ガサ48 真実の声
2010年4月 9日
3月26日、足利事件の再審において、17年半もの間、拘置・服役を強いられていた菅家氏の無罪が確定した。事件が起きたのは、今から20年前の1990年。4歳の女児が誘拐され、下着に犯人の体液が残された状態で、遺体となって発見された。DNA鑑定の誤りと自白の強要、そしてそれらの事態を招いた司法体制全般の問題により、この冤罪が起きたようである。再審の判決文では取調べの違法性が指摘され、裁判官からの謝罪もあった。今回の再審に際しては、菅谷氏と弁護団から、無罪判決はもちろんのこと、菅谷氏への謝罪と冤罪の原因究明が求められていた。謝罪がなされたことは(当然だとは思うが)大きなことであろう。冤罪を引き起こす体制の見直しは、今後の課題として残された。しかしながら、当時、取調べを行った検事らへの証人尋問を実施するなどの地裁の姿勢は、今後の「モデルケース」としても一定の評価を受けた。冤罪防止という教訓が得られた事件として、足利事件はたしかに重要な役割を果たしていくのだろう。
裁判長は、強要された自白を証拠として信用した裁判所の責任について「真実の声に耳を傾けなかった」と語った。真実の声。「やっていない」という菅谷氏の声は、たしかに真実の声だった。しかし、本当に聞くべき声は、性暴力を受けたうえ殺された女児の声であることを忘れてはならない。菅谷氏はたしかに被害者である。しかし、被害者はほかにもいる。生命を絶たれた女児、そして家族。冤罪で苦しんだ彼にとっては、長すぎる20年余りであろうし、家族にとってはまだ20年にすぎない。事件さえなければ24歳の娘と過ごせたはずの家族にとっては、諦めきれない年月であろう。そして、4歳の幼さで犯人に身体を利用され、捨てられた女児の気持ちはどれほどであったか。性暴力は、20年前の足利市で起きただけではない。今も、全国のあちこちで「声なき声」があがっている。それに耳を傾けられるかどうか。足利事件は、何も終わっていないのだ。
冤罪の可能性が生じると、メディアの視点や市民感情は一気に「冤罪被害者」に向けられる。まるで、冤罪被害者こそ唯一無二の被害者であり、疑いをかけた者(警察や検察、被害を申し出た被害者)が絶対悪であるかのように。この二者構造によって、もっとも安全な場に追いやられるのが犯人である。チカンの冤罪は典型的だ。冤罪被害者(男)こそが被害者であり、疑いをかけた女が悪者にさせられる。そして、犯人は誰からも咎められることなく、犯行を続けていく。
冤罪の問題は、いつ、誰の身にふりかかってもおかしくない。だからこそ、人々は冷静に考えることができなくなるのかもしれない。誰だって、“遠い被害者”の無念さよりも、“自分が被害者”となる恐ろしさのほうが生々しく感じられるものだ。しかし、自分を守るための視点で冤罪防止を考えると、結局、周囲への疑心暗鬼ばかりが募ってしまう。自分は違う、あいつがアヤシイ・・・ その感覚こそ、冤罪を生み出す根源なのではないだろうか。自分を守るための冤罪防止ではなく、弱者を守るための冤罪防止であるべきだ。誰もが「自分の声」が誰かの声を奪っているかもしれないと考えること。自分の言いたいことが、「言えていない」ことに気づくこと。お互いに「言える」ようになり、「声」が届くようになり、「耳を傾ける」社会にしていくこと。こうした積み重ねなしに、冤罪という暴力はなくならないのではないだろうか。
すごく遠い道のりに感じる。なんだかもう無理なような気がする。冤罪に限らず、暴力をなくすことを考えると、その途方もなさに身がすくんでしまうことがある。こんなとき、つい、こう思ってしまう。「誰か、とっとと解決してくれ」「もう、このままでいいや」―― まさに冤罪が起きる心理と同じではないか!
諦めたとき、そこに暴力が生まれる。何もしなくても、手をあげなくても、もう無理だと思うとき、人は他者の「力」に頼り、自分を「無力」にする。他者の力がたとえ正義であれ、正論であれ、自分の正義を持ち、自分の正論を持たなければ、自分にとっての「力」にはならない。他者の「力」を利用しないこと。自分の「力」を持つこと。それが暴力をなくしていくために、私たちにできることなのではないだろうか。
20年前に亡くなった女児と、たくさんの声なき声へ。
その声に、今もこれからも耳を傾けていきたいと思う。
本コラムは、今回で終了します。
『ローギアで行こう』から、『心のノート』『まろんじる byまろんず』、そして『マンキシャ!』と、8年間にわたり連載枠を持つ機会をいただき、心から感謝しております。随分、モノの見方が変わったところもありますし、一方で、毎回、同じコトばかり書いていたようにも思います。20代から30代のオンナ時代に感じたことを、拙いながらも言葉にしていったことは、私自身をラクにしていきました。今後も、四畳半からジェンダーを考える“お茶の間心理学者”として精進したいと思っております。どうもありがとうございました。
2010年3月31日 のさちーぬ
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のさちーぬのプロフィール
のさちーぬのプロフィール
関西在住、4畳半から社会のジェンダーを覗くお茶の間心理学者。
オトコだらけの大学にて、単独婦人部を立ち上げ、ドリーム(=俺の夢)撲滅運動にいそしむ。
カウンセラー業につきながら、自分の悩みはつきない。
三十路にあたり、早くも更年期症状の日々。
目下の課題は、月経周期との共生であり、オトコとの共生には無関心である。
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