タイトル画像
女印良品
呪いの定型フレーズ
アイコン
17.07.12 by 田房永子



 妊婦に対しての、定型のフレーズというのがある。
 5年前、1人目を妊娠していた時は主に、「陣痛、痛いよ〜!(笑)」「生まれたら、今より大変だよ〜!(笑)」という2大お決まりフレーズを頻繁に浴びた。
 これらに意味はない。単なる挨拶であり、会話の穴埋めであり、大人として交流をリズミカルにするための手拍子、みたいなものである。それについて深く考える必要は無いとされている。
 だけれども、そういった軽さのあるフレーズこそ、ものすごくネガティブな成分を含んでおり、洗脳濃度が激的に高く、後に「本当にその通りだった」と感じて必要以上に暗い方向へひっぱられるきっかけとなるのである。つまりそれは呪いである。

 2人目の子どもを妊娠してる時は、「陣痛痛いよ」とは一切言われなかった。上の子の同級生のママたちは、私の大きいお腹を見て「あ〜」と大変そうだねえ、という表情で「早く出したいでしょ」とか「最後のほう(妊娠後期)はもうやんなるよね」とか「お腹大きいのって飽きてくるよね」と言ってきた。それを言われた私は、瞬時にパッと胸の中が明るくなる。「そうなの、ほんと、早く生まれて欲しいよ」といつも思っていることを口に出すと、フハッと笑いが漏れ、体の血行がよくなる感じがした。
 「まあ、出てくるのが早すぎても困るんだけどね」とお互いに苦笑し合う。妊婦の体はもうウンザリ、という一見ネガティブな会話に見えるかもしれないが、幼児を世話しながら妊婦生活を送っている現役ママへのねぎらいの会話である。

 しかし引っかかるフレーズも聞くようになった。上に5歳の女の子がいると言うと「小さいママだね〜!」と返されるのである。
 どういう意味かというと、5歳くらいの女の子はお世話好き、赤ちゃん好きなので率先してお手伝いしてくれるよ、小さいママみたいなものだよ、よかったね、というニュアンスである。「女の子は、育児仲間になってくれるよ」と言っている人もいた。

 数年前、児童館の下駄箱のところで、上の子(5歳くらいの女の子)と下の子(よちよち歩きの子)を連れたママが、上の子に「靴下と靴!履かせて!」と強めの口調で言いながら外へ出て行った。上の子は黙って下の子に靴下を履かせていた。表情を変えることなく淡々と、慣れた手つきで小さい足に靴下をかぶせる姿はとても立派だった。
 その様子を見て、血の気が引いた。もし自分が二人目の子どもを持った頃、上の子がこんなに聞き分けのよい子になっていたら、便利すぎて私、絶対使いまくる。まるでシンデレラに命令するお姉さんのような口調で頼むのがくせになる。間違いない。そう確信して青ざめた。

 本来は親がやるべき労働を上の子だからってしなきゃいけないなんて理不尽だと思う。だからそれは避けなければいけないし、やってしまったら罪悪感を感じなければいけないことだと思っていた。
 しかし妊娠中、上の子が女の子というだけで「小さいママだね」とよく言われる。「つい頼んじゃうと思うけど、当たり前にならないように気をつけてね」という助言ではないのである。「協力してくれる子がいてよかったね」というメッセージである。さらに読み込めばそこには「上の子が女の子でよかったね」という意味がある。
 それもまた他愛ないトークの単なる手拍子に過ぎないとは思うのだが、「小さいママ」というフレーズには、女性がこの世で生きる、女として生まれる、女の子を育てる、そういったことに付随する重大な問題が潜んでいるのではないかと思う。

 もし上の子が男の子の場合、「小さいパパだね〜!」とは誰も言わないだろう、ということは確認しなくても分かる。
 だけど一応、私と同じ年で5歳の男の子がおり、同時期に第二子を妊娠していたMさんに聞いてみた。やはり、「そんなこと言われないよ」とのことだった。

 「子どもの中に一人、女の子がいると助かるわよ」ということを年配者が言っていたりする。「女の子は介護要員」とはっきり言わなくても、構ってくれる、気にかけてくれる、使い勝手がいいという意味であろう。「小さいママ」と地続きな感じがある。定型フレーズには、人間の本心がたっぷり染み込んでいる。

 そしてこの「小さいママ」の次によく聞いたのが、「5歳離れてるとひとりっ子が二人いるようなもんだよ」というフレーズ。
 「小さいママ」にはなんだかどよん・・・とした暗さを感じたが、この「ひとりっ子が二人」というフレーズは、よく分からなかったので「はあ、そんなもんですか・・・」と思っていた。
 だが、しかし! 下の子と上の子を対面させた時のことだった。私の中で「ふざっけんじゃねえ〜よ!!」と怒りが巻き起こった。
 どこが「ひとりっ子二人」なんだよ! ひとりっ子なめんな!! 

 ひとりっ子(私の場合)って、“同じ両親から生まれた人間”がこの世に存在しない、家の中に「子ども」「同年代の人間」「自分と同じ立場」がいない、つまり子どもが自分ただ一人っていう状況で暮らしてる人のことなわけです。
 私は「きょうだい」を小学校5年生で物理的にあきらめて、15歳くらいで心理的にあきらめ、20歳くらいでやっと「自分はひとりっ子である」という現実を受け入れられた。だから、「ひとりっ子が二人」という表現は20歳離れてるきょうだい限定にしてくれ!5歳差くらいじゃ、ぜんっぜんひとりっ子じゃねえ〜〜〜〜〜から!!!
 本当のひとりっ子は5歳の時に家に赤ちゃん来ないから! 中1くらいまで「赤ちゃんがうちに来る可能性ってまだあるのかも・・・?」とドキドキしてっから! 実は生き別れたお姉ちゃんを空想して漫画とか描・き・ま・す・か・ら〜〜!! いとこに対して異様な執着があるし、最終的には父親・母親違いの子がいることを望んだりもしますんで! 
 ハア、ハア・・・(息切れ)。

 ひとりっ子は、そういった孤独感などを乗り越えて(孤独をまったく感じないひとりっ子もたくさんいる)大きくなりますし、それは自分の人生を味わう上でかけがいのない道のりだったと思える。自分にとって敵であるようなトンでもねえきょうだいに囲まれてそこから這い上がって自分の人生を切り拓いている人たちもいるし、私はそういう人に対してシンパシーを感じるから、きょうだいがいないというだけで「かわいそう」という言葉を使わないで欲しい。本当にかわいそうじゃないから。トンでもないきょうだいがいるよりはひとりっ子のほうがマシとかそういうことではない。とにかく比較しようのないことであり、きょうだいの有無だけで「かわいそう」という考えを持つこと自体が大変に野暮で失敬なことである。「ひとりっ子はかわいそうだから2人目をつくろうと思う」という話を聞いても、ああ、ひとりっ子ってかわいそうって思われてるんだなあ、としか思わないッス。

 という感じなのですが、まあ、5歳差で「ひとりっ子が二人」というのも、5歳も離れてると遊びが違うとか、あまり一緒に遊ばないとか、そういうことを意味してるのだとは思います。でもそこにまた「小さいママ」というフレーズがしっくりきちゃうのでありますよ。

 「ひとりっ子が二人」と「小さいママ」を妊娠中の私に繰り返し言ってきた親戚のおばあさんがいる。下の子が生まれて、そのおばあさんに見せた時のこと。「下の子が生まれてよかったねえ。上の子がひとりっ子じゃ可哀相だなあって思ってたのよ」としみじみとした口調で言い出して、ギョッとした。うっわあ〜〜〜!!言ったなああ〜〜〜!!!それ言っちゃいけないんですよぉぉ??いーけないんだいけないんだあ〜〜!私ひとりっ子なんですけどおおおお〜〜〜??!!って、心の中でネバっこく思いました。

 そのおばあさん自身、5歳下に弟がいて「母親が二人いるようなものだった」とその弟までも言っている。そう言ってにこにこしているけれども、私はそこに微笑ましさは一切感じない。おばあさんは私の家庭に親近感を持ってくれているのだとは思う。私もそのおばあさんは嫌いじゃない。だからこそ封じようと思う。
 今度会ったらまた同じようなこと言われると思うので、「私、ひとりっ子ですけどぜんぜん可哀相じゃないですよ。あと、5歳差きょうだいは、親子でもひとりっ子でもないですよ」って言うんだ。分かって貰えなくても、口に出して言う。その空間にその言葉を発生させることで、私に呪いがかからないように封じるんだ。
 自分とは違う境遇の人をかわいそうと敢えて口に出して言ってしまう、そんなおばあさんが抱えきれなかった何か、自分にふりかかった理不尽を定型フレーズによって一般化することでおばあさんが誤魔かしている何か、を受け継いでしまわないように。

プロフィール
田房永子
田房永子(たぶさ・えいこ)
漫画家・ライター
1978年 東京都生まれ。漫画家。武蔵野美術大学短期大学部美術科卒。2000年漫画家デビュー。翌年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。2005年からエロスポットに潜入するレポート漫画家として男性向けエロ本に多数連載を持つ。男性の望むエロへの違和感が爆発し、2010年より女性向け媒体で漫画や文章を描き始める。2012年に発行した、実母との戦いを描いた「母がしんどい」(KADOKAWA 中経出版)が反響を呼ぶ。著書に、誰も教えてくれなかった妊娠・出産・育児・産後の夫婦についてを描いた「ママだって、人間」(河出書房新社)がある。他にも、しんどい母を持つ人にインタビューする「うちの母ってヘンですか?」、呪いを抜いて自分を好きになる「呪詛抜きダイエット」、90年代の東京の女子校生活を描いた「青春☆ナインティーズ」等のコミックエッセイを連載中。