ガサ26「信頼と行動」

映画『SEX AND THE CITY』を観た。泣けた。ドラマがスタートしたときには30代だったオンナたちが、年月を経て、今、40代を生き、そして50歳を迎えた友人を祝う。それだけで、オンナの友情は長続きしないとか、オンナの友情は誰かにオトコができたら破綻するなんていうチンケな俗説を吹き飛ばす。映画のオープニングシーンで、これまでのいきさつをレビューするシーンが流れただけで、滂沱(ボウダ)の涙を流した私は、少し涙腺が緩みすぎではあるが(加齢のせいか)、見終わって数週間、いい気分を味わい続けている。

なかでも私の胸を熱くしたのは、この場面。主人公キャリーが、恋人だったオトコに、予想外の仕打ちをくらう。オンナの待つ場に、オトコが来ない! それは、恋愛モード絶頂期のキャリーにとっては、とんでもなくありえないオトコの裏切り行為だった。それを知ったキャリーは、顔面蒼白のまま、一緒に待ち続けてくれたオンナ友だちに向かって一言、放つ。「この場から、連れ帰って!」 そこからがスゴイ。3人の友人は、誰一人、彼女に問い直すことなく、諭しなだめることなく、友人キャリーが“今、望むこと”だけをしてやるのだ。何の迷いもなく、ものすごい速さで、キャリーとともに車に乗り込む友人と、キャリーのために来客への対応を引き受ける友人。「どうしてこんなことに!?」とか「でも、世間体が・・・」とか「そもそも、なんであんなオトコとつきあったのよ!」なんていう言葉は、誰も言わない。友人が“今、望むこと”は、ただ、この場から連れ帰ることだけなのだから。わずか数分のシーンに凝縮された、彼女たちの友情のありよう。それは理屈とか正しさとかではなく、友人が望んでいることを“信じる”ためらいのなさと、望んでいることを“する”まっすぐな行動力だ。

もし、私だったら・・・できないだろうなぁ、と思う。オンナ友だちの恋愛熱が高まれば高まるほど、「そんなにいいオトコかぁ?」と冷静さが高まり、トラブルとなれば「やっぱりねぇ」と思ってしまう私。われながらひどい言い草ではあるが、自分としては大好きなオンナ友だちであればあるほど、“オトコのことなんかで”傷ついてほしくない、とお節介な気持ちを抱いてしまう。オトコの裏切り行為に対して、一緒に怒ることはあるだろうけど、怒りの矛先は目の前にいる友人に向いてしまうかもしれない。友人の望むこと“だけ”をする―お節介も説教も同情も余計なお世話もなしに―ということは、ものすごくいさぎよい友情だなと感じる。

そんなことを感じていて、ふと思い出した10年以上も前のできごと。当時、私は学生で、アパートで一人暮らしをしていた。ある晩、アパート前まで到着すると、建物の向かいの暗がりで中年男性がじっとたたずんでいるのに気づいた。こんなところで何をしてるのよ、と咎めるようなまなざしを向けると、私の視線の先には、オトコの手元に握られたペニスが。夜の暗さに紛れるようなスーツの色と対極の、一部だけ不自然なまでに明るく見える肉のかたまり。とっさに私は目をそむけ、逃げるようにしてアパートの部屋に駆け込んだ。部屋に入り、カーテンの隙間から路上を覗くと、オトコの姿はもうなかった。サイアク!と息巻いていたのも束の間、次第に、「なぜ、あそこにいたのか」「私の部屋を覗かれていたのではないか」という不安が高まってきた。そして、オトコがペニスを出して立っていた、というだけのことに、これだけ恐怖感を味あわされたことに、猛烈な理不尽さと怒りを覚えた私は、友人に電話をかけたのだ。

一人目は、「でも、何もされなかったのなら、よかったよ」と言った。ちっともよくない! 何もされなかったんじゃなくて、ペニスを見せられたし、アパートの前に立たれたし、こんな思いをさせられた。きっと、友人は私を励まそうとしてくれたのだと思う。でも、それは私の望むものではなかった。

二人目は、「そういうのって、多いよね」と言った。件数が多かろうが、よくあることであろうが、私がイヤだったのは、さっきの“1回”の事実なのだ。客観的な事実など、どうでもよかった。きっと、友人は私の被害体験を社会問題として捉えてくれたのだと思う。でも、それは私の望むものではなかった。

三人目は、「それは腹が立つよね」と言い、私と一緒に怒ってくれた。それだけのことだったが、私が望むのはそれだけだったのだ。私は無理やり励まされることもなく、すぐに“元気”になろうとしなくてよかったし、社会で起きているほかの事件まで考えることなく、“立派な”被害者でいなくてもよかった。私の望むことをしてもらえたとき、私はようやく友人に話してよかったと思えた。

あれから10年経つ今なら、ペニスを露出させるようなオトコを野放しにすることなく、携帯カメラで証拠写真を撮り、警察に通報する・・・くらいのことができる自分でありたいと思うけれど、実際には難しいだろうから、せめてオンナ友だちと助け合いながら、暴力が溢れたこの社会を生き抜きたいなと思う。望むこと“だけ”をしあえる信頼と行動力をもって―。

先週末に起きた福岡市の小1男児の殺害事件の容疑者として、35歳の母親が逮捕された。母親が子どもを手にかける、ということに対して、まるで母親としての心がないかのように報じられるのは、いつも胸が痛む。殺害に至った背景や理由はまだわからないけれど、“母親としての心”ならばこそ、追いつめられてしまった面があるのではないだろうか。母親は、病気を抱えながらの子育てであったとか、4月には自らPTA役員を引き受けて意欲を見せていた姿なども報じられている。本当に真面目な人なのか、単にいい顔をしたがる人なのかはわからない。いずれにせよ、ちゃんとした母親であろうとしたのだろう。その後の報道では、殺害が衝動的なものではなく、計画性があったものとも言われている。彼女の計画的なシナリオのなかでは、最後まで、“母親らしく”行方不明の息子を案じ、死亡した息子を嘆き悲しむ姿が描かれていた。

もし、彼女が“母親”であることから少しでも自由な時間があったなら、このシナリオの顛末は変わっただろうか。もし、彼女が、“今、望むこと”を誰かにしてもらえたなら、彼女はそれでもなお、息子の死を望んだだろうか。もし・・・という問いは不毛であるとわかりながら、自分と同い歳のオンナの選択した行動が悔やまれてならない。


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[2008/11/08]
ガサ29 たしかにひどい事件だが
[2008/10/17]
ガサ28「性犯罪者の去勢」
[2008/10/04]
ガサ27 「殺すオンナ・殺すオトコ」
[2008/09/24]
ガサ26「信頼と行動」
[2008/08/29]
ガサ25 「セクハラCM」
[2008/08/10]
ガサ24 オンナ道
[2008/07/01]
ガサ23 レイプを語る声
[2008/06/13]
ガサ22 男の犯罪
[2008/05/30]
ガサ21 箱入り息子
[2008/05/16]
ガサ20 顔
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