運転免許の合宿を終えて、わが家にナニーのマイマイが帰ってきた。
だけどこれまでのように、コトリンをマイマイに任せ切るのはやめた。毎日は無理でも、なるべくコトリンが眠る前に帰り、私が寝かしつけることにした。するとコトリンは、毎回私の隣で1時間、ひどいときには2時間以上、泣きわめくのであった。
「最近どうしたんですか? 夜、コトリンがずいぶん泣いてるみたいだけど……」
仕事に出かけようとしていた私に、マイマイが心配そうに尋ねてきた。
「『保育園の男の子がいじめる』って言って泣いてるの。だけどその男の子って、コトリンより頭ひとつ小さなかわいい男の子なんだ。どうしたらいいんだろうねぇ?」
「コトリンには、なんて言ったんですか?」
「『あんなちっこいのは、やっつけちまえ!』……って言いたいところをガマンしてね、『先生に話してみたら?』とか、『ぶたれる前にピューッて逃げたら?』とか、いろいろ提案しながらいっぱい話を聞いた。きっと4歳にもなると、友達同士のトラブルがいろいろ出始める頃だと思うんだ。だからウチに帰ってきたらゆっくりさせてあげてくれる? 多少ワガママを言っても、お行儀が悪くても、怒らないであげてほしいんだ」
じつは、こんなことをマイマイに話したのは、気になることがあったからだった。コトリンが「保育園でいじめられた」と言って泣く合間に、マイマイへの不満がちらちらと見え隠れするようになっていたのだ。
「マイマイはすぐ怒る。だけど、なんで怒られるのか分からない」
「マイマイは自分の部屋のカギを閉めて、出てきてくれない」
「マイマイは一緒にごはんを食べてくれない」
そんなコトリンの訴えをそのまま受け止めるべきかどうか、躊躇している自分がいた。私に早く帰ってきてほしいばかりに大げさなことを言ったり、ちょっとした嘘を付いているのかもしれない。その言葉を全面的に信じることは、甘やかすことにならないか――。
なにしろマイマイと暮らし始めたことによって、コトリンの生活リズムがやっと整ったのだ。毎晩20時半には、マイマイから私のケータイにメールが届く。
「コトリン、寝ました!」
それを見ると安心して、もうひと仕事して帰ることができるのだった。
まさに、区役所でよく目にする標語「早寝 早起き 朝ごはん」が、ようやく実現したっていうのに……。マイマイがいなくなってしまったら、またあの標語を見るにつけ焦りを感じ、溜め息をつく生活に逆戻りしてしまうではないか。
迷いに迷って、何人かの友人に相談した。それでも結論は出せなくて、以前何度か取材をさせていただいた心理カウンセラーの山崎雅保さんに相談することにした。長年、夫婦や親子のカウンセリングに取り組んでいる山崎さんなら、たくさんの事例を元にアドバイスをしてくれると思ったからだ。私は初めてカウンセリング料金を支払って、コトリンとマイマイの話をした。
それから数日間、山崎さんとの会話を反芻ながら考え続けるうちに、ふと、夫の家を飛び出る前の数ヶ月を思い出した。あの頃、2歳のコトリンは、寝不足でもないのになぜか目の下にクマをつくり、硬い表情をしていた。あとから写真を引っ張り出してみても、子どもらしく無邪気に笑っている写真がない。その当時は気付くことができなかったが、きっとコトリンは家の中の不穏な空気を感じ取り、笑えなくなっていたのだと思う。不満と不安をいっぱい抱えた私と一緒にいたら、笑えないのは当然である。
もう二度と、コトリンにあんな表情をさせちゃいけない――。
そう考えたらコトリンの言うことが本当か嘘かなんて、どっちだっていいと思えた。家の中はいつだって心地よく、自由にのびのびと笑って過ごせる空間であるべきなのだ。コトリンが私にサインを出した以上、私はすぐに軌道修正しなければならない。そこで私は、あることを思い付いて保育園のママ友達に電話をかけた。
「週に2、3回、夜コトリンを預かってもらえないかな?」
コトリンと同じクラス、しかも双子の女の子たちと一緒に過ごせたら、きっとコトリンも楽しいはずだ。そして小学1年生のやさしいお兄ちゃんもいる。図々しいお願いとは思いつつも、ダメモトで相談してみた。
「いいよ。子どもなんて、3人いても4人いても変わらないからさ。うちの子たちはいつも10時に寝るから、それまでならOKよ」
意外にもすんなり承諾してもらえたので、ナニーがいなくても何とかなるメドがついた。お友達の家で夕食とお風呂さえ済ませておけば、あとは寝かしつけるだけ。それならどうにかなるだろう。ママ友達には、謝礼として1時間につき900円支払うことにした。そしてマイマイにはナニーを辞めてもらうことを告げ、1カ月後を目安に退居してもらうことを話し合って決めた。
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私の狙い通り、コトリンはお友達の家で過ごす日を心待ちにするほど楽しんでいた。私が迎えに行くと、
「えー! もう帰って来たのぉ?!」
と全員で口を尖らせ、
「ねぇねぇ、次はいつ来るの?」
と、双子の姉妹とお兄ちゃんが別れ際に何度も尋ねてくるのであった。
それからは寝る前に泣きわめくこともなくなり、「男の子にいじめられる」という“悩みごと”も、いつの間にか話さなくなった。
最善の環境に思えた、ナニーとの生活。それはあっけなく、たった1年で終わってしまった。それでも私は、これからもあらゆるネットワークを駆使しながら、最善の方法を模索し続けるのだと思う。たとえ子どもがいても、自分の時間を確保するために――。
<ラブピースクラブからのお知らせ>
畑井さんのエッセーは、7月よりタイトル改め再スタートします! お楽しみに! 今ままで読んでくださったみなさん、ありがとうございました。