ページ95(最終頁) 「心のノート あとがき」

『心のノート』の連載も、気がつけば2年半。『心のノート』というタイトルの由来も、私自身、忘れかけていたが、文部科学省の小学校用道徳教本のネーミングから採ったのだった。私がまるで関係ない内容ばかり綴っていた間にも、元祖『文科省版 心のノート』は学校現場から消えることなく、今春もまたピカピカの冊子が子どもに配布されている。何回か、『心のノート』を活用した授業を見学したが、私が見た限りでは、非常に無難に「自分の夢」などを記入させるにとどまる内容であった。教師の“とりあえず感”全開。しかし、紙面いっぱいにメルヘンな挿絵や写真が散りばめられた『心のノート』は、余白への落書きすら許さない。児童と教師ができるのは、わずかに残された記述欄に閲覧可能な夢を記すことのみ。この緩やかな強制、柔らかな弾圧こそが、ニッポンの道徳教育。『L.P.C版 心のノート』では、性欲から時事ネタ、職場の愚痴やら英語コンプレックスなど、まるっきり節操のない内容を記してきたが、この自由こそが、実は「アンチ・文科省 心のノート」としての政治的戦略であったことがおわかりであろう(ホントか?)。

さて、先週末。新聞の第一面には「マム」とつぶやく米大統領ブッシュ。北朝鮮拉致被害者家族 横田さんの訪米に、心を動かされたという。「米国は人権を尊重し、自由社会を実現することを強く保障する」と、拉致問題解決への協力を約束した。なんてウソくさい・・・と鼻白む私とは裏腹に、マスメディアでは“母の愛”が世界を動かしたと大絶賛。確かに、横田さん自身は、母親として娘を助け出したいという一念で活動しているのだろう。しかし、“マムコン(旧 マザコン)のブッシュ”が涙したというストーリーは、ピュアな大統領のアピールにすぎない。母親礼讃もイヤラシイが、結局はその母親という存在を利用する男たちもアサマシイ。拉致問題など、ブッシュはとうの昔から知っていて、あっさりと黙殺してきたではないか。マムの愛とやらに心を動かされるのであれば、戦争で息子を失ったマムの気持ち、レイプされた娘をもつマムの気持ちに、ほんのわずかでも心を寄せたことはあるのか。オカンを利用するのは、もうやめてくれ。そして、わずか数日後、突然の日米安保協議委員会による在日米軍再編の最終報告。・・・絶句である。兆単位のお金をお支払いし、米軍基地を移設して戴くのみならず、「一緒に戦おう」と仰られても。「人権の尊重」「自由社会を実現」って、どういう意味でしたっけ? カアチャン、私は涙が出るよ。

そもそも、「マム」なんてつぶやきニュースで、あっけなくかき消された岐阜の中2女子の殺害事件。またも子どもを狙った犯罪か! さらには少年事件か!? と社会がどよめいたのはわずか数日。加害者は“元カレ”かつ品行不公正、被害者のブログは“バカっぽい”。それが報道で流されてからは、あっけなく「くだらない犯罪」の烙印を押され、コメンテーターの解説も冷やかになった。加害者である高1男子が、他の女子を妊娠させたことがあるとか、犯行現場にはタバコの吸殻があったなど、この二人が「ヤッてた」「スッてた」ことをほのめかす情報が流れてからは、この出来事の事件性すら薄れ、この二人の問題性だけが取り上げられた。子どもが巻き込まれる犯罪にふだんあれほど涙する人々も、今回は誰も悲しむ様子がない。彼らが言う「子ども」とは、あくまで純粋無垢で、なんの落ち度もない無力な子どもを指しているのだ。しかし、ノコノコとあやしげな溜まり場に出向いていった女子は、殺されても仕方がないくらい愚かなのだろうか。つきあいのあった仲間のところに出かけていっただけで、殺されるのは当然なのか。恋人に殴られ、殺される女がどれだけいるか。それを考えると、私はこの事件が単なる“おバカなふたり”の問題とは思えない。

ここ数年で、「上流社会/下流社会」や「勝ち組/負け組」など、社会の二極化を指摘するコトバがたくさんつくられた。これは年収や学歴の問題だけではない。「ヨイコ/ダメコ」の区分があからさまになった。ヨイコの死は、人々に嘆き悲しまれ、人々は心のケアを受ける権利を得る。かわいい子どもの死は、いつまでも「ヨイコ」として語り継がれ、それ以外の語られ方を許さない。また、救出されたヨイコは、決してダメな人生を歩むことが許されない。一方、ダメコの死は、人々に嫌悪感をもたらし、ダメの烙印を捺され続ける。ダメコの母親の悲しみすら、許されない。オトコに殺されても、そんなオトコとつきあうオンナはすでにダメコなのだ。純潔を保たないオンナの死に、同情を寄せる価値はない。ブッシュは決して、レイプ被害者の母親を「マム」とは呼ばない。

新聞をめくれば、こんなうんざりする出来事ばかり。ほのぼの動物ネタに目を向ければ、「放鳥コウノトリペア 卵見捨て逃避行」(読売新聞:5月5日)。人工巣で産卵されたコウノトリの卵を、親鳥が抱卵せずにいるらしい。ひなが孵るには、親鳥が卵を抱いて温める必要があるそうで、最初はオスとメスが交互に抱卵していたが、途中で止めてしまった様子。しかし、掲載された親鳥2羽の写真には「電柱に止まっているのがメスで、右側が巣塔」。メスのみ指名手配のごとし。一緒に写っているオスは、翼を広げて飛び立つ雄々しいショット。メスの責任放棄を訴える記事のよう。さらに、「紀子さまとお子さまと同じ年に、ひなが生まれると期待していたのに」という市民の声も紹介。意味がよくわからない。思わず、コウノトリ(メス)の写真を眺めながら、「・・・マム」とつぶやく私であった。

お読みいただき、ありがとうございました。
『心のノート』おしまい (のさちーぬ)


INDEX
[2006/05/05]
ページ95(最終頁) 「心のノート あとがき」
[2006/04/29]
ページ94 いまどきのジェンダー
[2006/04/20]
ページ93 ぽか・えろ
[2006/04/13]
ページ92「Pの秘密」
[2006/03/31]
ページ91「どういう関係?」
[2006/03/24]
ページ90「春」
[2006/03/16]
ページ89「仕事人生?」
[2006/03/02]
ページ88 もったいなくない
[2006/02/24]
ページ87「白1本」
[2006/02/16]
ページ86「美と金メダル」
これより前のコラムを見る
▼コラム一覧へ戻る  ▲topへ