●はたいゆみからアンティルさんへ

「正しくあるかどうかより、幸せであるかどうかを基準にしたいなあと」。
フジモトマミさんのこの言葉に、「ウン、ウン、私も!」と深く頷いちゃいました。今は自由気ままに暮らしている私ですが、4、5年前は「母親たるもの」「夫婦たるもの」「家族たるもの」というような、私の内側に侵食していた「世間の基準」により、身動きが取れなくなっていた時期もありました。だけどそんなつまらない基準より、「自分が幸せであるかどうか」を基準にすれば、極めてシンプルに物事を判断できる。それができるようになった今では、日々の暮らしの中に小さな幸せがコロコロと転がるようになりました。

そんな毎日の中から「一番幸せ」だと思うことを絞り込むなんて、えらく迷ってしまいます。う〜ん、強いて挙げるならば・・・「一緒に笑ったり怒ったりしてくれる人が存在することを実感したとき」でしょうか。たとえば数日前、娘のコトリンと2人で歩いていたら、私、電柱にガツーンと顔をぶつけました。そりゃもう、マンガみたいに……。あまりにも凄まじいぶつけかたをしたのでメチャクチャ鼻が痛かったのですが、痛みよりむしろ恥ずかしさと、「電柱に顔をぶつける人が実在するなんて。しかもそれは自分……」という衝撃に打ちのめされました。そういえば、ずっと昔(中学生くらい)にも、道に落ちていたバナナの皮でツルッとすべって転んだことがありました。あのときと同じ衝撃。たしかあのときはスックと立ち上がり、何事もなかったようにスタスタとその場を離れたハズ。しかし今回はコトリンがお腹を抱えて笑い転げ、「ママが電信柱にぶつかったぁー!」と何度も何度も叫んでいました。そんなコトリンを見ていたらちょっとだけ救われたような、いやそれどころか「こんなにウケてる! ナイス!」と自分を褒めてあげたい気分になりました(鼻はまだ痛むけど……)。

そして、私の「痛み」に共感してくれる友だちの存在(鼻の痛みのことじゃないですよ、念のため)。私がその「痛み」をまだ消化しきれずにいるとき、友だちのハカセは私が言語化できずにいる思いを言葉にして、気持ちを整理するのを手伝ってくれます。あるときは一緒に笑い、またあるときは一緒に怒ってくれる人の存在って本当にありがたい。日常の中のこうした思いをおざなりにせず、幸せな瞬間を自覚しながら大事にしたいと思います。

それでは、アンティルさまへ。
「FTM」という病名を知ったことで、これまでに投げかけられた「オンナらしくない」という言葉から解放され、しかしその後も「FTMらしくない」という言葉に自己を否定される――。そんなアンティルさんのコラム、私自身の体験にも重なる部分があるなーと思いつつ拝読しておりました。私の場合はこうです。

「DV」という暴力の形態を知ったことで、これまでに投げかけられた「母親らしくない」という言葉から解放され、しかしその後も「いったいどこからが暴力といえるのか」などと「DVらしさ」を求め、戸惑ってしまう――。今年のコラムには誤解を恐れて書けずにいましたが、そろそろ整理が付いたので来年は「DV」について書きたいと思っています。

さて、最近アンティルさんは、周囲から「らしさ」を求められたとき、どんなふうにかわしていますか? 私の目下の目標は、真正面から立ち向かうのではなく、エレガント&フェミニンに(?)はぐらかすことなのですが……(ガハハッ!)


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[2008/05/03]
[最終回]さよなら、ナニー
[2008/04/15]
[第20回目]コトリンの変化
[2008/04/07]
[第19回目]“シッター”兼“家政夫”のハル君
[2008/03/05]
[第18回目]ナニーからの相談ごと
[2008/02/06]
[第17回目]“男並み”に稼げるようになったら……
[2008/01/01]
はたいゆみからアンティルさんへ
[2007/12/06]
[第16回目]離婚への長い道のり
[2007/11/07]
[第15回目]離婚記念日〜そして出産計画
[2007/10/16]
[第14回目]シッターさんは求職中。
[2007/10/12]
[第13回目]冷蔵庫の中の変貌ぶり
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