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山口達也と非生産
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18.05.07 by 田房永子



 TOKIOのメンバー山口達也氏の事件、醜悪なハラスメントのデパートすぎてどの方向からも一切擁護できない。
 それとは別に、「病院」についての報道に衝撃を受けた。スーパースターが、病院からテレビ局に通ってテレビに出ていた。もしかしたら芸能界ってそういうことが結構あるのかもしれない。でも初めて聞いた。

 5年前、私はバラエティ番組に出演したことがあった。芸能人と専門家がたくさん出る、お悩み相談の番組。「毒親漫画家」という肩書きをつけられ、2〜3時間かけて打ち合わせしたのだが、当日になると自分の考えとはまったく違うセリフが用意されていて、ママタレントたちに向かって大きい声でそれを読み上げるように、と指示された。
 控え室っぽいところで「練習してみましょう」とディレクターの人に言われて「あなたは毒親予備軍です」「もっと大きい声でお願いします」「あなたは毒親予備軍です!」と繰り返した。
 「ほんとに? 私こんなことテレビで言うの?」と動揺していると、今度は『出演承諾書』という紙を渡されサインするように言われた。
 承諾書には「映像をどういう風に使われても文句を言わない」「自分の発言の責任はすべて自分にあり、当テレビ局にはない」「撮った映像について、使わないでくれ、とかは言わない」等、私が全責任を取るけれども映像の編集は一切お任せするという、こちらとしては裸一貫すぎる内容だった。出演料3万円で顔と名前を晒して全国ネットのゴールデンタイムで思ってもないことを叫ぶ仕事、重すぎる。

 ものすごくビックリして、サインしたくなくて、承諾書を手に持ってトイレをウロウロし、「今すぐ家に帰ろう」と思った。
 しかしスタジオにはすでに毒親漫画家 田房永子と名札がついた席が用意されていて、「帰れるわけがない」と思い、出ることにした。サインもした。サインしたからには、あのセリフは絶対に言いたくない、と思った。私の言葉じゃないんだから、責任とれない。
 スタジオに入ると、絢爛豪華なセット、巨大なひな壇の中にある自分の名前、そこに座る自分、目が潰れそうなほどまぶしい照明、豪華だけど座席はベニヤ板、有名な芸能人たちがテンション高く大騒ぎしている。いやでもギンギンとアドレナリンが全身をかけめぐり、頭の血管がブチ切れそうだった。
 ママタレントたちが「毎日必死で子育てをこなしている中での悩み」を語る。それを聞いて、ますます「あなたは毒親になります!」なんて言いたくないと思った。いよいよ私の番になった。一生懸命、その場に合うように、セリフをゴッソリ自分の言いたいことに変えて喋った。頭の毛細血管がブチブチ切れてる感じがした。がんばった。よくやったと思った。

 その日まで私は、自分がこれからバラエティー番組に出る仕事もやるようになるのかなと思っていた。だけど、漫画家という自分の本業と、バラエティー番組に出る仕事というのは根本的に全く違う性質のものだと分かった。漫画家は漫画を描くが、バラエティーの芸能人というのは、漫画の中の世界の人になるのが仕事である。テレビ番組という作品の中で、一つのパーツとして動く人たち。役を演じるドラマとは違うから誰かがおかしな発言をしてもNGとかはない。でも「こういう番組にしますんで」という制作者側からの強烈な空気があってその中でうまく自分を出す、という技術を持っていないと、テレビには流してもらえない。
 収録中は、司会者も出演者も大げさで素っ頓狂で“普通”じゃない。ウソではないが全部がホントでもない世界。視聴者が喜ぶモノを短時間のあいだに大勢の人間が集まって一丸となって全力で作り上げる世界。そんな“漫画”の中に入って登場人物を自らやれる人たち。中の人。
 ひな壇の上段から動く芸能人の人たちを見下ろしながら、自分は漫画の中に入るよりも漫画を描く仕事のほうが向いていると実感した。ちなみに放映の際、私の発言はすべてカットされていて、ひな壇に着席しているだけの毒親漫画家となっていた。

 いろんなことがあったその日、一番驚いたのは、帰りの井の頭線だった。いつもなんとも思わない井の頭線が、ものすっごく染みったれて見えた。ホームに立っている人たちの服がヨレヨレに見えるし、覇気が無く、風景は灰色で、どよ〜んとしてる。ついさっきまでいた汐留のテレビ局のきらびやかでまぶしすぎるスタジオとの落差がすごすぎて、重力を強く感じた。水中と陸上くらい違う。プールの水の中から炎天下のプールサイドに上がった時のクラクラ。こんな落差をしょっちゅう体感してたら死ぬ、と思った。メンタルに水陸両用を完備してる人じゃないと、タレント業なんてできないんだと思った。

 酒井法子が逮捕された時、警察の調べに対して「覚醒剤を使うと疲れが無くなり、掃除や洗濯など家事をやる気になった」と述べたというのを思い出した。そりゃあ、異様なほどの絢爛空間でチヤホヤされる仕事をしたあと、自宅に戻って掃除したり子どものご飯作ったりするの、覚醒剤でもないとできないんじゃないだろうか、と思った。

 一般人の私がバラエティ番組で一言喋っただけでも井の頭線との落差に溺れそうになった。ジャニーズで、SMAPなき今トップのTOKIOに在籍し、オリンピックや震災復興では日本を代表する立場であり「善良でがんばり屋さん」なイメージで朝の情報番組に出演しながら、それらが終わったら帰宅先が病院って、すごくないですか。 
 その落差は水陸どころか深海と富士山頂くらいではないだろうか。実際、体にかかる負荷はそのくらいの高低差があると思う。しかもその合間に村とか島とかでも体を張ったロケをしていたと考えたら、もう普通にメンタルはぐちゃぐちゃになっていて当たり前だと思う。

 山口達也氏は4月26日の謝罪会見で、自分がアルコール依存症であることは否定してた。
 病院から仕事場に通うって、異常な環境だと思う。しかも理由が「家に帰るとお酒を飲んじゃうから」「肝臓を休めるため」という。つまり酒を飲んじゃいけない体なのに家に帰ると飲んじゃうんだから、それがアルコール依存症じゃなくて一体なんなんだと思うのだが、本人は会見でキッパリとした感じで否定していた。
 それがものすごく哀しかった。本人が「アルコール依存症」というもの自体を少なからず恥じている、嫌悪している感じが伝わってきたから。

 でもやっぱTOKIOだから、肝臓が悪いことは認められても「アルコール依存症」という症状名は受け入れられないんだろうと思った。それは山口達也本人もだけどそれ以上に世の中が、である。 
 私個人が理想とする世の中は、朝の情報番組のメインパーソナリティーである国民的アイドルスターが「実は私、アルコール依存症の治療のため、いま現在、病院からここまで通勤しています」と告白できる空気のある世界。その経過を含めてみんなで見守れる世間。依存症になってしまったことを恥じるのではなく、本人の甘えとか弱さとかで済ますのでもなく、隠さないでいられる空気である。

 そんなのは理想なので現実には難しいけど、5月2日のTOKIO4人の緊急会見を見て、松岡昌宏氏が山口達也氏にかけた言葉として「正直、あなたは病気です。だから自分の置かれてる立場と今後のことをちゃんと向き合ってくれ。決してお酒が悪いんじゃない。自分の甘さと考えを改めてもらわない限り俺たちは何もできない」「どれぐらい時間がかかるか分かりませんけどまず自分と向き合ってくれ。彼の謹慎活動っていうのはそれが全て終わってから始まることだと思ってるので、まずそれときちっとしろと。じゃなきゃ申し訳ないですけど僕らは受け入れられなという話をしました」と言っていた。
 さらに「僕らは山口がアルコール依存症だと思ってました。でもいろんな病院に診断書求めてもアルコール依存症という診断は出ないんです。そうやって書いてくれたほうが僕らもなんとか納得できるんですけど」と言っているのを見て、数十年後は、アイドルも一般の人でも問題を起こす前に依存症を告白できる世の中になるのではないかと夢想できた。これら松岡氏の思いは、自分の同僚とか部下とか身内が醜悪極まりない犯罪行為を起こした時に出てくる言葉としてとても健全だと感じた。

 これに比べると福田事務次官のセクハラ問題の時の周りの対応ってほんとにすごかったなと思う。TOKIOに例えたら、山口が「キスなんかしてない、飲んでもない、ていうかそもそも私は普段から酒は飲まない、名誉毀損で訴える」と言い、城島が「山口に人権はないのか、被害者出てこい」と言い、松岡が「被害者出てこないからこの話、終了〜」と言ってる感じである。

 私はあの時、麻生財務相が「福田君どうしちゃったのか、心配になりました。支離滅裂なことを言っていて、疲れているのか病気なのか、診断名が出ればこちらも納得できるのですが」と言ってもおかしくないのになと思った。政治家だからそんな発言はできないのかもしれないけど、周りが「福田(越しに自分)を守る」というスタンスで罪自体をなかったことに必死でするもんだから、本人はいつまでも(たぶん一生)自分の問題に向き合うことができなくて、その息苦しさに見ているこっちが死にそうになった。

 私はおととし「キレる私をやめたい」という漫画を描いた。自分ではこれは依存症についての漫画だと思っている。自分の「キレる」行為について悩んでいたとき、いろいろな依存症の本を読んだ。痴漢や万引、飲酒、ギャンブル、それぞれ外に出る形は違うけど、「ワーっとそのことしか考えられなくなり、とりつかれたようにそれをやってしまう」という衝動の動き方はどれも同じだと思った。
 キレる依存症、という病名はないが、自分のこれは依存症なんだと思うようになった。そして漫画に描いて出版してから、ものすごくラクになった感覚がある。もちろん、こういう漫画を世に出してしまったらリスキーな面もある。だけどそれ以上に、「公表する」というのは猛烈な爽快感があった。それは私の魂が感じる爽快感である。自分が自分のやったことを認めると、自分の自尊心の世界が明らかに拡張し、吸える空気の量が増えるのである。

 ハラスメントという行為で人に迷惑をかけないようにするにはどうしたらいいのか、それに取り組む時、周りからどう見られるか何を言われるかよりも自分の気持ちを優先することができるようになることがとても大事。それは一見、わがままに振る舞うことであると錯覚されるが、人に迷惑をかける状態に陥っている人というのは往々にして自分自身の気持ちを無視している。周りからはそうは思えなくても、本人は他人からどう見られるかということを重要視しているため、自分の本当の気持ちを尊重することができず、自分の味方ができない。そうすると無視された自分自身が怒り出し、それを認めるようにと衝動を起こさせ、結果的に迷惑行為を繰り返すという事態になるのである。

 ラジオの「テレフォン人生相談」で、回答者の加藤諦三氏がこんなことを言っていた。「いじめは癒やしなんです」。いじめをする者は、いじめることで、自分を癒やしている、というのである。それを聞いたとき、点と点が線で繋がった感覚があった。

 このあいだ、私の1歳の息子が連日に渡り高熱を出した。中耳炎と突発性発疹という、1歳児がよくかかるオーソドックスな病気なので、おさまるまで放っておくしかない。だけどまだ言葉も話せないマイベビーがウンウンと苦しみ唸っている様子を見るのが耐えられなくて気がおかしくなりそうだった。息子の看病以外は何も手が着かず、だけどその現実をずっと直視していると頭がおかしくなりそうなので、スマホのパズルゲームをすることにした。私はゲームには一切興味が無くしないのだが、唯一、つわりの時期と流産の手術を待っている時間だけパズルゲームをしていた。私にとってゲームは「しんどくて何もできないが時間の経過を感じるのもつらい」というストレスフルな時にやる癒やしのアイテム、ということになっている。人によって、ゲームという存在の持つ意味は違うと思うが、私にとっては「非生産で非合理なもの」である。何も生産できない、生活が前に進まないというストレスを感じた時にゲームをすると、脳が癒やされる感じがあり、「ここ(地球)にいてもいい」と思えるのである。

 それは私だけではないのではないだろうか。人間ってそういう感じがする。同じ色の宝石をくっつけて消すだけのゲームを何時間も繰り返したり、自分の頭のにおいを嗅いだり、鼻くそをほじくったり、お酒を飲み過ぎたり、食べ過ぎたり、社会的生活的には特に意味の無い、非生産的なことをしている時って、実は脳が癒やされているんじゃないだろうか。その裏には、自分の非生産さに劣等感を感じている自分がいる。
 癒やしというと、子猫を見てほっこりしてストレスが消える、とかそういうイメージがあるが、ここで使う癒やしはそういう感じじゃない。瞬間的にスッとする、みたいな感じ。瞬間的にスッとするからその繰り返しが頻繁になっていくと依存ということになるのではないだろうか。

 ここに「いじめは癒やし」という言葉を当てはめることができる。いじめは、非生産的な他人への言動と言い換えることができる。相手に対して卑猥なことをしたり言ったり、暴言をふるったり無理難題を言ったり、それ自体になんの意味も無い、何も生産しないし生み出さないのに、それをわざわざしなければいけないのはやはりやる側の問題である。自分を癒やすためにハラスメントをする。「ハラスメント」とは、嫌がらせやいじめ、を意味する言葉である。

 事件の中で山口達也氏の行なったとされるハラスメントの数々は非生産の役満状態である。出会い系やナンパで出会った女性ではなく、「先輩であり上司でもあり司会者である自分に対して最も逆らいづらい」立場の女子高生を家に呼ぶ。一番ストレスのない者を相手に選ぶという実に非生産な行動である。その者に対して、直接的に自分の中にある性欲やストレスをぶちまける。それをやっても、何にもならないのに敢えてやる。

 山口氏は会見で「事件性があることだとは思っていなかったです」と言っていた。ハラスメントをする側にとっては、本当はそれは自分に向けての癒やし活動だから、他人に対しての積極的なハラスメント行為であるわけがないのである。この言葉はそれを象徴している。

 TOKIO4人の会見を見ていて、「30年間一緒にいた仲間・・・」とか「長瀬は小学生の頃から山口を慕っていて・・・」とか言っていて改めて仰天した。この人達、子どもの頃から働いてんじゃん。
 そのアイドル生活30年のあいだ、「自分ってこの仕事に本当に向いているのだろうか」と振り返ることができる時間がどれくらいあったんだろうか。芸能人という立場と実際の生活のギャップが飲酒のきっかけになっているとしたら、どんどん増える酒量を減らすために病院という深海からテレビ局という富士山頂へ通勤するという選択は、逆効果の極みだったのではないかと思う。

 こうすればよかったのに、という話はそれこそ非生産的話題かもしれない。TOKIO4人の会見を見ていて、子どもの頃から今も立派に健全にTOKIOという職業をこなせている4人が奇跡であるように思えてきた。4人と比べなくても、40代男性として山口達也はダメダメだと思う。逆らえない立場の女子高生を家に呼ぶとかあり得なすぎる。

 被害者を出さないようにするためには。ここで敢えて「山口達也氏もある視点から見れば人間としていたって通常である」という一見、非生産な見方を持つことが、これからの時代は生産的となり、必要になってくる気がする。

プロフィール
田房永子
田房永子(たぶさ・えいこ)
漫画家・ライター
1978年 東京都生まれ。漫画家。武蔵野美術大学短期大学部美術科卒。2000年漫画家デビュー。翌年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。2005年からエロスポットに潜入するレポート漫画家として男性向けエロ本に多数連載を持つ。男性の望むエロへの違和感が爆発し、2010年より女性向け媒体で漫画や文章を描き始める。2012年に発行した、実母との戦いを描いた「母がしんどい」(KADOKAWA 中経出版)が反響を呼ぶ。著書に、誰も教えてくれなかった妊娠・出産・育児・産後の夫婦についてを描いた「ママだって、人間」(河出書房新社)がある。他にも、しんどい母を持つ人にインタビューする「うちの母ってヘンですか?」、呪いを抜いて自分を好きになる「呪詛抜きダイエット」、90年代の東京の女子校生活を描いた「青春☆ナインティーズ」等のコミックエッセイを連載中。