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17.01.11 by 田房永子



 去年の10月半ば、ネットで話題になっていた「戸塚ヨットスクールの幼児教育の動画」を見た。戸塚ヨットスクールが2016年の今、幼児教育を始めた、っていうニュース番組のVTRである。
 大人の男が、3〜4歳の子どもをポーンと海に投げ入れる。パソコンに向かって「おいぃぃ!!!何すんだ!!!」と叫んでしまった。見終わっても、心臓がバクバクし続けた。
 動画には戸塚宏校長のインタビューもあった。「幼児期に甘やかすとその問題児になる」とのこと。ヨットの上に立てない幼児(恐怖心を持っている)には、「立たないともっと怖いことが起こる」という恐怖を与えると、「立てない恐怖」が克服できる、みたいなことを言っていた。
 数秒間のインタビューじゃ分からないのは当たり前だけど、戸塚校長の言う「将来の問題児」って一体、どういう状態の人のことを指してるのか? 問題児化させる甘やかし方って一体どんな内容のものなのか? 恐怖をさらなる大きな恐怖で克服できたとしても、次のさらなる大きな恐怖へ心はどう処理するのか? ザックリしすぎてて分からない。
 もっと知りたいと思い、戸塚ヨットスクールについての本をネットで注文した。

****

 数日後、注文していた「試練の海にわが子をかけて―戸塚ヨットスクール体験者の母の手記」(1983年発行)が届いた。
 著者である「夫を亡くし、二人の息子を育てる『負けず嫌いな性格』のみち子(38)」が、長男の光晃(ミツアキ・15)を戸塚ヨットスクールに入校させる手記である。

 〜あらすじ〜
 中学二年から、学校や親に反抗的な態度をとるようになってきた光晃。「悪い仲間」と付き合い出して、太いズボン(ぼんたん)を履いたり、赤いマスクをつけたり、金髪に染めたりし始めた。「このままじゃ大変なことになる」と思い詰めたみち子は「マトモになってもらう」ために中学校を休ませ、何ヶ月か戸塚ヨットスクール(以後、スクールと表記)へ入れることを決意する。だけど、スクールは死人出ていたりヤバめなところだとも知っているから、スクールについてめっちゃ調べるみち子であった。
 光晃には内緒でスクールのスタッフを自宅に乗り込ませることにした。泣いて暴れて抵抗する光晃をスタッフは連行していった。
 そして到着した途端に頭を無理矢理刈られ、坊主にされる光晃であった。
〜あらすじ 了〜

 刑務所で坊主にする時も、もうちょっと段階踏むんじゃないかなーと思った。逮捕から坊主(刑務所)まで時間があるはず。家から突然連行されて数時間後に頭刈られるってすごすぎるな。。。と思った。

 その後、みち子は、今頃ヨットに乗って冬の海に入っているはずの光晃を思い、自分も冬の海に入り、極寒の海水に下半身をつけるのであった。
 「狂ってしまった光晃」をなんとか「直す」ために、どんどん自身が狂っていくみち子の様子が半端ない。

 しかし、みち子が海に浸かっているその頃、光晃は、胃の調子が悪く病院に連れて行かれ、十二指腸潰瘍と診断されており、それが回復するまでヨットには乗れないということになっていたのだった。<ちなみに別の資料によると、戸塚ヨットスクールに入校させられた途端に十二指腸潰瘍になる子どもは多発していて、それが死因になっている子どももいる。十二指腸潰瘍って一般的に、ストレス過多で起こる病気とされている。私も高校2年の頃から成人して実家を出るまで、十二指腸潰瘍の薬を飲み続けていた>

 「光晃の病気、必ずお母さんが直してみせます!!」と手記るみち子。
 いやいや、あんたが戸塚ヨットスクール入れたから急性の潰瘍になったんだろが。

***

 電車の中とパン屋さんのイートインの座席で、「試練の海にわが子をかけて―戸塚ヨットスクール体験者の母の手記」の続きを読む。
 本に仕上げてる人(宇津木という編集者)は、みち子の手記の他にも、淡々といろんな人の証言を載せている。体罰の是非も特に言わず、スクール批判をするわけでも擁護もなく、子どもをスクールに入れる親の気持ちに寄り添いながらもその親の様子を「半狂乱」とちゃんと書いたり、すごく読みやすい。

 スクールが出来上がった経緯についての記述も、興味深かった。近所の名士たちが「記念の年だから海でなにかイベントやろなきゃ」「ヨット余ってるしどうしようか」って話している時に、ちょうど戸塚宏(ヨットで優勝して有名人だった)が現れ、ちょうどいいってことで講演してもらうことになり、それと一緒にじゃあ子どもがヨットに乗るイベントもやりましょう、って感じで始まった、と書いてあった。

 みち子の狂いっぷりは止まらない。途中で「親の私も同じ体験をしなければならない」と言い出して、光晃をスクール(全寮制)からやめさせ、全寮制のN高校(浜田雅功が通っていた、刑務所よりもキツいスパルタ教育で有名な高校のことだと思う。今はもうそのスパルタはやってないらしい)に入れて、その代わり自分が戸塚ヨットスクールに入る決心をし、会社をやめようとしていた。周りの人たちに止められて断念するみち子。

 光晃の中学校の友達は、光晃がスクールに入れられたことを知らないので、家に電話をかけてきて「光晃くんいますか?」「どこにいるんですか?」と毎日のように聞いてくる。とてもいい友達に恵まれてると思うんだけど、みち子は彼らのことを「光晃をとんでもない将来へ引きずり込む悪魔」だと思ってるから、「クソガキ!!」と怒鳴り上げて電話を切り、追い払ってしまう。
 しかしみち子は、「追い払った」と自分で書いたあとで、「また一人去って行った。彼らも孤独に泣いているんだろう。救ってあげたい」とかポエミーなことを書いていて、支離滅裂さが本気でヤバい。

 でもこういう、自分で種を蒔いておいて、成長した苗を自分で引っこ抜いて畑をぐちゃぐちゃに荒らしながら、その結果を自分で憂う、この狂気。身に覚えがある。
 もう、みち子の狂いっぷりは、私が子どもの時の母そのものである。
 ああ〜〜、こういう感じ、そうなんだ〜、こういう心理だったんだね〜〜、なるほどねえ〜〜〜、と手に取るように分かった。違和感ありすぎなこの感覚に、違和感がない。

****

 みち子は、光晃がスクールにいる時、光晃の部屋のものを全部燃やすという凶行に躍り出る。「わずかな物に未練を残すと誘惑に袖を引っ張られる」という独自の持論に基づいて。
 過去の、髪を赤く染めたりしてたやんちゃな光晃に絶対戻って欲しくないってことだと思うけど、その光晃の世界をぶっ潰した自分の行いを、光晃の部屋を見ると思い出すから、罪悪感を感じたくなくて燃やすってことでもあるんじゃないかと思った。
 「すばらしい思い出は、これからも山ほども残っていく。そのためのほんの一部分をお母さんが削り取らなければ、だれもしてくれないからね、光晃」
 と手記で語りかけるみち子。
 狂気。
 「だれもしてくれない」って、だれもしなくていいんだよ、そんなこと。

 みち子は、先のこと(このままじゃ大変なことになる、光晃は取り返しのつかないことをしでかす)を想像・空想してそれに怯えまくり、スクールに入れる。
 入れたら入れたで、夫が気管支系の持病で亡くなったという「過去」を思い出し、光晃がヨットで冬の海に入ったらその遺伝が発症して死んでしまうのではないかと「未来」を想像してパニックになり、スクールに光晃の姿を覗きに行って安全を確認する。

 いつでもみち子は、自分の中の「過去」と「未来」を行ったりきたりしている。赤く髪を染めた光晃にも、そうなった事情があるはずだし、それは光晃に起こっている「現実」である。それはみち子の「現実」には実は余り関係が無い。もしその目の前の光晃の「現実」に恐怖を感じるならば、みち子は自分のその現在感じる恐怖に注目して、自分自身の問題として解釈するべきだったと思う。
 しかしみち子は自分の中の「虚構(未来への恐怖と過去への恐怖)」に飲み込まれてしまった。みち子自身が得体の知れない「何か(虚構)」に振り回され、それと戦うために、光晃は生け贄アイテムとして使用されている。母親がこういう状態になり、その生け贄ターゲットの照準が自分に合ってしまった子どもは、本当に悲惨である。

 当時の戸塚ヨットスクールは、「情緒障害児」の「更正」を謳っている。「情緒障害」という言葉はここ以外で聞いたことがないけど、そういうものがあるとすれば、その障害を持っているのは光晃じゃなく明らかにみち子のほうである。と思いながら読んでいたら、第3章のタイトルが「情緒障害は親のほう?」になっていた。その章でも特に、親のヤバさへの言及はなかったけども。

 みち子の「心配」は膨れあがり、スクールへの不信感が爆発する。しかし戸塚宏校長と初めて会った、みち子は、その途端に「この人なら大丈夫だ」と確信する。
 そこで戸塚宏が何を言ったといえば、光晃の状況(知っていて当たり前のこと)と、「髪を染める子どもはその髪を誰かに切ってもらいたがってるんだ。俺はそれが分かってるんだ」とかそれ程度のことなんだけど、みち子は感激して、戸塚校長を信頼する。

 「過去」と「未来」をいったりきたりして、己の虚構と戦っている人は、「俺は分かってる」系の人にめちゃくちゃ弱い。「大丈夫」という漠然とした言葉を堂々と言う人に滅法弱い。
 その代わり、猜疑心もすごい。相手のちょっとのことですぐに「これはダメだ」と決断する。周りからはフットワークの軽い、行動力あふれる人に見えたりもするが、自分の意志がなく相手の言動をすべての判断材料にしてるから、疑ってダメだと見限るか絶対的に信頼するかの二択しかない。
 私のお母さんも私をいろんな塾に入れたり辞めたり家庭教師を何人もお試ししたり、実際に入る私には一切なにも説明せず、意見を聞きもせず、独断でコロコロコロコロ変えていた。

 手記の終盤。またもやみち子は衝撃的な行動をする。
 「中学の卒業式、一生に一度のことだから出たい、友達に会いたい」という光晃にみち子はこう告げる。
 「会ってわかり合う友達は一人もおらんでしょう。それよりヨットで命がけで助け合った友達がいるでしょう。大切にしなきゃいけないのはどっちかな・・・。母さんはヨットの卒業式のほうが本物だと思う」
 そう言ってみち子は、戸塚校長に「中学の卒業式が終わるまでヨットスクールにいさせてください」と頼むのであった。

 本当に酷い。光晃かわいそうすぎる。
 狂った親は、子どもの気持ちや人生をもてあそぶ。いたずらにペナルティを与え、自分の問題をかぶせて、子どもが一番望むこと・懇願するものを敢えて与えてやらない。
 そんな単なる己の気まぐれを、「子どもが背負うべき試練」とか「母親の私にしかできないこと」とか「乗り越えるべき絶望」とか、自分の虚構の中で名前をつける。狂った親の虚構の中の「目標とする子どもの姿」は、現実には形のないものだから、子が親の出してきた課題にどれだけ応えても、ペナルティを受けても、狂った親は満足することがない。むしろ子どもが誠実に応えれば応えようとするほど、「親の虚構の中の目標とする子どもの姿」はぐにゃぐにゃと訳の分からない形に増大していく。このケースの子どもの誠実な努力や頑張りは、親の虚構のエサになるだけなのである。
 そもそもその親の虚構は「親自身の恐怖心」から出来ているので、それを克服するのは本人しかできないことである。だから子どもが頑張って親の言う通りに社会的に偉くなったところで、親自身の恐怖心は変わらないしもっと大きくなることのほうが自然である。

 明日は戸塚ヨットスクールの卒業式、という日が手記の最後となっている。
 「今日は中学の卒業式。欠席の光晃は何を思っているだろう。明日はヨットスクールの卒業式。生徒たちにケーキを持っていこう。」
 みち子は、お世話になった先生たちの名前をあげ「ありがとう!!みなさま本当にありがとう! わたしはいましあわせです!!」と感動を書いている。
 本当に恐ろしい。光晃が生きている現場の話なのに、そこに光晃はいない。非情すぎる。
 親が狂ってしまったら、子どもはもうどこにいても、そこが戸塚ヨットスクールだ。

 本の中にところどころ写真が載っていて、最後のほうにパグ犬の写真があった。そのキャプションに「わからない者は叩かなければだめ、と光晃君は愛犬を叩くようになった」と書いてあった。
 1983年、今から33年前だから、犬を叩くのとか普通っていうか、それだけ光晃君はしっかりして帰ってきました、ってことなのか、「暴力は連鎖します」ってことを暗に言ってるのか、よく分からない。そんなこの本の作りが好きだ、と思った。

 一瞬グレてしまったように見えた光晃を、マトモに更正させるためにスクールに入れたはずなのに、そこで死にものぐるいで上手くやりこなした光晃なのに、だからそれでもうペナルティ的にも更正的にも十分だと思うんだけど、とにかくみち子は今度は光晃をN高校に入れようと躍起になる。
 当時は戸塚ヨットスクールよりもN高校の過酷さのほうが有名だったらしい。最後まで抵抗する光晃だったが、結局N高校に入れられてしまう。
 本は、みち子と光晃の往復書簡でしめくくられていた。「親孝行します」とか「こんな親不孝なぼくをここまで育ててくれてありがとう」とか、そういう手紙だった。
 みち子はちゃんと「安心」できたのだろうか?

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 狂いたくない。狂いたくないと思った。見た目とか人付き合いとか普通で常識的な人でも、子どものことになると狂ってる人ってたくさんいる。自分の子どものことが、得体の知れないモンスターに思えてしまうことって、私にだって存分にあり得る。狂う可能性はいつだってある。

 みち子の虚構との戦いを読んで私が思った「狂った親にならない秘訣」は、自分を犠牲にしないってことだった。みち子は自分を犠牲にするっていうのがまず最初に母親としてやらなければいけない仕事だと思っている。「自己犠牲」から物事が始まると、どんどん削って削って、マイナスしかなくなっていく。自分がすごい大変、自分だけが大変、自分だけが損している、というのがフォーマットになってしまうと、周りの人間に対してイライラしたり、相手の挙動がいちいち気になってしまうのは当然である。
 そもそも「自己犠牲」という概念は、外側(社会・世間)にあるものである。一人の人間が、その心と体の中に「自分だけが犠牲になる」という欲求をもともと持っているとは考えにくい。動物として不自然だと思う。「一人の自己犠牲によって周りの人間がうまく行く」という概念は、単なる社会的現象である。
 一般的には、特に母親が「犠牲」になって家族のために尽くしていると、家庭が円満になる、みたいなイメージがついている。母親が「自由に生きている」ように見えると叩かれるのはそのイメージが定着しているからだと思う。
 しかし実際は、母親が自主的に自己犠牲を買って出ている家も、家族の共同生活がうまくいかず、関係がめちゃくちゃになっているケースが多いと思う。関係がめちゃくちゃというのは、離婚しているとか、子どもが道を外れているとか、そんな表面の出来事のことじゃない。魂・自尊心の傷つけ合いをしている関係のことを指す。

 外側の概念に沿ってできたフォーマットに体が定着してしまうというのは、「世間の虚構」に自分が入り込んでいる状態ということである。狂った親の虚構の中の「目標とする子どもの姿」に必死で応えようとする子どものように、狂った親自身も「世間の虚構の中の目標とする親の姿」に必死で応えようとしているのである。
 つまり、子どもを自分の虚構の生け贄にしてしまう親は、自分自身が世間の虚構の生け贄になっている、ということである。

 だから、狂いたくないっていうのは、世間や誰かの虚構の生け贄になりたくない、ということである。
 「ちょうどよい」のボールに乗ること。狂いたくなかったら、それを意識していないといけない。下腹に力を入れて、地に足をつけて。頭のほうでいろいろ考えて、「過去」や「未来」に意識が向き過ぎたらすぐに落ちてしまう。虚構に心をとらわれたら、ボールには立っていられない。


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販売価格:¥1,080(税込)
●著者:田房永子 ●出版:竹書房 ●131ページ ●2016年6月30日

プロフィール
田房永子
田房永子(たぶさ・えいこ)
漫画家・ライター
1978年 東京都生まれ。漫画家。武蔵野美術大学短期大学部美術科卒。2000年漫画家デビュー。翌年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。2005年からエロスポットに潜入するレポート漫画家として男性向けエロ本に多数連載を持つ。男性の望むエロへの違和感が爆発し、2010年より女性向け媒体で漫画や文章を描き始める。2012年に発行した、実母との戦いを描いた「母がしんどい」(KADOKAWA 中経出版)が反響を呼ぶ。著書に、誰も教えてくれなかった妊娠・出産・育児・産後の夫婦についてを描いた「ママだって、人間」(河出書房新社)がある。他にも、しんどい母を持つ人にインタビューする「うちの母ってヘンですか?」、呪いを抜いて自分を好きになる「呪詛抜きダイエット」、90年代の東京の女子校生活を描いた「青春☆ナインティーズ」等のコミックエッセイを連載中。