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TALK ABOUT THIS WORLD! インド編
インドで無事に出産しました!



こんにちは!第二子を出産する為に産休を頂いて、西インドはハウラーという街に来ております、江夏でございます。

何だか、昔からの友人に向けたお手紙の書き出しみたいになっていますが、私は元気です。

元気といえば元気なんですけどね、それがですね...インドに着いて2日目で、生まれちゃいました。

ということで、今回は我ながらまさかこんなタイミングで綴る事になるとはと思いながらも、インドでの出産について書かせていただきます。

「インドで出産をする」

この決断を伝えた時に、それを聞いたほとんど全ての方からまず最初に返ってきた言葉が「何でわざわざインドで産むの?」「日本で産む方が絶対に安全だと思う」「こわくないの?」といった疑問や心配の言葉でした。

そうですよね。何の説明もなしにいきなり「妊娠後期にわざわざ飛行機に乗ってインドへ渡り、出産します」って聞いたら、私もきっと最初に出る言葉は「何で?どした?」かもしれません。

唯一、母だけは始めから「そうか。そういう覚悟を決めたのなら、お母さんはそれをどうサポート出来るか一緒に作戦を立てようね」という言葉を返してくれたけれど、この言葉を母の立場から娘に返すには、本人と同じ、またはそれ以上の覚悟が決まっていないと出ない言葉ですよね、きっと。

どんな思考回路で「インドで産む」という決断に至ったかは後ほど整理してみようと思うのですが、とにかく、インドで産むという覚悟を決めて産休を頂いて、予定通りにインドはコルカタにたどり着いたのですが。

それがですね...インドに着いて2日目で生まれちゃいました。

あまりに濃厚な毎日で衝撃体験の連続ですが、今回は出産編でございます。出産までの準備やインドの産院事情、産後ケアなどなどに関しては、また後ほど。もうね、日本で長女を出産した時とは余りに違い過ぎて、「ちょっと聞いて〜!」とウズウズするような世界でございます。...今のところは、ね。

OLIVEで、たくさんの方に安産を願って産休へと送り出して頂いてから今日まで、何だかもう何ヶ月も経ったような気がしてしまいますが。

6月10日。利用する航空会社の独自の規定で、妊娠後期に入ってから飛行機に乗る場合、乗る日から数えて3日以内に医師から搭乗可能だという診断書が必要なのですが、妊娠34週目ぴったりの日に、今の時点で母子共に健康でお腹の中の子どもの位置も正常、体重2230g。飛行機搭乗オッケーというお墨付きを貰って、第1関門クリア。

6月12日。出発の朝にバタバタしながら何とかまとめた荷物を持って、成田空港へ。医師から貰った完璧な診断書がまるで水戸黄門の印籠のように働いて、チェックイン時や飛行機の乗り換え時の普段は面倒くさい業務をササッと通してもらい、飛行機の中でもお腹は張ることなく、万が一飛行機の中でお腹が張り始めた時にと御守り代りに貰っていた薬も全く飲むことなく、同日の深夜にインドの家族の元に無事到着。

6月13日、早速現地の英語が通じる医師がいるっていう産婦人科にて、日本の医師から作って貰った診断書と母子手帳(英訳しておいた)を見せながら、出産する予定になるNICUなど近代的な医療設備が整った施設への紹介状を作って貰う。

次の日はそこで、血液検査やエコーなど日本と変わらないような妊婦健診をして、出産予定日までの作戦を立てるらしい。でも始めの産婦人科へは15日後にまた来てね、とか。

でもね、何といいますか、歩くと、何となーく骨盤周りの靭帯が緩み始めたような、骨がゆーっくり開きつつある感覚があってね、多分この子も長女と同様に早めに生まれるような気がするなぁっていう予感がする。

6月14日。午後に家族付き添いで病院行くからって、ラマダン中に家族が毎日しているお祈りってやつが終わるのを待ちながら、別室でゴロンと横になって長女が宿題をする様子を見ていたらね...

ちょうど「よし!今日の宿題は合格!よく出来ました!」って言うと同時くらいに、膣付近が内側からパンッ!てピンポイントで蹴られたような破裂の衝撃があって、
「あ、これはいけないパターンだ」って直感。

起き上がると床に血がポタポタ落ちるくらいに多めに出血。

長女ビックリ。この時近くにいたのは5人の女性たちと長女の他に子供が2人。みんなビックリ。

すぐにお祈りしてた義姉さんや姪達を呼んで、そこからみんなで旦那くんに電話したり車を回せるように手配したり手分けしてバタバタ。

義姉さん、出血の様子に焦ってハァハァ涙を流しながらも、お祈りの言葉を口ずさみながら私をガッチリ掴んで「行くよ!」と同行。

4人も出産した経験があるからこそ、出血の様子と胎児の週数を知っててこりゃマズイと思ってたんだろうね。

とにかく、タクシーや車の到着など待たずに目の前にいたサイトリクシャーを捕まえて、まずは出産施設に着く途中にある別の施設に急行して、エコーで胎児の様子を確認。

ものすごく速い手際で胎児の心音を確認して、体重は2600gプラス、よし、この紙を持ってこの先の病院へ急げ!って今度は通りすがりのオートリクシャーをつかまえてダッシュ。

この移動中にも今思い出すとニヤけるハプニングが起きたけど、これもまた後ほど。それどころじゃなかったからね。

私はと言えば、自分の身に迫りつつある陣痛の間隔と痛みの強さが少ーしずつ本番に向かうのを感じつつ、ついさっきエコーで聞いた赤ちゃんの心音と、医師の2600g以上!っていう言葉、それから出血の様子を見て、もう今これから生むしかない、生んで、さっき聞こえた心音を医療のプロに繋いで貰うしかない!って覚悟が決まっていたんだけど、今だからこそ言える、もしかしたら最悪の事態にも直面する可能性もチラつきつつ、それでも今からお腹から出すから必ず生きようね、ベビー!っていう思いで病院を目指した。

義兄さん、義姉さんは大焦りしながらもとにかく迅速に動いてくれて、病院へ到着。

心配すぎて泣きながらも横で私を支えて歩くのをサポートしてくれてる義姉さんに、「お姉ちゃん、大丈夫だよ、大丈夫だから」ってなぜか私が言いながら車椅子に乗せられて分娩室の隣の部屋のベッドに寝かせられて、

すぐに女医さんが現れて(あ、めちゃくちゃ賢そうな美人だって思った)私の様子を確認して、冷静な様子で分娩の準備スタート。

病院に着いたのは15時15分くらい。

その間にも陣痛の間隔がどんどん狭まる。

このまま生む覚悟は決まってるのに、激しい痛みの陣痛がきて悶絶するたびに「ああ、私ったらまたこんな痛い思いをする出産に挑んでる...そうだった、この逃れようのない痛さ、本当にヤダ...」ってふと思い、陣痛の波が一旦収まるとまた頑張らねば!って心の帯を締めなおし、また陣痛が来ると「ぐわー!挫けるな私ー!ベビー頑張れー!」の繰り返し。心の中が端から端へと大忙し。

看護師さんたちは傍らで、割と和やかに作戦会議風。

急患だったから、陣痛の波の間に女医さんが話しかけてくる。
「貴方の名前は?」

「カーン エナツ ミカ」

「ミカね。はじめまして。今回が初めての出産?」

「いや、長女がいます」

「そっか、何歳?」

「5歳」

そしてまた陣痛の波、ぐわー!

痛みが収まるとまた話しかけてくるから私からも名前を聞いてみた

「ドクター、貴方の名前は?」

「ドクター レベッカよ」

「え、レベッカ?インドっぽくない名前ですね。どうして?」

「さぁね、私のお母さんに聞いて(ニッコリしてウインク)」

ウ!ウインクしたっ!

そしてまたぐわー!いだいいいい〜!

そうこうしているうちにギュイ〜!ってベビーの位置が一気に下がり始めたのを感じて、少し離れた場所にいたドクターに「レベッカー!ベビーが出る〜!!」って叫んで呼ぶ。

で、もはやすぐに生まれるのを確信したらしく今から隣の分娩台に移動って言うんだけど、「ムリムリムリ!歩いたら生んじゃう!ムリムリムリ!」

ドクター「大丈夫!無理じゃない!私がいるから!」

で、ガシッと腰や脚を支えられて何とか分娩台にゴロン!

さっきまで和やかに私の陣痛のぐわ〜!を見てた看護師さん達も慌ててエプロンやらビニール手袋をバサバサ、パチンパチンって装着し始めたらベビーの下降が一気に加速して、分娩台に乗ってまさかの10分で出産。

骨を砕きながら内臓の大半が一気に外に出る感じ...「生む瞬間の感覚ってそういえばこんなだったなぁ」って、朦朧としてるんだかハッキリしてるんだか分からない意識の中で、何となくベビーが「フニャア」て泣いたのを聞いて、一気に脱力。

「ミカおめでとう、女の子が生まれたよ」って言われた後にベビーがどこかへ連れて行かれた気配を感じて無事に命が繋がるのを祈りながら、後産の処置を受ける。

気が付いたら着替えさせられてて、違うベッドに寝かせられていて、
私の状態はすこぶる良好、普通分娩。

ベビーは6月14日16時30分過ぎに2680gで生まれて、身体は問題ないけど、出産の時に私の血液を飲み込んでしまって上手く泣く事が出来ていないから、今NICUに入って飲み込んだ血液を洗浄して自分で呼吸が出来るか確認してるよって言われた。

2017070401.jpg 見守るしかない。


同日6月14日の夜までにはベビーが飲み込んだ血液も綺麗に洗浄出来て、15日の朝には呼吸を補助していた器具も取り外して自分で呼吸してミルクを飲み始めたのが確認出来て、健康状態にも異常なし、このまま24時間様子を見て問題が無ければ退院の目処が立つよ。私に関しては16日には退院して大丈夫だよって言われた。

それを日本の家族に連絡したくて私の携帯を預かってくれてた家族に「私の携帯は?」って聞いたら、「慌ててて水没させちゃった」

な〜にぃぃぃ〜!?大事な連絡手段を水没させただぁ〜!?

ってガックリしたけど、しょうがないね、緊急事態だしね、私が持ってても同じ事したかもしれないしね、とにかく私もベビーも自分で息してるし生きてるしね。

病院食もがっつりインド料理だったり、チャイタイムがちょこちょこあったり、サリー姿のお世話係がいたり、警備服を着てたり、掃除専門の人がいたり、ドクターもサリーや民族衣装だったり、部屋に付いてるテレビで何故か料理番組を一緒に見たり、スマホを取り出してアメリカにいるっていう自分の甥っ子たちの写真を見せてきたり。たった3日間の間の彼女達とのやりとりも面白かったなぁ。後で書けるかな。

2017070402.jpg 2017070403.jpg
↑全部野菜で出来ています

2017070404.jpg
↑チャイとビスケットタイム

16日夕方には母子共に退院。...の許可が出たのにお迎えに来てくれるはずの家族が退院予定時間から大幅に遅れて到着した為にもう一晩入院決定。

そして17日改めて母子共に健康状態良好で無事に退院。

まだ始まったばっかりだけど、びっくりしたなぁ、もう。

そしてこの写真はね、入れ替わり立ち代り部屋にお世話に来てくれるスタッフの皆さまの1人がメモに書いてくれたメッセージ。

2017070405.jpg

「ありがとう。おめでとう」

私の方こそ。救ってくれてありがとう。

ホントにまだ始まったばかりだけど。

さて、次は日本とインドの家族両方を巻き込んでベビーの名前を決めて出生届や国籍取得。多分また何か起きるだろうけど心配しないでくださいね。

と、間に起きた色々なエピソードを端折りながらもここまでが出産劇。

予想外の事が起きるのが出産。分かってはいたけれどやっぱり予想を超えてきましたね。

でもね、私としては、「インドで出産」も決して突拍子もない事に挑んでいるつもりはなく、むしろ今回は、私、娘、夫、日本にいる家族、生まれてくる子の状況などを踏まえて、私なりに色々な出産前後のパターンを想定した結果、これはインドで産むのが1番だと判断したのです。

どんな思考回路だったかというと、

,匹海能仍困靴茲Α東京、または実家の山口県で里帰り出産?

東京で産む場合、我が家の家族構成は私、夫、5歳の長女の核家族。車は無いので産院への移動手段は公共機関のみ。

そしてこれは長女を出産した時の経験なのだけど、妊娠32週の時に切迫早産の危険で予期せぬ3週間に渡っての緊急入院になり、この3週間を病院で的確安全に守っていただいたお陰で長女は早過ぎる週数での出産の危機は脱したものの、結局出産予定日の3週間前の夜中に産まれてきたのでした。あの時は、夜中だったけど、実家にいたので両親が迅速に車を出してくれて安全に病院に着き、すぐにお産に入れた事にも救われたのでした。

そしてこんなに大幅に予想外の事が起きるのが出産なのだと思い知ったのです。

東京で生むなら1番のサポーター役になる夫は、私の代わりに長女を毎日幼稚園へ送り迎えするのに加えて、いつどこで始まるか分からない出産のサポートや、予定通りの日に出産出来たとしても出産直後私が数日入院中の間、長女の社会生活を守ることは難しいだろう。そもそも長女を幼稚園まで毎日送り迎えするならば彼の職場の方の理解と仕事時間のシフトを短時間に切り替えるなど、周囲の協力が得られなければ難しい。
つまり彼1人だと緊急事態が起きた場合のリスクが大きすぎる。

そこで私の母親が一ヶ月なら仕事をお休みして実家から東京に来るようにできると言ってくれたけれど、母の身体のコンディションも踏まえて、土地勘もなく慣れない東京で、長女の時のようにもしかしたら出産予定日から6週間も早く入院や出産が始まってしまったらと考え始めると、お仕事を休んで作る1ヶ月という期限付きのサポートを、最も助けが必要な出産直前直後にピタッと当てはめるのは運任せな部分が大きい。

母のサポートを当てにしていたが予想外な事が起きてタイミングがズレた場合、産後直後の身体で長女の社会生活や毎日を守りつつ新生児の育児が出来るか...難しそうだ。

という事で、東京での出産は優先順位を下げておこう。

△犬磴◆長女の時と同じく実家山口県で里帰り出産か?だとしたら、長距離移動のリスクも考えて少なくとも産前一ヶ月前には長女を連れて移動をし、産後も少なくとも一ヶ月は身体の回復に時間が必要。

この2ヶ月の間に、幼稚園をお休みさせて一緒に連れて行く事になる長女の主な遊び相手はおじいちゃん(私の父)。おばあちゃんは日中はお仕事だからね。

元気いっぱい過ぎるくらいエネルギーの塊の5歳児と、孫は可愛がってくれるけど、普段は家で黙々と絵を描くおじいちゃん。

2ヶ月か...5歳児と室内型じいちゃんのパワーバランスが悪過ぎる。

想像すると、2ヶ月後にはパワーを持て余した5歳児と、疲れ果てたおじいちゃんの姿が目に見えるようだわ。

うーむ、環境やタイミングにもよるだろうけど2人目の出産はこんなにも事情が変わるのか。

里帰り出産案も、決め手に欠けるな。

てことは。

インドか?インドに渡るまでの飛行機移動のリスクがあるけれど、そこさえクリア出来れば、インドの大家族の中に飛び込む方が、サポートしてくれる人手を確実に確保出来るのでは。

だってね、家には常に専業主婦である義姉さんや姪たち数人がいるし、
緊急時に心強い男性陣もいるし、何より、家族全体で30人近くいる甥や姪が、長女のパワー全開の遊び相手になってくれる確信がある。同じくらいの歳の子も5〜6人いるしね。

長女が同じくらいの歳の子供たちの中で全力でパワーを発散出来て、私も出産育児に専念出来て、しかもインドのイスラム世界で生きる女性の世界を、出産という形で経験してみる事が出来るなら、イスラムの家族を持って生まれてきた娘たちの母としても今後の為に大きな学びになるのでは。

と、こんな思考回路から弾き出した答えが、「インドで出産」だったのです。

覚悟は決めていてもびっくりしっぱなしですが。

そして、出産後すぐに本格的なモンスーンの時期に突入し、道が水没して小児科への道が閉ざされたり、ムスリムならではの育児を目の当たりにしたり、私からすると衝撃の連続な産後ケアが始まったりと、既に新たな出来事がどんどん起きてはいますが、改めて、命を懸けて良かったと言える経験をしています。

という事で、今日もインドで母子共に生きております!

ではまた、来月。

プロフィール
OLIVE
カーン・江夏・未花
OLIVE エスティシャン
幼い頃から、絵を描いたり雑貨を作ったりと、「モノづくり」がとにかく大好き。 と、同時に運動も大好き。バスケットボール部で日々汗をかきながら、美術部に在籍し、デッサン教室にも通う学生時代を過ごす。
芸術とデザイン、アートを学ぶ「モノづくり」の分野の大学在学中に、勉強の一貫として訪れることになったインドにて、伝統のボディーアート「mehendi(メヘンディ)」と出会う。
そこからメヘンディの世界に魅せられ続け、ベリーダンスのショーや、インド料理屋、ギャラリーなど様々なイベントの中でたくさんの方々にメヘンディを施すうちに、より美しくボディーラインを見せることにも興味を持ちはじめる。
自らも、数々の失敗の末にマイナス18kgというダイエットの成功を経験し、美容と健康の分野の大切さを実感しながら、子育てママとして、エステティシャンとして、ボディーアーティストとして、日々奮闘中。
学生時代に出会ったインドとは、関わって今年でちょうど10年目。
何故だかインドの人と結婚することになり、更にディープなインドの姿を見ることになって6年目。毎年のように訪れるインドで、家族としてイスラームな文化も間近に見ながら、インドでもエステ研究を楽しんでいます。