ガサ18 「府知事の涙」

4月17日、大阪府で行われた橋本徹知事と府内43市町村長との意見交換会。府知事直轄の改革プロジェクトチームの案について、反対の意を表し、強く再考を求めた各首長らを前に、府知事は目を赤くし、声を上ずらせながら「大阪をなんとかしたい」と述べたのだった。改革案が今後、どのように修正、実行されていくのかという議論の顛末よりも、知事の涙をめぐっての波紋が広がっている。橋本知事は、先の府知事選で「おおさかを笑顔にするプラン」を基本政策に掲げ、「子どもたちが笑うことに大阪府の財源を集中」させると述べていた。しかし、実際の改革案を見れば、福祉や教育に関わる財源は大幅カット。とりわけ児童施設や教育機関、福祉や医療にかかる予算は大きく削減され、実際に「子どもたち」に関わる現場の人々の笑顔は消えた。プロジェクトチームが庁内での折衝をせずに作成した財政再建プログラム試案は、大幅な歳出減を盛り込んだ1100億円の収支改善を示したものだが、市町村ではすでに事業に対する予算が組まれ、改革案では現行の事業の存続はまず不可能になる。そのため、意見交換会では市町村長から反論が相次ぎ、改革案の撤回を求める声があがった。語気荒く府知事に再考を迫る首長らを前に、理解を求めて泣いた知事。

当日、17日の報道では、府知事の涙についての賛否両論が掲載された。「知事には泣くほどの真剣さがあるということが伝わってきた」という知事に好意的なものから、「茶番のようでアホらしい」と冷ややかにみるものまで、いくつかの府民の声が報じられた。こうしたなかで、報道陣から涙の意味を問われた知事本人は、こうコメントしていた。『覚えていない。』

翌18日、マスコミの報道は一転、意見交換会で知事を糾弾した市町村長の態度に向けられる。意見交換会のあと、大阪のみならず全国から、市長らを批判する抗議の電話やメールが各市役所に殺到しているという。「知事をいじめるな」との趣旨らしい。前日の“アホ”扱いから、“いじめられっこ”ポジションに返り咲いた橋本クン。今度は、報道陣を前に余裕のコメント。『昨日の涙を悔し涙ととられることは不本意。それで私を応援してもらってもよくない』『プレスの皆さんには、うそ泣きということにしておいて』

知事の涙が巻き起こした論議(といっても、「いじめるな」という子どもレベルの内容なのだが)について、かつての田中真紀子元外相の涙に対する小泉元首相の「女の涙は武器」発言を例に挙げながら、「今や『男の涙も武器』の時代」などというベタな評論家発言も散見されるが、田中元外相と橋本知事の“涙”、全然、意味が違うでしょう。田中氏が涙を見せたとき、「外相をいじめるな」なんてFAX、誰も送らなかっただろうし。

二人の涙の真意はわからない。でも、涙の意味、少なくとも涙に対する彼らの意識は、まるで違うと思うのだ。

橋本クンの政策には、私も一府民として怒りと危機感を覚えているし、内容のみならず強引なやり方にも納得がいかない。しかし、まぁ、弱気な一府民の心情としては、もしも私があの意見交換会の場に立っていたなら(現実味のない仮定ではあるが)、四面楚歌で怒鳴られる状況に怯え、怖がり、自分が情けなくなり、思わず涙がこぼれてしまうかもな、と想像できる。でも、だからこそ、“もし私が知事だったなら” 絶対に涙をこらえるだろうと思うのだ。涙が出そうになっても、絶対にそれを見せまい。女である私がそこで泣いたら、ただの「泣き虫」でしかない。誰も、その涙に「知事の真剣さ」など感じ取ってくれはしない。「だから女は頼れない」「感情的だ」と言われるのではないかとの怖れが、きっと、目の前にいる市町村長の視線以上に、強く自分に圧しかかるだろうと思うのだ。

でも、橋本クンは違う。彼はその日、こう言っていた。『覚えていない』と。本当にパニクッて記憶が途切れてしまった可能性もなきにしもあらずだが、私は彼の態度について、「シラを切った」という厚かましさよりも、「何も考えていなかったのか」というすがすがしさにも似た、深いあきらめを感じたのである。彼にとって、あの場で目に涙を溜めたことは、しょせん、“覚えていない(と言い切れる)程度のこと”なのだろう。「覚えていないことにしたい」という現実否認から発せられた言葉なのだとしても、もしそうならば、取材陣から問われた涙の理由について、「わかりません」ならともかく「覚えていない」というのは、かなりセレクトを誤った言い訳ではないだろうか。もし私が、涙や冷や汗、アブラ汗タラタラの状態で壇上から頭を下げる姿がTVで放映されながら、そのあとに「覚えていない」などと言い放ったら、ただのバカと映るだろう。政界進出の予定も、意見交換会に出席する予定もない私が、「あの場で涙を見せてしまったらおしまいだ」と自分の軟弱さを責め、意味もなく身悶えたりしているというのに、彼は『覚えていない』で済まされる(と思っている)のだ。この違いはなんだ。

で。翌日には『昨日の涙を悔し涙ととられることは不本意』って、風向きが変われば自分の「涙」を『覚えている』のだから不思議。「悔し涙」じゃなくて「うそ泣き」ということにしておいて欲しい、という彼の冗談(?)も意味がよくわからない。悔し涙じゃなかったら、何だったのでしょうか。本気でやりたいと思っている改革案が反対されたんだったら、悔しく思うのがごく自然な感情なのではないでしょうか。どうなのでしょうか、橋本クン。言葉のセレクト及び感覚のチューニングがかなり苦手なご様子。心配で泣けてきます(うそ泣き)。


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