・・す。
・・・というようことをCさんに話そうと思ったが、声に出そうとすると理路整然とした文章にならない。私が無言でいるなかBさんはものすごく戦っていた。

「いいですか、Cさん、世の中にブス自認のない女なんて、いなんですよ。それが女の病であるということが前提ではないんですか!?」

しかし、Cさんもなかなか頑固で、絶対に譲らないのである。それどころかもう、店中に響き渡るような大きな声で、

「私はブスで、デブですよ。あなたたちは、ブスでデブじゃないですよね。デブでブスな私は、オシャレして笑ってはいけないと、そういうことを言っていますよね?」
とますます声を荒げていくのである
一方でBさんはますます冷製になり、きっぱり、これも大きな声で諭すようにCさんに繰り返す。
「私はCさんをブスでデブだとは思っていません。自分をブスでデブだと思うCさんの自認を私は共有しておりません。付け加えれば、ブス自認は、私にもあります。ブス自認のない女なんて、いないんですよ、Cさん!」
Bさんががんばっている。私だってがんばらなくてはだめだと決意する。
「そうです。私もブスです。女はみんなブスです(意味不明)。なのに、なぜよしもとばななさんは突き抜けていられるのか、それが、わからない」(しろろもどろだ)

嗚呼! 店中の人がこちらに耳を向けているのがわかるよ、痛いよ視線が、痛いよ向けられた耳が。いったいどの世界で、居酒屋で酒を酌み交わしながら、「私はブスだ」「私もブスだ」「いや、私こそがブスだ」と口論する女の集団があるだろうか。しかも互いに自分をブスブスブスと言いながら、どこに着地するともわからずますますヒートアップしていくのだから・・・

「ブスでデブはワルイことですか?」
「そんなこと言ってないじゃないですか」
「わからない。じゃぁ、何を言いたかったの?」
「だから、よしもとばななの自尊心の高さは、いったいどこから来るのかと」
「ほら、言ってるじゃん。ブスでデブは、自尊心を持つべきではないと」
「いや、そんなこと、言ってませんよね? だいたい、ブスでデブ、ってCさんが言ってきた言葉ですよね。よしもとばなながブスでデブだなんて、言ってませんよ」
「言ってない? じゃぁ、なんで私はあなたたちの話しから、ブスでデブはエトロを着ちゃいけないと受け止めたの?」
「知りませんよ、そんなこと」
「言ったからでしょう。父親が有名人で、自分が特別な意識を持つことがワルイことですか? ブスでデブは、そういう意識を持つべきではないと、北原さん、言いましたよね?」
「いえ・・・言ってないと思います」
「私は、ブスでデブですが、自尊心を持ってはいけない、卑屈に生きるべきだ、ということですよね?」
「いえ」
「だから、私もブス自認ありますよ。ブス自認のない女なんていないんですよ」
「あなた、ブスじゃないじゃない」
「いえ、ブスかどうか、他者認定ではないんです。自認なんです」
「わからない」

そんな会話が何分も何分も続き完全に隣のテーブルを凍らせているのに(ほんと、申し訳ない)、Cさんはまだ言い続ける。
「ブスでデブはひっこむべきだ、ということですよね!?」
私は言ってもいない罪で罰せられているのか、それとも言葉に出ていないだけでブス差別をしていたのか、しかしこれはブス差別なのかよしもとばなな差別なのか、なんだか全くよくわからない状況で、私はブツブツと夢遊病者のようにこうCさんにつぶやいていた。
「私は・・・そんな、よしもとばななが・・・うらやましいですっっっつ!!!」

そのとたん、空気が一瞬変わった。パチン! Cさんが、キラッ! としたのである。
「うらやましいの? あ、それなら意味がわかる。うらやましいのね。そういうことね。だったら、わかります。」

えー、当然のことながら、その後の飲みは、なんだかぎくしゃくしたものになった。ブスデブ問題が収束を見せたが、なんとも釈然としない思いを、少なくともBさんと私は抱えつつ帰路についたのである。

ある意味、Cさんのツッコミは正しいのだ。
私もBさんも口に出して「よしもとばななはブス。なのに、自信まんまん。おかしいでしょ」とは言っていない。「よしもとばななの自尊心が高すぎるようにみえるのはなぜか。それは父の名前故か。」という”世間話”をしていただけだが、そういう話題を無理矢理普遍化して単純化すれば、「ブスでデブは引っ込んでろ」というCさんの受け取り方にも一理あるじゃないか。核心を突いているとも言えるじゃないか。
でもでもでも、会話ってそういうもんじゃないというか、そもそも、そういう話ではなかったはずだ・・・とかグジグジモンモンと考えてる。

さらにモンモンとしていくと、「うらやましい」と言ったことでCさんがスッキリしたことも、よくよく考えれば意味不明で、だんだんと腹も立ってくる。なぜ、うらやましかったらOKで、バカにしていたらダメなのか(しかも、バカにしていないし)。”ブスでデブなのに自信満々で羨ましい”なんて、むしろヒトをバカにしている感覚じゃないのか。そして思ってもいないのに、「うらやましいっ!」と言った自分の嘘くささってどーなのよ、とか。ああ、スッキリしない。これって、女どうしで美醜の問題を語り合うのが難しいって問題なの? 私の中の内なる差別やコンプレックスともっともっと向かいあえっていう啓示なの? 

・・・というようなことがあったのよーっ! と後日美人で頭のいい女友だちに話した。どう思うっーーー? とすがるような調子で聞いたのだけど、彼女はそっけなく、キッパリこう言い切った。

「ブスでデブがエトロを着るのは自由だけど、ファッションチェックは出るべきじゃないよ。女優の仕事でしょ、それは。分相応ってものがあるのよ、人間には」

オーシンプル。「美人」を職業にする者だけがファッションチェックに出るべきだ、というのは、超シンプルな価値であります! うんうん、と頷き聞いていると、彼女は続けてこう言った。

「だいたい、一般人がプチ整形とかして美しくなろうとするのも、私はおかしいと思っている」

もしかしたらもっと深い意味で言っていたような気もするが、私は一瞬、え、と思い、は、とあんぐりとし、そしてプチ切れていたのであった。

「なんで? 一般人はブスのままいろと?」

と・・・なんとあろうことか、Cさん調になっている自分がいるのであった。あれれ。
もう、美醜の話、女とはしたくない。もちろん男とはもっとしたくないけど。嗚呼。


北原みのり プロフィール

北原みのりプロフィール ラブピースクラブ代表
1970年11月24日神奈川県生まれ千葉県育ち
津田梅子に憧れて、津田梅子のお墓を参る高校時代。津田塾では性教育の卒論を書き、その後、日本女子大の大学院に進む。すぐに挫折して、フリーのライターになる。95年、友人たちとインターネットHP制作会社 有限会社ユミット を立ち上げる。会社の経営をしつつ、ずっとずっと関心のあったエロとフェミの関連のある仕事「マンコ持ちのバイブ屋」を発見。1996年、日本で初めて、女性が経営するセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」を始める。エロ系フェミニストとして活躍中。
著書に「はちみつバイブレーション」(河出書房新社1998年)・「男はときどきいればいい」(祥伝社1999年)・「フェミの嫌われ方」(新水社2000年)ほか多数。
北原みのりブログhttp://www.onnamedia.com/kitahara
北原DJ婆星http://www.bababoshi.com


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