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女の話
ご無沙汰してしまいました。
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15.02.17 by 北原みのり


 ご無沙汰してしまいまいました。

 自分でも想像していた以上に、書き始めるのに時間がかかってしまいました。この間、優しい言葉をかけて下さった方々、ほんとうにありがとうございました。

 二ヶ月間、身に起きたことを考えては言葉が消えました。その一方で友人に会えば饒舌になったり、長文のメールを一方的に知人に送ってしまったり。だけどそういうことをした後は、深い疲れや自己嫌悪でまた沈黙。今まで歩いてきた人生とは全く違う景色の中を歩いているようで、今も不安です。

「早く書くべき」という声もいただいて、すごく焦っていました。自分でもそうしなくちゃ・・・と思いながらも、書いていると色々フラッシュバックしてしまい、書けなくなってしまった。苦しんでいたら辛淑玉さんが「今は休め。毎日の記録だけつけておけ」と言ってくれて、少し楽になりました。言われた通り日記をつけながら、破壊された日常を取り戻すために時間をかけています。これから、少しずつ。よろしくお願いします。

 

 事件について私から見えていること、考えたことをまとめていきたいと思います。

 

 私は、女性器を象った作品をお店に置いていたために、去年123日に逮捕されました。

 「え?! 私の家にも、そういうのあるけど!」と恐怖を感じている方、どうか安心して下さい。私の場合は、置いてた場所が「ショールーム」なので、「公然陳列」となるのだそうです。

 はじまりは、去年の7月にろくでなし子さんが3Dデータ頒布で一回目に逮捕された時でした。彼女が3Dプリンターでつくる女性器を象ったボート(まんボート)の制作資金を募った際、支援者に配った自身の女性器3Dデータが「わいせつ」にあたるとされました。

 逮捕は周りの人を一斉に巻き込みます。彼女のアルバイト先だった私の会社にも警察がやってきました。3Dデータ頒布やまんボート制作は彼女のアート活動であり、私の会社とは関係ないものでしたが、給与明細から彼女とのメールのやりとりまで全て提出させられました。ショールームに飾っていた彼女の作品も全て警察が持っていきました。

 

 その日を境に私はショールームを閉じました。

 警察に言われたわけでもないのですが、そうせずにはいられなかった。

 商品を全て倉庫にしまい、什器を破壊し、リアル性器にみえるようなものは破棄、そうなったら徹底的にやりたくなって壁紙まで剥がした。そして最後に、文字通り何にもなくなりがらんとしたお店に大きなテーブルを買いました。女たちが集まってお話できるような、そんなテーブルです。

 20年近くセックス関係の仕事をしていると、警察は恐らく一般の人よりは身近な存在です。警察に管理され、指導され、厳しいルールと制約のもとに行うのがアダルトというお仕事。私の会社のスタッフが「わいせつ」で逮捕されるのは、例えば文房具会社の社員が「わいせつ」で逮捕されるのと訳が違う。事務所を借りるのも一苦労、金融機関からお金を借りるなんて夢のまた夢、警察に目をつけられないよう毎年一度は警察の講習会を受けてきっちり営業、それでも何だかんだと制約を受ける業種に携わる者として、悪い予感が拭えませんでした。警察はまた来るのではないか。もし来たとしても、何ら言いがかりをつけられないように、完璧にわきをしめなければいけない。そういう思いでした。

 でもまさか、自分が逮捕されるとは全く思ってもみなかった。

 私が逮捕されたのは、お店を再開して3ケ月後。警察が持っていった、ショールームにおいてあったデコまん(女性器をかたどった石膏の作品)が原因でした。

  

 「わいせつ」には、仕事をする上で、ずっと、本当にずっと、苦しめられてきました。


 例えば、男根を奉る御輿となし子さんが制作したまんボートを比較し、男性器はOKなのに何故? という論調をよく見聞きします。でも、実際のところ警察はまんボートを問題にしていない。いったいなぜなのか、警察で聞いたことがあります。成人女性しか入れない私のショールームで飾っていたデコまんがNGで、通りに面している画廊で陳列されていたまんボートがOKなのはなぜ? 警察官の答えは非常に明快でした。

 「(ボートは)大きいから」

 つまりは、リアルじゃないから、という理屈。

 ちなみに私の逮捕の原因となったデコまんは3個。うち2個はなし子さんの作品ではなく、彼女のように上手くデコできていないこともあり、確かに剥き出しの女性器、と言えないこともない。警察の仕事はかくも細かいのです。

 

 90年代にこの仕事を始めたころ、日本には男が選ぶリアルな男根型のバイブしかありませんでした。バイブにはたいていお爺さんの顔や、動物の顔がついていたものです。それは「性器じゃないよ、これはこけしだよ!」とエクスキューズをするためのもの。業者がわいせつ物陳列罪で逮捕されないために編み出された苦肉の策です。

 そういうくっだらねー建前を演じないですむように、仕事をしてきたつもりです。なぜならバイブは女が使うものだから。大切なのは、女が安全な環境で主体的に性を楽しめる環境づくりだから。バイブが男根に見えるか見えないかではなく、安全な素材かどうか、部屋においておきたいデザインかで、新しいセックスグッズショップをつくるのが、私の仕事でした。

 そんな私にとっては、気をつけるべきは男根で、女性器は盲点でした。だって、男向けのアダルトショップには女児の女性器を象った商品がずらずらと並べられているじゃないですか。

 甘かったです。

 並べられた女性器が「幼女のものである」ことが謳われていても、アニメのパッケージがついている限り「ファンタジーだから許される」のが日本社会なのだということを。男根型のバイブについたお爺さんと、女性器型のオモチャについた美少女アニメは、全く同じ意味を持つのだ、ということを。

 アイドルが自分のペニスだして逮捕されたように、写真家が男根写真を撮り逮捕されたように、例えそれが他の女のマンタクだろうが、飾っておけば逮捕されちゃう。この国において、リアル性器は、事件、なのです。

 私の容疑は「なし子さんと共謀しデコまんを陳列した」というものでした。作品の共同制作者でもパトロンでもない私が、いったい何を共謀したというのか。理不尽な思いは尽きませんが、それでも、なしこさんを再逮捕するための筋書きに私は、きっちり組み込まれていたのでしょう。バイブ屋であれば、こんなに捕まえやすい存在はないはずです。

 

 逮捕前に警察から呼び出し状は来ていたので、弁護人と相談や方針を決める時間はありました。

 私の弁護人は「今回3つのメニューがあります。1、徹底的に闘う 2、闘わない 3、ゆるく闘う どれにしましょう?」と提示してくれ、私は3を選びました。「私はわいせつとは思っていなかったが、警察がそう判断するなら仕方ない」という方針でした。それは最も現実的な提案であり、重たい提案でした。現実的であるのは、経営者として従業員とお客様を守るために。重たいというのは、作家として「闘いが長引く」のを引き受けることを意味するからです。


 女として生きてきて、性の仕事をしてきて、正論や真っ向勝負がいかに通じない世界に私が立っているのかを、実感しない日はありません。そもそも「私の性器はわいせつではありません」と言わなければならない状況そのものが、理不尽で、女にのみつきつけられる壮大な罠のように私には見えます。 

 レイプだろうがロリコン作品だろうがリアルな性器の有無だけに目を光らせる警察に拘束され、レイプだろうがロリコン作品だろうが「ファンタジーなのだから、認めろ」という力に叩かれる者として、「わいせつ」を利権のように利用してきた男社会の言う「わいせつ」は、私のからだからかけ離れている、というしかない思いです。逮捕された以上、すでに強制的に闘いを引き受けなければいけないのですが、であれば「性器はわいせつかどうか」という本質的な議論ではなく、私が今まで考えて紡いできた言葉で、具体的に慎重に闘っていきたい。それがとてつもなく長く重い闘いになるとしても。

 

「北原さんはわいせつ性を認めた」となし子さんの弁護団の1人がツイッターで書いていたのを、釈放されてしばらくしてから読みました。この弁護士さんは時々私の名前を出しては「フェミニストの北原はロリコン批判などして表現の自由を規制している」というような論調にもっていこうとしているので、「うまいなぁ」と感心していました。フェミニスト=表現の自由を規制する人、という偏見はわかりやすいですし、フェミニストを叩くことでこの事件は「女の事件」ではなく、「表現の自由」という「一般性」をもたせることができ、多くの人々の関心をひくこともできるでしょう。さらにフェミニストが「女性器はわいせつだと認めた」と喧伝することで、フェミニストを貶めることもできるでしょう

 でもいったい私は ”なに” の ”わいせつ性” を認めたのでしょう。彼の主語のない曖昧な文を読み、考えています。


 2011年に知り合ったなし子さんにデコまんを見せてもらった時のことは、よく覚えてます。美容整形してツルンとしたなし子さんの女性器を象った石膏の上に、キラキラの石がこれでもかこれでもかと盛られていた作品は、とっても可愛かった。

 女性器を「可愛い」と思うのは初めての経験でした。女の身体は葛藤だらけ、と考えていた私はデコまんの軽さに虚を突かれるような気分だったのです。しかも「可愛い女性器」には、男性たちが考える「女性器はわいせつ」という思考を無力化する力があります。とはいえ一方で、デコまんはそれ自体でアートとして成立するわけではなく、女性器をタブーとする社会通念がなければ意味や価値や解釈が成立しないパラドキシカルな存在でもある・・・。

 だからデコまんは面白かった。なぜなら、そ・れ・こ・そ・が、女という葛藤そのものだから。お前の性器はわいせつだと貶められ、そうかと思えば神聖な場所だと崇められ、だけどどっちにしても「評価するのはお前自身ではない」という、社会を生きる女の葛藤そのものだから。

 その葛藤は女性器の名前を連呼したところで薄れるわけでもなく、女性器アートによって男女平等が成し遂げられるわけでも、フェミニズムのゴールが見えてくるわけでもない。でも私がなし子さんのみならず、ジュディ・シカゴをはじめとする女性器アートに惹かれるのは、女の葛藤を引き受けた上で言葉を紡ぐしかない、という覚悟のようなものを感じるからです。それが「彼女にとって必要であった」という女の歴史一つ一つを、ずしりと感じられるから。

 これはもちろん私の勝手な解釈です。なし子さん自身はフェミニズムアートとして分類されることも含め、アート作品がカテゴライズされることを否定されています。私もデコまん以外の作品のことはよく分かってません。まんボートも3Dデータも、興味を持てなかった。でも、デコまんは好きだったんです。女たちが集まってそれぞれのデコまんを作っている時間は、今思い出しても楽しい。それが私の逮捕の原因になったとしても引き受けなくてはいけないよね、と諦められるほどに。

 

 それぞれに闘い方と、それぞれに歩むべき道がある。だからこそ、人って自由で、だからこそ、めちゃくちゃ寂しい。私は今回、たくさんの人に助けられて実感しました。ひとりじゃ闘えないって。でも一方で、こうも思いました。ひとりじゃないと、本当には闘えないって。フェミニズムは、そういう「私」の運動だったんだな、と。


 逮捕は厳しい体験でした。

 私の名前は大好きな祖母と同じ「北原」にしていたけれど、その名前も汚されたように感じました。名が汚される・・・って保守的な言いっぷりですが、文字通り、社会的に貶められ、国から切られ、世間から捨てられるのが逮捕という経験です。名前がなくなっちゃった感じなのです。私が持っていたもの、いろんな安心や安全が、国家による暴力で、一瞬でなくなっちゃった。

 性に関するお仕事をしているばかりに簡単に逮捕され、フェミ的発言をするばかりに嘲笑される。でもそれも全部私が引き受けなくてはいけないこと。その事実に身体が強ばりました。

 でも、そうも言っていられなくて。とにかく、考えていく、紐解いていく、言葉紡いでいくのが、私の闘いだと決めたのだから、ここにも定期的に書いていきます。よろしくお願いします。

 

あ、、、ちなみにショールームはまた閉鎖してしまいました。フローズンしてしまっていますが、春になったらアナ雪のように女の愛で少しは和らげるはず。そういう方向に向かっていけるように、スタッフみんな前向きに仕事しています。ショールームでお会いできる日を!


 最後になりましたが、弁護人の村木さんにお金を預けて下さった方々、ありがとうございました。お金については、今、寄付できる先を検討しているところです。具体的に決められたら改めて記していきます。

 書くのを待って下さった私の読者のみなさま、本当にありがとうございました。



プロフィール
北原みのり
北原みのり
ラブピースクラブ代表
1970年生まれ
1993年津田塾大学国際関係学科卒業。編集アルバイト、フリーライターを経て、96年インターネットHP制作会社をたちあげるる。1996年、日本で初めて、女性だけで経営するセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」を始める。
著書に「はちみつバイブレーション」(河出書房新社1998年)・「男はときどきいればいい」(祥伝社1999年)・「フェミの嫌われ方」(新水社)・「メロスのようには走らない」(KKベストセラーズ)・「アンアンのセックスできれいになれた?」(朝日新聞出版)・「毒婦」(朝日新聞出版)など。佐藤優氏との対談「性と国家」(河出書房新社)が最新作。