1ヶ月間の休載、失礼致しました。世界規模(といっても厳密には世界の一部)のビッグな運動会開催を前に、私はといえば、四畳半規模の極小の家族会議に参加していたのでした。オリンピックの開催地 北京におけるテロやデモが懸念されているけれど、我が家族会議の開催地、両親の住まう実家においても激しい火花が散ったのであった。ここ10数年、父親と二人暮らしをしていた母親が、突然、「息子夫婦と同居する」と言い出したのである。たじろぐ弟夫婦。「やめておきなよ」と母親をたしなめる私。そして、「母さんの決めたとおりで」とまるっきり意思のない父親。こんな“身内”に囲まれて、ついに、母親はキレた。「同居は当分のあいだ、見合わせたい」という息子夫婦の意向を伝えた私の前で、母親は、街の雑踏のなかであるにもかかわらず、人目をはばかることなく泣き叫び、「嫁のせいか!」と弟の妻を罵ったのである。さらに、弟夫婦のいる東京の地を避けるように、私の住む大阪のマンションへやってきた母親は、数日間、機嫌よく過ごしていたと思いきや、帰りの機内で「他人にまでバカにされた!」とわめいたという。“他人”というのは、私が一緒に暮らしている私の妻のことなのだが。自爆テロのような母親の反撃に対し、「母さんの言うことだから」とこれまた主体性のない父親が追従。「嫁と妻を責めるな!」と真っ向から対立モードの私。たじろぎながらも、「話し合うしかない」と家族会議開催を誘致する平和主義の弟。かくして、四畳半家族会議が開かれたのであった。
久しぶりに訪れる実家。もう数ヶ月、いや、数年間、来ていなかったと思いながら、テーブルにつくと、母親がいつものようにいそいそと膨大な量の手料理を並べる。居間の隅に、料理に負けないほど大量の処方薬が積まれているのが目に入り、「無理をさせているのだろうな」と心が痛みながらも、「だったら、そんなに必死で料理なんてしなくていい」と苛立ちも沸いてしまう。そう、いつも私は母親に対してこうなのだ。「ありがとう」の気持ちと同時に「やめてほしい」という怒りを抱いてしまう。私が思春期を迎えた頃から、私にとって母親の行動は、感謝の気持ちとともに何かネガティブな気持ちが付随するものだった。「ありがとう。でも、そんなに無理しないで」「うれしい。でも、お母さんは楽しいの?」「助かる。でも、そんなことしてもらったら悪いし」・・・。もう何十年も抱き続けている自分の気持ちにうんざりしながら(自分はなんて成長しない人間なのだろうと思う)、皆、黙々と箸を動かす(夫や子どもが食べるのを眺めているだけの母親を見て、またもやイラつく私は、成長しないどころか反省もできない人間であると思う)。
食事が終わり、いつも肝心なときに黙っている父親が口を開いた。「二人に言いたいことがあります。お母さんは傷ついています。」・・・・ナレーションか!? どんな立場なのだ、この男は。そもそも、母親が父親との二人暮らしに耐えかね、子どもとの同居を望んだ理由は、父親のアルコール依存とそれによって引き起こされた病気の治療のために、度重なる通院や入院へのつきそいが負担になったことが大きいのだ。どこまでも、まるで当事者意識のない父親。あっけにとられる私と弟、そしてもう気が済んだかのような父親を前に、母親が述べた「同居」の言い分は、次のようなものだった。「父親(夫)と二人で生活すると、父親の面倒をみきれない。老後は子どもに面倒をみてもらいたいが、面倒をみられるだけでは申し訳ないので、面倒をみたい。息子夫婦は共働きで忙しいだろうから、面倒をみてあげたら助かるはずだ。嫁のお母さんも、面倒をみてやってほしいと言っていた。息子夫婦に子どもができたら、面倒をみる人が必要だ。自分は面倒をみてあげられる。『同居』をすれば、すべてうまくいく。」
数十分間にわたって、とうとうと語る母親は、まだ60歳を過ぎたばかりだというのにすっかり老けこんで見える。母親が表情を歪めながら父親との生活の大変さを語るその隣で、平然と座っている父親を見ては、やはり母親の相当な苦労がしのばれる。しかし、「面倒をみる」という言葉がくりだされるたびに、母親の目がらんらんと輝くさまを見て、私はやりきれない気持ちになり、胸が塞がれる思いがする。いつもの気持ちだ。「面倒をみてくれてありがとう。でも・・・」という、私が抱き続けてきた思い。60年間、オンナであった母親の「自分が面倒をみる」ということへの、あまりにも揺らぎのない使命感と誇り。夫との生活がつらくて、薬を飲みながら生き抜いて、そして泣き叫びながら望むのが「面倒をみる」ということだとは。誰からも「面倒をみてほしい」と言われていないのに(少なくとも、今は、弟夫婦も望んでいないというのに)、「面倒をみる」という“善”は、彼女にとって当たり前すぎることなのだ。それを当たり前に思う夫と暮らした40年間は、たしかに、それが事実であったかもしれないけれど。
弟夫婦は仕事で忙しく、食事も不規則だ。現代の多くの若者がそうであるように。そして、不規則な食事と引き換えに、二人それぞれの生活を保つことを選択している。(と言っても、弟の妻は毎日、ほぼ完璧な栄養バランスの手料理を作っている! 不規則といっても、食事の時間が遅いとか、たまに外食になるというだけの話なのだ。) 母親は「このままでは息子は病気になり、父親の二の舞になる」と懸念するが、30歳を過ぎた息子の食事や溜まった下着の洗濯をし続けることで、「父親の二の舞になる」とは思わないらしい。そして何より、“姑”と同居し、子づくりのプレッシャーを受け続けることになる“嫁”が、「かつての自分の二の舞になる」とは、ゆめゆめ思わないようなのだ。かつて、娘である私の前で母親は、どれだけ“嫁”として味わった苦渋を語り続けたことか、どれだけ“オンナ”の生き難さを伝え続けてきたことか。それを聞き続けたからこそ、私は、オトコやイエに頼らず生きていけるようになろうとしたのに、今や、「イエ抜きでの助け合い(=近所に住んで必要なときだけ助け合うこと)」を提案する私の態度こそが、“オンナ”である母親の生きかたを苦しめるものと受け取られている。弟の妻に、オンナの苦労を強いらないでほしい。母親にも、死ぬまでオンナとして苦労を重ねないでほしい。そう思うけれど、それでは一体、母親が望む生きかたって何なのかと考えると、彼女はすでにこう叫んでいるわけだ。――「面倒をみさせて」と。
母親の自爆テロ的な言動によって、家族みんなが傷ついた。義母の望む同居を叶えてあげられないといって、弟の妻は自分を責めた。私の妻は何もしていないのにもかかわらず、義母に「バカにされた」と濡れ衣を着せられた。そして、母親の言葉を信じたいと思う弟と、自分の妻を信じる私の間には、溝ができた。父親は、「母さんが傷ついたなら、自分も傷つく」といって、意味不明ながらも傷ついていた。お互いに相手を信じることができなくなり、お互いがぐんぐん離れていった。
でも、そうして距離をおいてふりかえってみると、母親が決死の覚悟で叫んだ言葉を、私はちゃんと聴こうとしなかったのだと思う。「同居する」という母親の言葉を、いったんは、ちゃんと受け止めるべきだったと思う。私自身は今でも「同居なんて、双方が望まないならすべきではない」と考えている。その理由や根拠だったら、オンナに関する経験や理論からいくらも挙げられる。嫁という立場、マザコン、不妊への圧力、男女の自立、新しいパートナーシップ・・・ でも、これらは本当ならば、オンナの生きかたを楽にするためのコトバであって、オンナの口封じに使うためのものではないはずなのだ。それなのに私は、正論ぶりながら母親の言葉や思いをツブしたのだと思う。爆弾を放ったのは、母親ではなく私のほうだったのだ。オンナの言葉や思いがツブされ続けてきたこと、まさにそのことが、母親を自爆させるまでに追い詰めたというのに。
家族会議を経て1ヶ月。弟と私の関係も修復されつつあり、母親も少し安定したようす。娘として“金メダル”なふるまいは何一つできないけれど、とりあえず家族というものから逃げずに“参加”だけはしていこうと覚悟を決めた夏だった。