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イブ決戦
18.01.09 by 昌浩子
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TALK AOUBT THIS WORLD! フランス編
首相にビンタを食らわせた女
17.12.25 by 中島さおり



 1968年11月7日、ベアテ・クラースフェルドはジャーナリストとしてドイツ国会に侵入し、時の首相であったクルト・ゲオルク・キージンガーに平手打ちを食らわせ、「キージンガー、ナチ、辞任しろ!」と叫んだ…

 世界的に有名な話だそうだが、1968年に子どもだった私にその記憶はない。12月にパリのホロコースト記念館(「メモリアル・ド・ラ・ショアー」)で始まったナチ追跡者ベアテとその夫セルジュ・クラースフェルドの足跡を追う展覧会のガイド付きツアーに、ユダヤ人の夫に連れられて行って初めて知った。

 私は、国会で首相が民間女性に平手打ちを食らわされるという場面に心底、感心してしまった。想像のなかで日本の首相や閣僚などに首を入れ替えてみて、誰かやってくれたら胸がすくかもしれないと思ったが、現実的には思えなかった。

 ベアテはこれで1年間、服役することになった。キージンガーはもちろん辞任しなかった。パフォーマンスにしかならなかったそんな行動を自分がするかと言われたら、英雄的精神に欠ける私はきっとしないだろう。
 しかし、ベアテの平手打ちにどれだけ意味があったかと問われれば、それはかけがえのない意味があったと私は断言できる。ナチスの高官であった者が戦後のドイツでも高官であることは許さないという意思表示を、ドイツ人たちを代表してしたのだから。彼女が「私は愛国者だ」「私は、歴史的・倫理的責任感から行動している」と言うのはそういうことなのだ。

 ベアテは1939年生まれのドイツ人で、60年代初めにオペア留学したパリでユダヤ系フランス人のセルジュ・クラースフェルドと出会う。セルジュは歴史学者で弁護士。父親をアウシュビッツで亡くしている。セルジュと結婚したベアテは夫とともに、ナチスの責任ある地位にあった者たちが逃亡し隠れて生きているのを見つけ出し、裁判にかける活動に身を投じる。

 彼女が追及した元ナチス高官のなかには、ドイツ軍占領下のパリで1942年7月に行われたユダヤ人大量強制移送の責任者だったクルト・リシュカ、ボルドーのユダヤ人強制移送を指導したヘルベルト・ハーゲン、ゲシュタポのリヨン地区責任者として大量のレジスタンス闘士とユダヤ人を殺し、強制移送した「リヨンの屠殺者」、クラウス・バルビーがいる。

 クラウス・バルビーは、アメリカが冷戦下での利用価値があると判断したため、ニュルンベルク裁判で裁かれず、アメリカ陸軍情報部隊の工作員となり、それを知ったフランスが引き渡しを要求してもアメリカは拒否し、南米に逃がした。フランスに引き渡されたのは戦後40年もたった1983年で、1987年に終身禁固刑を受けた。ドキュメンタリー映画もあるから、知っている人も多いかもしれない。




 私は1980年代の終りにフランスに来た。以来、戦争犯罪者が見つかった、裁判にかかった、というニュースは繰り返し耳にした。自分の死亡広告まで出して逃亡していた「リヨンの処刑人」ポール・トゥーヴィエは1985年に捕まっていた。
 戦後、長い間、フランス人はみんなドイツの占領軍に対して抵抗していたかのような「レジスタンス神話」が支配していたのを、クラースフェルド夫妻のような人々の活動が実を結び、対独協力の歴史が若い人々に意識され始めた時代だった。トゥーヴィエは1994年に人道に対する罪で無期懲役が確定した。
 モーリス・パポンはレジスタンスに協力したとも言われて戦後も華々しいキャリアを誇っていたが、80年代になって、対独協力政府ヴィシーの下でジロンド県の事務局長としてユダヤ人の強制移送に協力したことを告発され、1997年に人道に対する罪の共犯で10年の禁固刑に処された。

 こうして改めて振返ってみると、同じ時期に、私の母国日本では、戦争犯罪者が新たに見つかって断罪されたなどという話はとんと聞いたことがない。
 バルビーと同じように戦争中も高官だったのにアメリカに利用価値を認められて巣鴨プリズンから出してもらい東京裁判を免れたという岸信介は、戦後、首相を勤めて追及されることもなく生涯を全うしたし、731部隊でありとあらゆる残虐な人体実験をした人々も戦犯に問われたことすらなく、後世に糾弾されもしなかった。

 戦犯は逃げる必要もなくそこにいたが、誰にも糾弾されなかった。ナチスの残虐行為をあばいたニュルンベルク裁判と、戦争を始めた責任が中心になった東京裁判の質の差が、その後の両国民の戦争責任への態度を異なったものにしたかもしれない。
 ナチスが組織的に行ったホロコーストと日本軍が行った戦時下の逸脱した暴力が全く同一には語れないという議論もできるかもしれないにしても、日本軍の行った残虐行為がここまで追及を免れるというのは、異様ではないかと私は思う。731部隊の組織的、計画的な人体実験が「人道に対する罪」を逃れられるとは普通の感覚では思えないし、一日に何十人もの相手をさせられたという従軍慰安婦にしたってそうだ。

 ホロコースト記念館の展覧会は「記憶の闘い1968年〜1978年」と副題がつけられている。1968年はベアテがキージンガー首相にビンタを食らわせた年で、1978年はセルジュが『フランスのユダヤ人強制移送の記録』を出版した年だ。
 セルジュは、強制移送されて亡くなった人々を個別の死として取り戻すため、一人一人の記録を集めた。名前、写真、生年と没年、生きていた場所… 記録されること、記憶されること。死者の痕跡がまだ残っているうちに、それをした偉大さを私は感じた。

 いまや戦争経験者も日に日に亡くなって行く。被害者も加害者も、もうすぐこの世から消えてしまう。日本人が先の戦争における過ちと責任を明らかにして、過去の亡霊と決別するためには、もう遅過ぎはしないのか。
 ホロコースト記念館で、たった一人、私はそんなことを考えていた。

プロフィール
中島さおり
中島さおり(なかじま・さおり)
エッセイスト・翻訳家
パリ第三大学比較文学科博士準備課程修了
パリ近郊在住 フランス人の夫と子ども二人
著書 『パリの女は産んでいる』(ポプラ社)『パリママの24時間』(集英社)『なぜフランスでは子どもが増えるのか』(講談社現代新書)
訳書 『ナタリー』ダヴィド・フェンキノス(早川書房)、『郊外少年マリク』マブルーク・ラシュディ(集英社)『私の欲しいものリスト』グレゴワール・ドラクール(早川書房)など
最近の趣味 ピアノ(子どものころ習ったピアノを三年前に再開。私立のコンセルヴァトワールで真面目にレッスンを受けている。)
PHOTO:Manabu Matsunaga