配偶者、応答セヨ
第三十三回『もしもし、私メリーさん』
2017.10.27
by 菊地ミナト
2017102702.jpg



山田仕郎と手を繋ぐのに失敗したりお花ちゃんと会ったりしている間に期日が来て、私は支店を異動した。
新しい支店のエリアはお花ちゃんの地元で、支店の最寄駅の駅前にはお花ちゃんのバイト先があって、私は大学生の頃から今日に至るまで、何度も来たことがある。ATMを使った記憶はあるけれど、銀行の看板を見かけた記憶は無いな、と思って調べたら、お花ちゃんのバイト先とは逆の出口だった。

新しい支店の所属になった初日の朝7時、何となく締まらない気持ちで駅に降り立った私はお花ちゃんに
『もしもし、私メリーさん。今あなたの地元にいるの』とメールを打った。
メリーさんというのは、小学生の頃流行った怪談で、引越しの時に捨てたはずの人形、メリーさんが、ゴミ捨て場から引っ越し先の新しい家までじわじわと近づいてくる。じわりじわりと近づいてくる描写として、新居に至る道中、「私メリーさん、いまどこそこにいるの」と電話をかけてくるのだ。
支店まで歩く間に『こえーよデブ』とメールが返ってきて、確かに、と思った。
確かに、恐ろしい話だ。

銀行の裏口はIDが登録されていないと入れない。
インターホンを押して「本日からお世話になります、異動して参りました菊池ミナトです」とカメラに向かって行員証を掲げると、守衛さんがドアを開けてくれた。
新しい支店は、合併前の銀行が違う。私がもといた支店は、合併前立場が弱かった方の銀行の建物で、新しく配属された支店は立場が上だった方の建物だ。私は合併後の採用だが、合併前の文化も合併時のしがらみも残り続けている。
新しい支店には、通用口の壁にずらりと札がかかっていた。出勤するとひっくり返すのだろう、偉い人は皆白い札になっていた。それから、名前が下の方にある人も皆白い札になっていた。既に「菊池」という札があって、赤い札だった。他に菊池がいる可能性も捨てきれないが、まぁいいやと思ってひっくり返すと白い「菊池」が現れた。

新しい課長の開口一番の言葉は、「あれ、一人?」だった。
「はい一人です」
新しい課長は、もの凄く吉田栄作に似ていた。吉田栄作をちょっと天日干しにしたような感じだ。
少し干からびた質感の吉田栄作は「フーン」と言い、私の全身をなんとなく見回してから「じゃ、支店長に挨拶に行こっか」と言った。
連れて行かれた先は支店長室で、以前の支店には支店長室は無かった。支店長は課長の後ろに普通に座っていて、いつでも所在がわかったし、何と言うかとても身近な存在だった。初めて見る支店長室は、校長室みたいで、机と応接セットと観葉植物とお花があった。支店長本人は、魚のゴンズイに似ていた。
「支店長、菊池さん一人で来たそうですよ」
「えっ、そうなの」
ここでもびっくりされている。
「あの、本来は誰と一緒に来るべきだったんでしょうか」
思わず口を挟むと、ゴンズイと吉田栄作が同時に私を見た。
「いや、普通は前の店の支店長が送ってくるものだから」
課長の説明に、今度はこちらが「えっ」と言う番だった。
銀行の中ではまだまだ下っ端だけれど、これでもれっきとした大人である。
前の支店の支店長に付き添われて新しい支店に行かなければならないほどのビビりでもない。
「ま、でも、旧行が違うからな」
そう人事資料の紙をめくりながら課長が呟き、支店長が「ハハッ」と笑った。
『旧行』というのは合併前の銀行のことで、何だかよくわからないけれど、私は下に見られた気がして憤懣やるかたなし、といった気分だった。でもいいのだ。何だこのやろう、と思った方がモチベーションは維持できる。

全体の朝礼で簡単に挨拶を済ませ、配属初日から早速引継ぎの挨拶回りが始まった。
私と入れ違いに異動になる前任の担当者は三人いて、三人とも私の同期だった。聞くと、三人が出て行っても、同期が四人いるそうだ。新卒でこの支店に配属された同期が七人、そのうち二人が退職し、残ったのが五人。今回三人異動して、代わりに二人異動してきた。
私と同じタイミングで異動してくる同期がもう一人いるということだった。
執務室の机で説明をしてくれた同期の男は遠目にもわかるくらい顔が土気色で、引継ぎ用に広げた住宅地図を見つめ、暫く黙った。
「大丈夫?」
具合でも悪いのだろうか、そう思って尋ねると、何か途切れ途切れに説明しているが、よく聞き取れない。断片的に聞き取れた単語と顔色から、どうやら二日酔いのようだとわかった。
私もそうだったが、異動が出ると異動する当日まで連日送別会が続くので、多分彼もそうなんだろう。
それにしてもこんなに調子が悪そうじゃどうしたものかな、と思っていると、遠くから課長が「ねぇ菊池さん、運転できる〜?」と叫んできた。
「自動車ですか?」
「うん」
吉田栄作は少し首を傾げ、微笑んではいるが、明らかに「それ以外に何があるんだよ」という空気を感じた。
「いや、ペーパーです」
「えっ、そーなの」
課長の周りにいた代理格の男性たちが口々に「ペーパーって」「自転車は無理だろ」とざわつく。
課長は何気ない調子で「人事資料にはペーパードライバーって書いてなかったよ」と言い、「彼、昨日の酒が残ってると思うから、菊池さん運転してあげてね」と微笑んだ。

右と左、アクセルとブレーキを軽く踏んで、どちらがどちらだか確かめてから支店を出て数分、命の危険を感じた同期からストップがかかり、私は近くのコンビニに車を停めた。
郊外のコンビニは駐車場が広い。エンジンを止めて車から降りてみると駐車場の白線がおかしなところにあった。しかしおかしいのは駐停車の位置で、私が車の横でどうしたものかと首を捻っている間にソルマックを買ってきて一気飲みした同期が運転を代わってくれた。

私と同じタイミングで異動してくる別の同期は、先に異動先で引継ぎをし、今週は元いた支店で引継ぎをしているらしい。
「みんな揃ったら歓迎会しよーね」
課長の言葉で今日は飲み会がないことに安堵した私は異動初日、19時前に支店を出ると駅を通り抜けて線路の向こう側に行った。

お花ちゃんのバイト先のコンビニに入っていくと、廃棄にするサンドイッチを片付けていたお花ちゃんのバイト仲間が「あっ菊池さん」と気づいてくれた。
「あれっ、今日スーツなんすか?」
「そうなの。異動になったんだよ。駅の向こう側に支店があるの」
「マジすか」
同僚のなんとか君は「へぇ〜」と言いながら私をジロジロ見た。
「菊池さんマジで銀行員だったんですね」
これまでこのコンビニエンスストアを訪れる時の私は、着ているものと言ったらメタルのバンドTシャツかパーカーで、「ブタッ」とか罵られながら自分に肉まんを買ったり、お花ちゃんにビールを買ってあげたりしていた。
確かに、お花ちゃんといる時の私は世間一般が抱く銀行員のイメージからはかけ離れていたかも知れない。
「マジだよ」
「ウケるわ〜」
私は一体何だと思われていたのだろう。
「花森さん裏ですよ」
「ありがとう」
お花ちゃんに電話しようとしたその時、「おーい、おデブ」という声が聞こえてバックヤードからお花ちゃんが現れた。今日のお花ちゃんは18時までのシフトだ。

お花ちゃんの「おデブ、ラーメン行くぞ」と言う酷い誘い方に苦笑するなんとか君に見送られて、駐車場に停めてある黒い軽自動車まで歩いた。お花ちゃんは自分で車を持っているわけではないので、家族の車を借りて来ている時と自転車で来ている時がある。今日は車だ。
「そういやぁさあ」
コンビニの自動ドアを出た瞬間、お花ちゃんの口調が変わった。
「俺、事故っちゃった」
停めてある軽自動車を見ると、車の後ろが明らかに凹んでいる。
「いつ事故ったの?」
「今朝」
「えっ、誰もケガしなかった?」
「いや、誰も乗ってない車だったから。俺、夜勤明けでぼーっとしてて」

お花ちゃんがぽつぽつと説明した話を総合すると、今朝がた自宅近くの駐車場にバックで駐車しようとして、停めてあった別の車にぶつけたらしい。後方を確認せず、隣の駐車スペースにバックで突っ込んだそうだ。お花ちゃんが尻から突っ込んだスペースに停まっていた車は近所の人の車で、すぐに直接お詫びに行き、修理も手配済とのことだった。
「お花ちゃん、バカだねぇ〜」
「うん」
「お隣の人が怒ってなくてよかったね」
「うん」
お花ちゃんはこちらの様子を伺っている。
私は助手席に乗り込みながら、以前だったら、こういう時に私はお花ちゃんをめちゃくちゃに叱り飛ばしていたな、と思った。
仕事明けに飲みに行き、酔いつぶれて鞄ごと荷物を無くしてしまったり、鞄は無事でも財布を無くしてしまったり、夜勤明けにフラフラと自転車をこいでいたらでいたらそのまま転んで顎の骨を骨折したり、もっと昔は急性アルコール中毒で運ばれて、病院から電話してきたこともあった。その都度、私はしょんぼりするお花ちゃんを叱り飛ばした。日頃の行いと不注意と、酒の飲み方と夜勤明けのリスク管理の甘さを理路整然と説教した。
「ラーメンどこ行くの?」
「前ヤザキと行ってうまかったとこ。いいからババァ早くシートベルト締めろよ」
私が怒り始めないことに安堵したらしく、お花ちゃんの口調がいつも通りに戻ったのを感じながら、私は暫く考えていた。
どうして普通に付き合っていた頃の私はお花ちゃんの失敗にあんなに厳しかったのだろう。
私は期待していた。
お花ちゃんに、自分基準の『まともさ』を期待していた。
だから、その基準から外れると、それを正そうと思って叱責した。
今は不思議と何の怒りもわかない。そもそも、怒りの感情を持つことが正しいことだったのか、今となってはそれさえも怪しい。

お花ちゃんとの、この良好な関係。
失敗を容認するだけの心の余裕が生まれる為には、結婚相手として見ないことが条件なのか。
私は助手席の窓から外を眺めながら、愕然とする条件だな、と思った。

プロフィール
菊池ミナト
菊池ミナト/きくち・みなと
主婦
リーマンショック前の好景気に乗って金融業界大手に滑り込んだアラサー。
営業中、顧客に日本刀(模造)で威嚇された過去を持つ。
中堅になったところで、会社に申し訳ないと思いつつ退社。(結婚に伴う)
現在は配偶者と共に暮らし三度三度のごはんを作る日々。
フクロウかミミズクが飼いたい。

カテゴリーリスト