【送信67:みそまんQ & A】

2010年1月19日


『三十路マンコの品格』の連載中にいただいた意見のベスト3をご紹介しつつ、お答えしたいと思います。
【その1】本当の話ですか?
【その2】なんでお金を求めたの!?
【その3】夫への罪悪感はないの??

まず、本稿は、ほぼノンフィクションです。相手本人が見たらバレるんちゃうかというレベルの大暴露。事実、連載途中に相手の不審な態度を見て、「・・・ヤバイ、バレたかも」と思って焦ったこともありましたが、たんに相手が不審な男だっただけ、ということもありました(不審者ともセックスをする私)。でも、万一、相手がこれを読んだとしても、本人は自分だとは気づかないかもしれません。セックスとは一心同体な行為と思われがちですが、実際はまるで逆。いわば、“二心別体”の行為です。同じ気持ちで抱き合っているなんてことは幻想あるいは妄想だし、決して一つにはなれない(ならない)体を、だからこそ各々が感じあうことに全力を尽くす行為だと思うのです。相手とのテンションの違いや欲求の違いという「二心」をつき合わせながら、「別体」がどうすればより感じるのか、「別体」によってどう感じさせてもらうのかを創意工夫しなくては、セックスは楽しめません。私は、セックス依存症気味かもしれませんが、セックスにハマればハマるほど、男には依存しなくなったと思います。なぜなら、セックスを楽しもうとすればするほど、相手と自分が「別体」であることを実感させられるから。そして、“私”という相手とは別の「体」を愛しく思えるようになるからです。そんな「別体」の私が体験したセックスは、きっと、相手が体験したセックスとは違うのでしょう。まぁ、相手が満足したかどうかはさほど気になりませんが、まぁ、性器触れ合うも他生の縁、と申しましょうか。相手も楽しんでいたなら、よかったですね、と思います(他人事)。

そして、連載中、もっともヒートアップしたのが『みそまん 愛人編』に対するコメントでした。「なぜ、お金を?」「どうして、愛人になろうとするのかわからない」という疑念・困惑・批判あたりの感情でしょうか。しかしながら、私にとっては、とても不可解なリアクションでした。逆に問いたい、「お金、欲しくないですか?」と。とりたてて稼ぐほどの気概はありませんでしたが、遊ぶ金がチャラになるシステムがあるなら利用したいと私は思いました。たとえて言うなら、料理好きが自腹で楽しむクッキングサークルに参加しているうち、「僕の料理を作ってよ、月2回くらい。鍋や材料は使い放題だし、20万円出すから」と言われて、腕試しとして、あるいは趣味と実益を兼ねた軽い仕事としてやってみよう、というようなものです。ところが、確かに、落とし穴はありました。料理をつくる、というクッキングサークルでは何の問題もなかった行為が、「僕の料理を作ってよ」と言われた途端、料理を作ることが“俺様の下僕”的な行為に変わってしまう危険性です。セックスにおいても、まさに同じことがいえるでしょう。セックスを楽しむだけであれば、両者の間には何も(とは言えませんが、比較的)力関係が生じないにもかかわらず、「俺とセックスをしてよ」となった途端、ものすごく力の差が生じてしまいます。では、やはりお金を介した行為自体に問題があったのでしょうか? でも、考えてみれば「月2回、私の料理を作ってくれない? お金は払うから」と婆に頼まれたのであれば、それは力関係ではなく、契約関係になるはず。つまり、お金の問題ではなく、男、そしてセックスや料理というジェンダーにまみれた行為であることに問題があるのではないかと思います。確かに、半端な気持ちで愛人をやってみようと思ったことについては、我ながら浅はかさを痛感しますが、それは男や金という暗黒的問題と渡り合うにはあまりに「半端」だった自分の構えに対する浅はかさです。やってみたことはノープロブレム、やってみないとわからなかったことばかりですから。それに、私も半端だったけれど、途中で「金がない」だの「妻を愛している」だのと言って逃げ出した男たちのほうが、よっぽど半端です。

最後に、夫への罪悪感について。本稿での夫の登場回数は非常に少なかったので、もっとも存在感の薄い男に成り果てていますが、今も私は夫と婚姻関係を続けております。そして、これまでと変わらず、連載中も一度もセックスをしないまま現在に至っています。私は今や無類のチンコ好きですが、夫のチンコは、私にとって性器というより臓器。一緒に入浴することもあるし、着替えの姿も見ることはありますが、チンコは体調や疲労のバロメーターにすぎません。決して、軽視しているわけではなく、むしろ臓器の一つとして五臓六腑と変わらぬ価値をもつものとして丁重に扱うべき肉片なのです。それをセックスに用いる気持ちがなかなか生じないのです。そして、このことは私たち夫婦にとって問題がなければ、何も問題がないことです。私は他の男のチンコに欲情し、セックスをしているわけですが、他人男の五臓六腑にはまるで関心がありません。万一、死臭を発していても、気にせずセックスをするでしょう(臭いをかがないように体位を工夫するとは思いますが)。一方、夫のオナラの臭いは、とても気になります。一緒に食事の内容を考えて、体調を整えるための手立てをあれこれ考えるでしょう。もし、私が当番だった料理が原因であったなら、私は罪悪感すら抱くはず。「あぁ、気の毒なことをした。私がヘンな料理を作ったせいだ」と。でも、他人男とのセックスについて、私は一度も夫に対する罪悪感を抱いたことがありませんし、今も後ろめたさはありません。オナラには自責感を抱くのに、セックスには自責感はない。それはなぜかと考えれば、夫婦の間でお互いの「体」の意味や価値が、健康という一点にあり、快楽やエロではないからです。ほかの夫婦はどうなのでしょうか。お互いに欲情しあわなくなったとしても、お互いの体を無意味・無価値と思っているわけではないと思います。ただ、体をセックスには使わなくなったというだけの話です。セックスレス夫婦であっても、お互いの体を大切にしている夫婦はいくらでもいるはずです。

自責の念が感じられない理由として、私がセックスを「なんぼのもん」と思っていることも影響しているかもしれません。私はセックスが好きですが、たかだかセックスです。気持ちよくなるだけの行為です。セックスは、愛でもなければ、保証でもなく、ましてや“夫への裏切り”に値するほどの重大な行為ではないと私は考えています。フェミ集会で家を空けることと、ラブホにしけこむために出かけることは、私にとっては、さほど違いがありません。どちらも私の楽しみであり、私の時間です。もし、家を留守にすることで夫に迷惑がかかるのであれば、それはフェミ集会のせいでも、セックスのせいでもなく、あくまで迷惑となった何らかの行為にあるはず。お互いがオナニーをしまくっていたとしても、夫婦関係には何ら問題はありませんが、オナニー前後の準備や片付けをせずに部屋を散らかしていたならば、そこには「隠れてやらなかった」という罪と、「共同スペースを散らかした」という二つの罪が生じ、謝罪すべき問題となるでしょう。外でセックスをしまくることへの罪も同じ。自分の快楽であれば相手に見せつける必要はないし、自分の責任で遊ぶなら共同生活にしわ寄せをいかせるべきではない。「オナニーとセックスは違う」というならば――それは、もはや性行為についての価値観の違いでしかありません。

女がすべきセックス、既婚者がすべきセックス・・・それがあると思う人は「すべきセックス」をすればよいこと。私は「したいセックス」をするまでのこと。それだけのことだと思うのです。

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10

萬田潤子 プロフィール

萬田潤子 マンダ ジュンコ
関東在住36歳既婚 関西出身のナニワ系中年女子 ふだんは、司書として図書館に勤務。三十路も半ばを過ぎてからの“出会い系”デビュー、 その後、現在まで1年あまりにわたる充実した性生活を謳歌中。

マンコの、マンコによる、マンコのためのセックスを“出会い系”において追求する日々。出会い系はリスキー? それとも快楽の新境地? マンコで感じて考えた中年女子のセックス体験記。


▼コラム一覧へ戻る     ▲page topへ

最近のコラム

すべての記事を見る

月別アーカイブ

このコラムを購読する

コラム一覧

サイト内検索

新着商品情報

おすすめアダルトグッズ

新着アダルトグッズ

新着アダルトグッズ