ナニー http://www.lovepiececlub.com/nanny/ ja 2008-05-03T04:31:16+09:00 [最終回]さよなら、ナニー http://www.lovepiececlub.com/nanny/archives/001448.html 運転免許の合宿を終えて、わが家にナニーのマイマイが帰ってきた。 だけどこれまでのように、コトリンをマイマイに任せ切るのはやめた。毎日は無理でも、なるべくコトリンが眠る前に帰り、私が寝かしつけることにした。するとコトリンは、毎回私の隣で1時間、ひどいときには2時間以上、泣きわめくのであった。 「最近どうしたんですか? 夜、コトリンがずいぶん泣いてるみたいだけど……」 仕事に出かけようとしていた私に、マイマイが心配そうに尋ねてきた。 「『保育園の男の子がいじめる』って言って泣いてるの。だけどその男の子って、コトリンより頭ひとつ小さなかわいい男の子なんだ。どうしたらいいんだろうねぇ?」 「コトリンには、なんて言ったんですか?」 「『あんなちっこいのは、やっつけちまえ!』……って言いたいところをガマンしてね、『先生に話してみたら?』とか、『ぶたれる前にピューッて逃げたら?』とか、いろいろ提案しながらいっぱい話を聞いた。きっと4歳にもなると、友達同士のトラブルがいろいろ出始める頃だと思うんだ。だからウチに帰ってきたらゆっくりさせてあげてくれる? 多少ワガママを言っても、お行儀が悪くても、怒らないであげてほしいんだ」 じつは、こんなことをマイマイに話したのは、気になることがあったからだった。コトリンが「保育園でいじめられた」と言って泣く合間に、マイマイへの不満がちらちらと見え隠れするようになっていたのだ。 「マイマイはすぐ怒る。だけど、なんで怒られるのか分からない」 「マイマイは自分の部屋のカギを閉めて、出てきてくれない」 「マイマイは一緒にごはんを食べてくれない」 そんなコトリンの訴えをそのまま受け止めるべきかどうか、躊躇している自分がいた。私に早く帰ってきてほしいばかりに大げさなことを言ったり、ちょっとした嘘を付いているのかもしれない。その言葉を全面的に信じることは、甘やかすことにならないか――。 なにしろマイマイと暮らし始めたことによって、コトリンの生活リズムがやっと整ったのだ。毎晩20時半には、マイマイから私のケータイにメールが届く。 「コトリン、寝ました!」 それを見ると安心して、もうひと仕事して帰ることができるのだった。 まさに、区役所でよく目にする標語「早寝 早起き 朝ごはん」が、ようやく実現したっていうのに……。マイマイがいなくなってしまったら、またあの標語を見るにつけ焦りを感じ、溜め息をつく生活に逆戻りしてしまうではないか。 迷いに迷って、何人かの友人に相談した。それでも結論は出せなくて、以前何度か取材をさせていただいた心理カウンセラーの山崎雅保さんに相談することにした。長年、夫婦や親子のカウンセリングに取り組んでいる山崎さんなら、たくさんの事例を元にアドバイスをしてくれると思ったからだ。私は初めてカウンセリング料金を支払って、コトリンとマイマイの話をした。 それから数日間、山崎さんとの会話を反芻ながら考え続けるうちに、ふと、夫の家を飛び出る前の数ヶ月を思い出した。あの頃、2歳のコトリンは、寝不足でもないのになぜか目の下にクマをつくり、硬い表情をしていた。あとから写真を引っ張り出してみても、子どもらしく無邪気に笑っている写真がない。その当時は気付くことができなかったが、きっとコトリンは家の中の不穏な空気を感じ取り、笑えなくなっていたのだと思う。不満と不安をいっぱい抱えた私と一緒にいたら、笑えないのは当然である。 もう二度と、コトリンにあんな表情をさせちゃいけない――。 そう考えたらコトリンの言うことが本当か嘘かなんて、どっちだっていいと思えた。家の中はいつだって心地よく、自由にのびのびと笑って過ごせる空間であるべきなのだ。コトリンが私にサインを出した以上、私はすぐに軌道修正しなければならない。そこで私は、あることを思い付いて保育園のママ友達に電話をかけた。 「週に2、3回、夜コトリンを預かってもらえないかな?」 コトリンと同じクラス、しかも双子の女の子たちと一緒に過ごせたら、きっとコトリンも楽しいはずだ。そして小学1年生のやさしいお兄ちゃんもいる。図々しいお願いとは思いつつも、ダメモトで相談してみた。 「いいよ。子どもなんて、3人いても4人いても変わらないからさ。うちの子たちはいつも10時に寝るから、それまでならOKよ」 意外にもすんなり承諾してもらえたので、ナニーがいなくても何とかなるメドがついた。お友達の家で夕食とお風呂さえ済ませておけば、あとは寝かしつけるだけ。それならどうにかなるだろう。ママ友達には、謝礼として1時間につき900円支払うことにした。そしてマイマイにはナニーを辞めてもらうことを告げ、1カ月後を目安に退居してもらうことを話し合って決めた。 ****************************************************************** 私の狙い通り、コトリンはお友達の家で過ごす日を心待ちにするほど楽しんでいた。私が迎えに行くと、 「えー! もう帰って来たのぉ?!」 と全員で口を尖らせ、 「ねぇねぇ、次はいつ来るの?」 と、双子の姉妹とお兄ちゃんが別れ際に何度も尋ねてくるのであった。 それからは寝る前に泣きわめくこともなくなり、「男の子にいじめられる」という“悩みごと”も、いつの間にか話さなくなった。 最善の環境に思えた、ナニーとの生活。それはあっけなく、たった1年で終わってしまった。それでも私は、これからもあらゆるネットワークを駆使しながら、最善の方法を模索し続けるのだと思う。たとえ子どもがいても、自分の時間を確保するために――。 <ラブピースクラブからのお知らせ> 畑井さんのエッセーは、7月よりタイトル改め再スタートします! お楽しみに! 今ままで読んでくださったみなさん、ありがとうございました。... minori 2008-05-03T04:31:16+09:00 [第20回目]コトリンの変化 http://www.lovepiececlub.com/nanny/archives/001424.html ハル君には率直にコトリンのクレームを告げ、お迎えの前に必ず足を洗うこと、そしてマイマイのジャージに着替えてもらうことをお願いした。それで足のニオイとズボンのニオイの件は解決したようだったが、次にコトリンが激しい口調で訴えるようになったのが、 「マイマイはイジワル、帰ってきてほしくない! いつもママがお迎えにきてほしい!」 だった。こんな言い方は、それまでしたことがなかったので驚いた。 「でもそうなると、ごはんも片付けも洗濯も保育園の支度も、全部ママがやらなきゃならない。そんなにたくさんママにできるかなあ? そのためには、お仕事を減らさなきゃ。そしたらお金がなくなって、ビンボーになっちゃうけど……」 「だいじょうぶ! ごはんはコトリンが作る! 片付けも洗濯もやるし、保育園の支度も自分でできるよ!」 「えー、まだ4歳なのに?」 「うん、もうコトリンはおねえさんだからね!」 そんな話になり、コトリンは俄然張り切り始めた。 「ごはんはコトリンが作るから、ママはなんにもしなくていいからね!」 そう言ってキュウリとニンジンを切り、塩をまぶしてお皿に盛ってくれた。私はウサギになった気分で、キュウリとニンジンをポリポリ食べる。かなりしょっぱかったので、コトリンの見ていない隙にティッシュで塩を拭い取った。 「コトリンが作ったキュウリとニンジン、おいしいね。お礼に、ママも何か作っていいかなぁ?」 「うん、いいよ。おねがいね!」 コトリンに無断で勝手なことをすると、ものすごく怒られそうなので、私は許可を得てから夕食の準備を始めた。 食事が終わるとコトリンは無言で食器を洗い始め、フキンで拭いて戸棚にしまってくれた。しかし豪快に洗うばかりに、飛び散った水が床に水たまりを作っている。それでもコトリンは満足そうに笑っているので、私はコトリンの見ていないときにこっそり床を拭いた。 そして、洗濯物を私がたたんでいると、 「私が全部やるから、ママはやらなくていいよ!」 「ありがと。それじゃママもお手伝いするよ。そのほうが早いんじゃない?」 「ダメッ! さわらないで!」 コトリンが怒って怖いので、全部一人でたたんでもらうことにした。 そして夜中の4時。 コトリンを寝かしつけたあとに始めた仕事に区切りを付け、お風呂に入っていると、洗面所のほうからガタッと物音がした。こんなときはいつも、 「ママー!」 なんて泣きながらお風呂の扉を開けてくるのだが、この日は一向に顔を見せない。その代わり、バシャバシャと水のはねる音が聞こえてくる。しばらくすると蛇口をキュッと締める音がして、コトリンは静かに洗面所を出ていった。 -----え……、こんな夜中に何やってんだろ??? そっとお風呂を出てコトリンの部屋を覗くと、そこには保育園の制服に着替えたコトリンが、ベッドにうつ伏せで倒れ込んでいた。おそらく、 「朝起きたら、保育園の支度を自分でやる!」 と念じながら眠ったばかりに夜中の4時に目を覚まし、寝ぼけながらも顔を洗って制服に着替えたのだろう。いざ身支度が済んだら力尽き、バタンと倒れて眠り込んだのである。 そんな光景に思わずブッと噴き出しつつも、4歳の子どもって侮れない! と、本気で思った。コトリンは自分の要求・要望を私にただ突きつけるだけでなく、まずは自分自身が変わることで現状を変えようとしているのだ。そして今までコトリンは、私のことを気遣って文句も言わず、我慢してたんだーーーそう思ったら、急にチクチクと胸が痛み始めたのであった。... minori 2008-04-15T19:26:04+09:00 [第19回目]“シッター”兼“家政夫”のハル君 http://www.lovepiececlub.com/nanny/archives/001416.html マイマイのいない1ヵ月間、マイマイの友達であるハル君に“シッター”兼“家政夫”をお願いすることになった。 「それじゃ、お疲れさま。ありがとね。来週もヨロシク」 初日にハル君が帰ったあと、すかさずコトリンが言った。 「これからもずっとハル君がいい。マイマイよりやさしいし、遊んでくれるもん。お料理もおしえてくれるしね」 「へぇー、どんな料理?」 「キュウリを斜めに切るの。そうすると塩がくっつきやすくなるから、おいしいんだよ。今度作ってあげるね!」 遊園地のアルバイトですらクビになったというのを聞いて心配していたけれど、案外“シッター業”と“家政夫業”は、マイマイより向いているのかもしれない。そんなふうにハル君のことを見直した矢先の翌朝――。 部屋のどこを探してもコトリンの通園バッグが見当たらない。コトリンに聞いても、 「ハル君が自転車のかごに入れたのは見たけど、そのあとは分かんない」 という。どこに置いたのかハル君に聞きたくても、ハル君のケータイは支払いが滞っているため、回線を止められているのだ(ちなみに家の電気も止められているので、ここ数日はローソクの明かりで生活しているとのことだった)。その日の午後、 「駅の近くに落ちていたというバッグが届いてますよ」 と、駅の遺失物預かり所から連絡があった。 「えぇーっ? マジっスか? すいませんっ!!」 頭をかいてペコペコ謝るハル君に、私は家のカギを渡しながら言った。 「これはゼッタイになくさないでね! あ〜、でもやっぱ心配だなぁ……」 「いやっ、大丈夫っス! 今度は気を付けますんで!」 そういってジーンズのポケットにカギを入れようとしたハル君が、両ポケットに手を突っ込みながら呟いた。 「あれ、マジ……? 両方とも穴開いてんじゃん! おぉ、危ねー!」 「・・・・・・」 「あ、いや、カギは財布ン中に入れていきますんで、大丈夫っスよ! アハハハハ!」 そう言って笑いながら、ハル君は買い物に出かけていった。 私が仕事に出かけるため靴を履いていると、ハル君が体をふらつかせながら帰ってきた。 「オレ……、もう人間やめたいっス……」 顔をこわばらせながら、情けない声を出す。 「へ? 何、どしたの??」 「レジで金払おうとしたら、サイフが見当たらなくて……」 「えーーーっ! まさか……、やっぱりなくしたの?!」 「いや、見付かったんスけど、はたいさんに電話をかけたとき、置き忘れたみたいで……」 「あぁ、『菓子パンとロールパン、コトリンはどっちが好きっスか?』って電話を、わざわざ公衆電話からかけてきたとき?」 「はい……。そこに置き忘れたサイフを、誰かがレジの人に届けてくれたみたいで……。もう、こんな自分がイヤっス!! このままカギを失くしてたら、はたいさんに会わせる顔がなかったっスよ……」 こんな調子なのでどこか憎めないのだが、コトリンを預けている間も心配は尽きず、早めに帰ることを心がけるようにしていた。 すると次第にコトリンが、こんなことを言うようになった。 「このままマイマイが帰ってこなかったらいいのに。だってハル君のときは、ママが早く帰ってくるもん!」 さらにそれから数日経つと、 「ハル君も、もうこないでほしい」 に変わってきた。 「ええっ!... minori 2008-04-07T20:17:08+09:00 [第18回目]ナニーからの相談ごと http://www.lovepiececlub.com/nanny/archives/001381.html 「相談があります。今日、帰りは遅いですか?」 育児と家事を任せているナニーのマイマイから、ケータイにメールが届いた。私は慌てて仕事を切り上げ、オフィスのある30階から地上まで、高速エレベーターで一気に下りた。 「なんだろ、相談って……。まさかナニーをやめたいとか?」 気になって気になって家に帰るまでの間ずっと、私はマイマイとの生活を振り返っていた。 ************************************************** マイマイと一緒に暮らし始めて何よりも変わったのは、帰宅時間だ。 いや、一緒に暮らしてからというより、「通い」で来てもらっていたときから、私の帰宅時間は激変していた。マイマイに出会うまでは、たとえ打ち合わせの途中であろうとも、どんなに仕事がはかどっていようとも、お迎えの時間には必ず私が保育園に駆けつけていたのだから。 お迎えの時間から解放されるようになって、私の生活は子どもを持つ前の生活に戻った。 それは、仕事中心の生活である。 夕飯も食べずに深夜まで仕事をして、お腹を満たすため……というよりは気持ちを切り替えるため、一杯飲みに行く。ときには夜中の2時3時までオフィスにこもり、パンとサプリメントで空腹をごまかしながら仕事をして帰る。 あれ? むしろ子どもを持つ前よりも、めいっぱい仕事をしてるような……。 そうはいっても「通い」で来てもらっている以上、マイマイが家に帰る時間も意識しなければならない。その頃マイマイが住んでいたシェアハウス「漢塾(おとこじゅく)」は、私が暮らしていた「かんかん森」から歩いて30分くらいのところにあった。 「帰りは夜中でもぜんぜん構いませんよ」 と、マイマイは言ってくれるものの、夜な夜な20歳の女の子をひとりで歩いて帰らせるなんて、何かあったら責任を感じてしまう。 「夜道は危険だから、これ使ってタクシーで帰ってね」 そう言って毎回千円渡すのだが、どうせマイマイはそのお金をお財布にしまって、歩いて帰っていることだろう。なぜって、20歳の頃の私だったら、そうしたと思うから。 超ミニを履き、ヘソや胸の谷間を見せるファッションのときはもちろんのこと、てろーんとしたジャージ姿のときも心配でたまらない。 「襲われそうになったら二本指で相手の目を潰すか、睾丸蹴りあげて逃げるんだよ!」 年頃の娘を持つおとーさんおかーさんというのは、この手の不安を感じてガミガミと説教するものなのだろうか――。 「だけど私は大丈夫です。私、そーゆーコワイ思いって、今まで一度もしたことないから」 私の不安をよそに、マイマイは悠長にもこんなことを言ってのける。 一緒に住むようになってからは、そんな心配もなくなった。18時のお迎えから翌朝の見送りの時間まで、平日の夜間は家にいてもらうことを条件のひとつに入れたからだ。といってもそれは、マイマイの夜遊びを禁じるためではなく、私自身が誰にも気兼ねすることなく、仕事&夜遊びできるようにするため、なのだけれども。 ――って、これがいけなかったのか?! もともとマイマイは友だちも多く、社交的な女の子だ。明け方までクラブで踊ったり、男女問わず大勢で集まって朝までおしゃべりしているようなタイプ。都心近郊の実家を離れてわざわざ貧乏暮らししているのも、きっと始発で帰るたびにガミガミうるさい親元を離れたかったからだろう。 それが私と暮らすようになってから、平日は毎晩家に拘束されているのである。 そんな生活が、いい加減耐えられなくなったんじゃなかろーか? ************************************************** あれこれ考えているうち、家に到着。真っ先にコトリンの部屋を覗くと、コトリンはスースー寝息をたて大の字になって眠っている。そんなコトリンの寝顔にチュッチュチュッチュとキスしていると、私の帰宅に気が付いてマイマイが部屋から出てきた。 「ただいまー」 「おかえりなさい」 囁き声で言い合ってからリビングに移り、マイマイの「相談」を聞くことにした。 「1ヵ月、お休みをもらっても大丈夫ですか? 運転免許の合宿で、新潟に行こうかと思ってるんです」 「お休み? なーんだ、そんなことかぁ」 マイマイの「相談」の中身を聞いて、体の力がフーッと抜けた。 「ナニー辞めたいっていうのかと思ってヒヤヒヤしちゃった。1ヵ月だったら何とかするから大丈夫。ただ、週に1、2回はお迎えに行けない日があるから、どうしよっかなぁ。……あ、ハル君って最近ヒマしてないの?」 ハル君というのはマイマイの友だちで、20歳の男の子。気が向いたときに日雇いバイトをして過ごしているので、以前もマイマイの都合が悪いときに数時間、コトリンをみてもらったことがある。ハル君はやさしいし、めいっぱい遊んでくれるので、コトリンは大好きなのだ。 「うーん、たしか遊園地のバイトが決まったって言ってたような。一応聞いてみますね」 結局、マイマイのいない1ヵ月間、週2、3回はハル君に頼めることになった。遊園地のバイトは、なんと数回行っただけでクビになったという。研修期間中のおしゃべりがたたったらしい……。ホントはお迎えだけお願いするつもりでいたのだが、買い物も、洗濯も、ご飯も作ってくれるというので、まるごと頼むことにした。 「それにしてもイマドキの男の子って、生活力があるんだねぇ! いつも自炊してるの?」 「あー、自炊っつても、たいしたもん作んないっスよ。昨年は1年間、ニューヨークで貧乏暮らししてたから、自分でぜんぶやるしかなかったし。毎日やってれば、誰だってそれなりに……」... minori 2008-03-05T19:19:01+09:00 [第17回目]“男並み”に稼げるようになったら…… http://www.lovepiececlub.com/nanny/archives/001365.html 「できちゃった婚」ならまだしも「婚せず出産」となったら、きっとウチの親は戸惑うだろうなぁ・・・。2年ほど前、そんなことを懸念して、今後の出産計画を母親に話したことがあった。実際に「婚せず出産」をした私の友人は「金輪際、我が家の敷居をまたぐな!」と、親子の縁を切られてしまったという。それならば私は先回りして、「婚せず出産」の妄想と野望を母親の耳元でしつこく囁き続けよう。そうすればきっと、母親の「先入観」も麻痺してくるに違いない――と、考えたのである。 「あのさ、私、あと4人くらい子どもがほしいんだー。だけど今の婚姻制度が変わらない限り、結婚なんてしたくない。だから私、結婚しないで子ども産むからネ」 「なーにバカなこと言ってんのよ、まだ離婚だってしてないっていうのに」 「でもさ、いずれは離婚できるときがくるでしょ。それからの話だよ。だから、そのときがきたら、ビックリしたり反対したりしないでネ」 最初のうちは話を軽く受け流していた母だったが、私があまりにも熱く、真剣に、しかもしつこく語るものだから、次第に目を三角形にして怒り始めたのだった。 「そんなことは、男並みの収入を得られるようになってから言いなさいっ!!」 母は声を荒げ、真剣な眼差しでこう言った。しかし、その間の抜けた発言に、私は思わず吹き出してしまった。 「ぶっ! 男並みの収入って、なーにそれー? “男並み”っていったって、いろんな収入の男がいるでしょ? いまや、カクサシャカイなんだからさー。で、お母さんの言う“男並み”って、具体的にはいくらくらいなの?」 「う〜ん、そうねえ……」 母はしばらく黙って、素直に考え込んでいた。 「そうね、50万よ、50万。月50万円!」 「えーっ! “男並み”の収入って、月にたったの50万でいいの? あはははははっ」 私が茶化すと、母の目はまた三角形に戻った。 「笑ってるけどアナタ、月50万なんて、稼げないでしょう?」 このときの私の月収は、せいぜい25〜35万程度。だけどなんとなく、このまま仕事を続けていけば、いずれ月50万くらいにはなるだろう、という感触があった。といっても、なんの根拠も確信もなかったのだけれど……。 「今は稼いでないけど、月50万くらいなら、もうすぐ稼げるようになるって! そのくらいならヨユーヨユー!」 そんな私の軽い態度に、母はますます不安を覚えたようで、ピシャリと言い放った。 「それじゃ、月50万稼いでみなさい。稼げるようになるまでは、そんなバカな話、一切しないでちょーだい!」 「ハイハーイ。それじゃ、稼げるようになったら、またその話するからネ!」  母は「ハァ……」と大きくため息をついたきり、もうそれ以上は何も言わなかった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ かくして、その1年後。私は母の言う“男並み”の収入を得られるようになった。化粧品メーカーのギャラが月45万。そのほか週刊誌など単発の仕事のギャラが月25〜30万。ついでに夫からも毎月、生活費として20万が振り込まれてくる。 しかし私は、残高照会をするたびにゾッとしていた。銀行の口座がこんなにホクホクしていると、私はなにか悪いことでもしているんじゃないか、という気になってくる。いまだかつてお金を貯めた試しはないし、銀行口座にお金が余っているという状態も経験したことがない。つまり、口座にお金が余っていると、とてつもなく不安を感じてしまうのである。 そこで、ひたすらお金を使いまくった。車を買って、洋服を買って、それからおいしいものを食べて……。以前はコトリンを赤ちょうちんに連れまわし、焼き鳥を食べさせていたけれど、この頃はコトリンをすし屋へ連れて行き、母子2人でカウンターに座って、にぎりを注文させたりしていた。住み込みのナニー・マイマイとの3人暮らしを始めたのは、この頃だった。新居の家賃は、駐車場込みで23万5千円。よかった……。これでだいぶ、銀行の口座からお金が消えて飛んでゆく。 「マイマイ、とりあえず1年契約のナニーということでどうだろう? 私、1年後は何してるか分からないし、今の収入が続いているかどうかも分からない。だから、期間限定の生活共同体ってことでお願いしたいんだ」 こう断ってから、細かい契約内容を決めていった。 「コトリンのお迎えは17時までに。それからごはんを作って、18時くらいには食べさせる。そのあとお風呂に入れて、20時半か21時までには寝かしつけ。で、眠ったあとも、基本的には朝まで家にいてほしい。そして朝はごはんを作って、保育園に送り出すサポートをするまでがコトリンに関するお仕事。それ以外には洗濯と、キッチンまわりと、買い物をお願いしたいんだ」   お給料は月に12万円。それとは別に部屋を提供して、光熱費や食費など生活にかかる費用は私がすべて負担することにした。この条件でプロを雇うことはできないけれど、22歳の女の子にしてみたら割のいい仕事ではないかと思う(けど、どうだろう?)。コトリンが寝た後は、朝まで部屋で自由にしていられるし、洗濯とキッチンの片付けさえ済ませれば夕方の17時まで遊ぶなり、バイトするなり好きにしていられる。ただ、まったく夜遊びできないのもかわいそうなので、マイマイが遊びに行きたいときには私が早めに帰るようにする、ということに決めた。 3人の暮らしを始めてから半年ほど経ったある日の夜。新宿のオフィスに1人残って仕事をしていると、マイマイからケータイにメールが入った。 「相談したいことがあります。今日、帰りは遅いですか?」 えっ、相談?! なんだろなんだろ、相談って。まさか、ナニーを辞めたいとか? やっぱり私があまりにも片付けをせず、いつも部屋中が汚いから愛想を尽かしたとか?? それとも何か、いい仕事が見つかったのかも。どちらにしても私は、マイマイを引き止めることはできない。 「相談? それじゃ、今すぐ帰るね〜」 気になりつつもサラリとした返信メールを出して、私はパソコンの電源を切り、オフィスの電気を消して、自宅へと急いだ。 【今回、イラストはお休みです。ゴメンナサイ!】... minori 2008-02-06T12:23:00+09:00 はたいゆみからアンティルさんへ http://www.lovepiececlub.com/nanny/archives/001334.html 「正しくあるかどうかより、幸せであるかどうかを基準にしたいなあと」。 フジモトマミさんのこの言葉に、「ウン、ウン、私も!」と深く頷いちゃいました。今は自由気ままに暮らしている私ですが、4、5年前は「母親たるもの」「夫婦たるもの」「家族たるもの」というような、私の内側に侵食していた「世間の基準」により、身動きが取れなくなっていた時期もありました。だけどそんなつまらない基準より、「自分が幸せであるかどうか」を基準にすれば、極めてシンプルに物事を判断できる。それができるようになった今では、日々の暮らしの中に小さな幸せがコロコロと転がるようになりました。 そんな毎日の中から「一番幸せ」だと思うことを絞り込むなんて、えらく迷ってしまいます。う〜ん、強いて挙げるならば・・・「一緒に笑ったり怒ったりしてくれる人が存在することを実感したとき」でしょうか。たとえば数日前、娘のコトリンと2人で歩いていたら、私、電柱にガツーンと顔をぶつけました。そりゃもう、マンガみたいに……。あまりにも凄まじいぶつけかたをしたのでメチャクチャ鼻が痛かったのですが、痛みよりむしろ恥ずかしさと、「電柱に顔をぶつける人が実在するなんて。しかもそれは自分……」という衝撃に打ちのめされました。そういえば、ずっと昔(中学生くらい)にも、道に落ちていたバナナの皮でツルッとすべって転んだことがありました。あのときと同じ衝撃。たしかあのときはスックと立ち上がり、何事もなかったようにスタスタとその場を離れたハズ。しかし今回はコトリンがお腹を抱えて笑い転げ、「ママが電信柱にぶつかったぁー!」と何度も何度も叫んでいました。そんなコトリンを見ていたらちょっとだけ救われたような、いやそれどころか「こんなにウケてる! ナイス!」と自分を褒めてあげたい気分になりました(鼻はまだ痛むけど……)。 そして、私の「痛み」に共感してくれる友だちの存在(鼻の痛みのことじゃないですよ、念のため)。私がその「痛み」をまだ消化しきれずにいるとき、友だちのハカセは私が言語化できずにいる思いを言葉にして、気持ちを整理するのを手伝ってくれます。あるときは一緒に笑い、またあるときは一緒に怒ってくれる人の存在って本当にありがたい。日常の中のこうした思いをおざなりにせず、幸せな瞬間を自覚しながら大事にしたいと思います。 それでは、アンティルさまへ。 「FTM」という病名を知ったことで、これまでに投げかけられた「オンナらしくない」という言葉から解放され、しかしその後も「FTMらしくない」という言葉に自己を否定される――。そんなアンティルさんのコラム、私自身の体験にも重なる部分があるなーと思いつつ拝読しておりました。私の場合はこうです。 「DV」という暴力の形態を知ったことで、これまでに投げかけられた「母親らしくない」という言葉から解放され、しかしその後も「いったいどこからが暴力といえるのか」などと「DVらしさ」を求め、戸惑ってしまう――。今年のコラムには誤解を恐れて書けずにいましたが、そろそろ整理が付いたので来年は「DV」について書きたいと思っています。 さて、最近アンティルさんは、周囲から「らしさ」を求められたとき、どんなふうにかわしていますか? 私の目下の目標は、真正面から立ち向かうのではなく、エレガント&フェミニンに(?)はぐらかすことなのですが……(ガハハッ!)... minori 2008-01-01T11:22:39+09:00 [第16回目]離婚への長い道のり http://www.lovepiececlub.com/nanny/archives/001316.html 離婚届を提出したので、やっと胸張って「シングルマザー」を名乗れるようになった。 しかし、すがすがしい思いでいたのも束の間、今度は元夫が調停を申し立ててきた。 事件名「離婚無効確認 調停事件」 つまり、離婚を取り消すための調停である。家庭裁判所から届いた通知に、私は思わず吹き出してしまった。子どもの親権について話し合うのならともかく、離婚を取り消すために話し合うだなんて。どうしてそこまで「結婚」という形に固執するのだろう。謎である。恐怖ですらある。きっと「離婚だなんて恥ずかしい」という思いが、彼を縛り付けているのだろう。そんな「信仰」に捉われず、もっと自由になったらいいのに。 しかし、もう既に離婚は受理されているのだ。裁判ならまだしも、それを調停で引っくり返せるわけがない。調停はあくまでも「話し合いの場」なのだから。それに私のあらゆる名義は、もう既に「はたい」に戻りつつある。久しぶりに区役所で「はたいさーん」と呼ばれたときは、ジーンときた。これからは病気になったら病院で「はたいさーん」と呼んでもらえるし、交通違反をすればおまわりさんに「はたいさーん」と呼んでもらえるのだ。たかが名前と思っていたけれど、それがこんなにも嬉しいだなんて! 何度も何度も乾杯して、たくさんの人に離婚祝いをしてもらった。 そしてコトリンも、私の戸籍に入れる手続きを済ませた。私の新しい戸籍(本籍地)は、コトリンの大好きな東京タワーの所在地にした。今回初めて知ったのだが、本籍地なんてどこの住所にしたって構わないそうだ。ある弁護士さんに聞いた話では、皇居の住所と東京タワーの住所が人気らしい。ちなみにコトリンがなぜ東京タワーを好きかというと、保育園でうたう「お寺の和尚さん」のフレーズにあるからだ。 お寺の和尚さんが かぼちゃの種をまきました 芽が出てふくらんで 花が咲いたら枯れちゃって 忍法使って空飛んで 東京タワーにぶつかって ぐるっと回ってじゃんけんぽん このうたの影響で、コトリンは赤ちゃんのころから東京タワーを見ると興奮するのである。それで、新しい本籍地は東京タワーに決めた。 調停といえば、私はこれまでに2度申し立てている。別居後3ヶ月目、初めて申し立てたのは「離婚調停」ではなく「円満調停」だった。夫婦関係を調整するための調停の中には、よく知られる離婚調停(夫婦関係解消)のほかに、円満調停(円満調整)というものがある。私はまず、円満調停の中の「婚姻費用の分担」について話し合った。「結婚」という契約の中には、夫婦が別居期間中も同じレベルの生活を続けていけるよう生活費(婚姻費用)を分担する「生活保持義務」がある。この婚姻費用とは、たとえば衣食住にかかる費用や医療費、交際費、子どもの養育費にあたる。 そんなもんに頼らず、スパッと家を飛び出して自分の経済力だけでやっていけたらカッコイイ。しかしこの時の私には、月6万の家賃を毎月払えるかどうかさえ不安だった。 離婚すべきか、それとも夫のいる家に戻るべきか……。 いや、何も解決せぬまま、元には戻れない。 そんなわけで、生活費の心配をせず冷静に考えるため、円満調停を申し立てたのだった。その結果、離婚するまでの間(または元のさやに納まるまでの間)、月12万円を夫が私に振り込むということで決着がついた。 それから1年も過ぎると、私の稼ぎも安定して、離婚の意志もすっかり固まっていた。 「もう12万はいらない。とにかく離婚したい」 そう電話で伝えると、夫は「絶対に離婚はしない」と言い張り、その翌月から20万円を振り込むようになった。その頃はお金に困っていたわけではないが、まー金があるに越したことはない。これまでどおり別居を続けられるのなら、月20万で名前を貸し出す「偽装結婚」をしているようなもんだ。そんなふうに考えて、とりあえずアクションを起こすのをやめた。 しばらくそれで生活したものの、やっぱり子どもを産みたくなって「離婚調停」を申し立てた。しかし夫は、断固として離婚に応じない。あえなく離婚調停は不成立になった。こうなると裁判を起こすか、それとも勝手に離婚届を出すかだ。どちらにしても、もめるだろう。結局、仕事も忙しいので、とりあえず離婚はあきらめていた。 **************************** マイマイに住み込みのナニーをお願いしたのは、ちょうどこの頃だ。 私が「プロポーズ」をした数日後、マイマイは 「迷惑かけちゃうかもしれないけど、私でよければ……」 と、これまた「プロポーズ返し」みたいに殊勝な返事をしてくれた。 3人暮らしを始めるため、1年暮らしたかんかん森は出ることにした。マイマイと2人で物件を探し、引越しはマイマイのお父さんに手伝ってもらった。初対面のお父さんは、 「ナマイキなオンナですけど、どーぞよろしくっ!」 と言って、私に深々と頭を下げた。 「あわわ、えぇっと、こちらこそフツツカなオンナですが……」 よく分からない挨拶をして、3人の暮らしがスタートした。... minori 2007-12-06T03:20:17+09:00 [第15回目]離婚記念日〜そして出産計画 http://www.lovepiececlub.com/nanny/archives/001241.html 2007年10月31日、大安吉日。夫には一切告げず、区役所に離婚届を提出してきた。 なにしろコトリンを連れて家を飛び出てから、かれこれ3年近くが経とうとしている。新しい生活を乱されたくないという思いと、極めて円満に離婚したいという思いから、これまでなるべく波風を立てないようにしてきた。だけど、そろそろ時間切れ。私は、そろそろ2人目の子どもを産みたいのだ。 タイムリミットが近づきつつある、と最近感じ始めている。そろそろ産まなきゃ機能が衰えてしまう。いや、もう1人産むくらいなら、あと4、5年先の40代で産むこともできるだろう。だけど、産みたいのは1人じゃない。あと4人。産める機能があるのなら、産んでみたい。産める機能が持続しているうちは、産み続けたい。 ママと子どもと、子どもと、子どもと、子どもと、子どもと、ナニー。 ああ、これってめちゃくちゃ楽しそう。そんなわけで、離婚届を出してきた。 29歳:コトリン出産(済) 35歳:第2子出産予定 37歳:第3子出産予定 39歳:第4子出産予定 41歳:第5子出産予定 だいたいこんな計画である。うまくいけば、あと7?10年で実現できるかもしれない。その短いような、長いような年月を想像してみると、種の提供元は同一かもしれないし、もしくはそれぞれ別の種になるかもしれない。 もしも私が安定を望み、ひとつの種元と婚姻関係を結んだとしたら、たとえ種元との恋愛感情が消え失せたとしても、法律に縛られて別の種元を探すわけにはいかなくなってしまう(或いは、またもや婚姻解消に伴うわずらわしい手続きに追われることになってしまう)。 「あら、結果的には同一の種元だったわ」 というのならともかく、最初から種元を限定されるだなんて、まっぴら。種ならなんでもいいというわけではないからだ。 *************************** かんかん森にいた頃、そんな話をシッターさんのマイマイに話したことがあった。 するとマイマイは、 「へぇー、それって自由でいいかも! それに、いろんな国の子どもが家族になる可能性もあるって考えると、すっごく楽しい!」 と、瞳を輝かせた。「だけどそれって」などと否定的なことをゴチャゴチャ言わず、ポンッと軽く切り返してくれたことが、とても嬉しかった。 夫と別居し始めてから今に至るまで、いわゆる世間の「善意」や「常識」からあれこれ言われてきた。 「家を飛び出るなんて、短気だね」 「夫婦なんだから、もっと話し合ったほうがいいよ」 「恋愛結婚なんでしょう? やり直せないの?」 「子どものことも考えないとねぇ」 こうして投げかけられた言葉に対して、これまでの経緯や私の考えを伝えようしたら、それを理解してもらうまでに何日もかかるだろう。しかし多くの場合、そんな私の説明を求めて言っているわけではない(ということが最近ようやく分かった)。 それより何より、私の問題なのにどうして世間を説得する必要があるんだろう?(別に納得してもらわなくてもいいんだ、と最近ようやく思えるようになった)。 そんな中マイマイは、むやみに詮索や否定をすることがなかった。自分の恋愛観や結婚観を押し付けてこないところが、私には心地いい。人は人、が大前提。 こんなマイマイなら、「ナニー」として住み込みでお願いするのもいいかもしれない。住み込みで家事や育児をお願いできたらどんなにラクか、という気持ちも日に日に強くなってきていた。仕事に追われる男が「結婚したらラクになるだろうな」と都合よく考えるのも、ちょっと分かるような気もする。とはいえ、朝も夜も土日も、いつも子どもがいる家なんて、マイマイはわずらわしく思うかもしれない。 「もしも迷惑じゃなかったら……、一緒に暮らさない?」 「返事はすぐじゃなくていいんだけど……、一緒に暮らさない?」 気が付けば、彼女からの返事に自信を持てない男が言いそうなプロポーズの言葉を、私は考え始めていた。... minori 2007-11-07T23:47:33+09:00 [第14回目]シッターさんは求職中。 http://www.lovepiececlub.com/nanny/archives/001192.html 「ねえ、マイマイ。何かいい仕事は見つかった?」 「いいえ、まだ……」 マイマイは、私と知り合った頃から求職中だった。事務の仕事を探していたのだが、コトリンのお迎えに間に合うよう帰るためには、定時キッカリに退社できる会社でなければならない。実際に「残業はできません」と言ったことにより、不採用になった会社もあるようだった。シッターさんの仕事はマイマイが「やりたい」と申し出てくれたとはいえ、私はマイマイの時間を毎日拘束してしまっていることを申し訳なく感じ始めていた。 とはいえ、 「いい仕事が見つかったら、こっちは辞めてもらっても構わないよ」 とは言い出せなかった。やっとのことで見つけ出した専属シッターさんなのだ。マイマイは、そんな私の状況を案じてくれたのか、 「でも大丈夫です。事務職が見つからなかったら、コンビニやファミレスで働けばいいし」 と、明るく答えてくれるのだが、私はつい数年前の自分と重ね合わせて、あれこれ考えてしまう。 コトリンを出産後、私は復職しようといくつかの会社に履歴書を送った。が、面接にすら至らず、ことごとく不採用。せっかく面接にこぎつけた出版社でも、 「うちは夜19時や20時から会議が始まることも多いけど、大丈夫?」 と聞かれ、泣く泣く断念したこともあった。毎日、子どものお迎えの時間までに帰らなければならないとなると、やりたいことがあってもなかなか飛び込めずにいた。 マイマイにはシッター代として、月にわずか7〜8万程度しか払っていない。それなのに私は、マイマイの仕事の幅を狭めてしまっていた。マイマイは私の妻ではないものの、私はまるで世の中の夫たちと同じことをしているのではないか、という気持ちになってくる。たとえば子どもが生まれると、母親である女の生活はガラリと変わるが、父親である男の生活はなんら変わらないという家庭が多い。男はこれまでどおり、当たり前のように残業をしたり飲んで帰る。いざ妻が残業したり、飲んでヘベレケで帰ったり、出張で1週間家を留守にしようものなら、小言を言ったり妨害したり、断固として阻止しようとする。あ、いや、これに関しては、あくまでも私の夫の話であるのだが。ま、それはともかく、私はマイマイの将来性や可能性を摘み取ってしまっているのではないかと、不安に感じるようになっていたのだった。 と、そんなとき、いいことを思いついた。 仕事が見つかるまでの間、日中は私の仕事をサポートしてもらえばいいではないか、と。 そうすればもう少しお給料もあげられるし、多少なりとも経験になるかもしれない。と同時に、私にも時間的な余裕ができれば、コトリンから逃げ隠れしながら仕事をすることもなくなるかもしれない。つまりマイマイが仕事をしている横で、私がコトリンと絵本を読んだり、お風呂に入ったり、寝かしつけたりすればいいのだ!! マイマイは、私の提案を快く引き受けてくれた。仕事の内容は、取材のアポ取りや資料請求、そして私の苦手な諸経費の計算など。コトリンのお迎え前に作業をしてもらうときの時給は1000円。マイマイは思った以上に手際よく仕事をこなしてくれた。それならばこれもヨロシク、それも任せた、とやっているうちに、雑用のみならず誌面作りまで携わってもらうようになっていった。 記事のテーマは「チョコレートのカカオ成分でキレイになろう」というもの。マイマイは、カカオを含む石けんやクリーム、香水などの情報をサクサクと調べてくれる。そしてチョコを全身に塗りこむエステでは、読者モデルとしても活躍してくれた。あれこれアイデアを出し合いながら仕事を進めていくのが楽しくて、このときは2人で毎日チョコレートの話ばかりしていた。 ーーーーーと、ここまではよかったが、当初私が想定していた生活とは、どんどんかけ離れていくのであった。マイマイと私が仕事に夢中になりすぎたため、コトリンがマイマイにヤキモチを焼くようになってしまったのだ。しまいにはマイマイからも、 「私には〆切に追われる仕事が向いてないみたい」 と、言われてしまった。たしかに週刊誌の〆切はキツイのだ。つい調子に乗って、私のメチャクチャな生活リズムにマイマイを巻き込んでしまっていた。本来はコトリンの生活リズムを整えるためにお願いしたシッターさんだというのに……。やはりシッターさんに、シッター以外の仕事をしてもらうのは、ほどほどにしておいたほうがいいのかもしれない……。そんな教訓を得てもなお、私の模索はまだまだ懲りずに続くのであった。... minori 2007-10-16T15:58:50+09:00 [第13回目]冷蔵庫の中の変貌ぶり http://www.lovepiececlub.com/nanny/archives/001187.html シッターさんとして、マイマイに通いで来てもらうようになって約1カ月。私は連日、家の冷蔵庫を開けては、ひとり叫び声をあげていた。 「キャ、キャベツが……!! 昨日より少しだけちっちゃくなってる!」 冷蔵庫の中の変化に、私は驚嘆していた。マイマイに台所を任せるようになってから、冷蔵庫と食材は私が管理していた頃に比べて、格段に有効活用されていたのである。 かんかん森のコモンミールは週に2、3日。それ以外の日は、マイマイに夕食を作ってもらっていた。マイマイは18時にコトリンを保育園のバス停までお迎えに行き、そのまま2人で近所のスーパーマーケットまで買い物に行く。そのときに立て替えてもらうお金は、その日のうちに精算することにしていた。 「マイマイ、今日は何か買い物した? 精算しよっか?」 私が帰宅して尋ねると、マイマイはレシートを差し出す。 「5250円ね。1枚、2枚、3枚……」 財布の中から千円札を取り出そうとする私を、マイマイは慌ててさえぎった。 「ちっ、ちがいますっ! 525円です! スーパーでそんなにお金使いませんからっ!」 「へ? たったの525円?」 私は驚いて、レシートの内容をひとつひとつ確かめてみる。 もやし   35円 えのきだけ 87円 いんげん 146円 なめこ   88円 生餃子  169円 合計 525円  「ホントだ! そんなもんで1食分作れるんだぁ……」 私の中の何かが、ガラガラと音をたてて崩れ落ちていく気がした。なにしろ私がスーパーに行くと、毎回必ず5000円〜1万円は買い物をしてしまうのだ。買い物に行くのがおっくうで、“まとめ買い”をするクセが付いているためである。ひとたびスーパーに足を踏み入れると、各国の香辛料や便利なキッチングッズについつい手が伸びてしまう。さらには「これ買って〜」と叫ぶコトリンをなだめたり、「ママ、おしっこ?!」と涙目で訴えるコトリンを抱えて店の奥のトイレに駆け込んだりしているうちに、4、50分はあっという間に経過してしまうのだ。 しかし、いくら“まとめ買い”をして冷蔵庫の中が充実していても、疲れている日は食事を作る気になれない。結局外食することになり、生モノの消費期限は切れ、野菜や果物も冷蔵庫の中で干からびてゆくのだった。それだけに、我が家の冷蔵庫の中の食材がコツコツと堅実に消費されてゆく過程は、衝撃的だったのである。 衝撃ついでに、私はそれまで疑問に思っていたことをマイマイに尋ねてみた。 「ねぇ、マイマイ。ごはん作ってるのに、どうして生ゴミが出ないの?」 この1カ月、生ゴミが出ないばかりか、冷蔵庫には残りものすら入っていないのが不思議だった。それまで私は食事を作るのもおっくうなので、1、2ヵ月にいっぺん食事を作っては、10食分くらい“作り溜め”をして冷蔵庫に保存していた(そして、結局食べ切れずに捨てていた)。 そんな私の疑問に、マイマイはあっさりと答えた。 「残りものが出ないのは、食べられる量だけ作っているからです。生ゴミは毎日帰りがけに、こっそりコンビニのゴミ箱に捨ててきてます」 マイマイは、握りこぶし程度にまとめた生ゴミを私に見せて、 「ホラ、こんなにちょっとだし」 と、笑っている。 買いもの・調理・食事・後片付け この4工程をこなすため、私はずっと悪循環を繰り返していたのかもしれない。 つまり、手際が悪いのであった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ピンポーンと玄関のチャイムが鳴り、「宅配便でーす」という声が聞こえた。先日遊びに行った夫の実家から、お米とミカンとアサリが届いたのだ。 お米:麻袋に40キロ。 ミカン:ダンボール箱に3箱。 アサリ:発泡スチロールのケースに5キロ。 義父母から送られてくるものの量といったら、毎回尋常ではない。以前夫と暮らしていたときは、この量を消費しきれずにいつも腐らせていたが、かんかん森なら食べてくれる人が大勢いる。 それにマイマイも……。 「ミカンとお米、オトコジュクに持っていくでしょ?」 マイマイはその頃、「漢塾(オトコジュク)」というシェアハウスに住んでいた。そこは家賃20万円のボロ家で、15、6人でシェアして住んでいるという。いったいどんな人が住んでいるのかとマイマイに尋ねると、... minori 2007-10-12T12:40:33+09:00 [第12回目]子持ち女と仕事 http://www.lovepiececlub.com/nanny/archives/001167.html “コトリンの寝かしつけ、今日はどうします?”  新宿のオフィスでパソコンと向き合っていると、マイマイからケータイにメールが届いた。社内の壁時計を見上げると、すでに19時を回っている。マイマイに出会う前だったら、ぜぇぜぇと息を切らして保育園に駆け込んでいた頃だ。 “寝かしつけ、今日もお願いします! 今から会社を出るので、20時にはいつものところにいるよ”  私はマイマイに返信メールを送り、オフィスを出て「いつものところ」へ向かった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ この頃私は週刊誌の仕事をしながら、化粧品メーカーの業務委託でコピーライターの仕事を請け負っていた。週に2、3日は新宿のオフィスに出社し、それ以外の日は週刊誌の取材やら打ち合わせやらを入れる。日中はそんな予定で埋まってしまうため、夜はコトリンと数時間一緒に寝てから深夜こっそりとベッドを抜け出し、朝コトリンが起きるまで原稿を書く。マイマイに出会うまでは、そんな毎日だった。 この化粧品メーカーからの誘いがあったときは、断るつもりでいた。週刊誌の仕事は楽しいので辞めたくなかったし、業務委託とはいえ会社にはもう二度と所属したくないという気持ちもあった。会社勤めには苦い思いがあるのだ。 「やっぱり子どもが小さいうちは、仕事するのは無理でしょう」と言われるのがイヤで、たとえコトリンが風邪を引いても病院に連れて行くことをせず、保育園に通わせて出勤していた。すると軽い風邪がみるみる悪化していき、保育園からは「高熱が出て苦しそう」という呼び出しの電話が頻繁にかかってくるようになった。それでも私は早退せず、会社の非常階段からコソコソと電話をかけ、迎えに行ってくれそうな人を探しては頼み込んでいた。夫から「会社を辞めろ」と詰め寄られていたのはその頃だ。 さして仕事が忙しいわけではなかった。その会社では、遅刻・早退・欠勤をせず、定時に出勤することが重要だったのだ。お金のために働いていたわけでもない。なにしろ、保育園を休んでシッターさんにお願いすると、1日7000円以上は飛んでいくのである。私は、上司の心証を害さずに会社勤めすることにばかり気を配っていた。そんなことのために私は、コトリンをちょうど2歳の誕生日の日に肺炎で入院させてしまったのである。もはやなんのために働いているのか、自分でもワケが分からなくなっていた。だけど、仕事を失いブランクを作ることが恐ろしくて、辞められずにいた。 子持ち女は、「健常者」と同じペースで会社勤めすることができない。そう思っていた。 ――が、興味本位で化粧品メーカーの話を聞きにいくと、子持ち女であることにデメリットを感じなくても済むような雰囲気がそこにはあった。実際、お腹の大きい妊婦さんが数人勤めているし、まだ幼い子どもの写真をデスクの壁に貼り付けている女性もいる。高校生の子どもがいる女性は、その子がまだ保育園の頃からここで働き続けているという。そして、一度も結婚せずに2人の子どもを産み、育てながら働いている女性もいる。 この会社のやわらかな、それでいて活気のある雰囲気に、私は興奮していた。もしかしたら、女性が男性化しないことには居場所を作れなかった前の会社こそが、異様だったのではなかろうか?! ここで働く女性たちと一緒に仕事したい! そんな思いがふくらんで、断るつもりだった仕事を結局は引き受けていた。 化粧品メーカーの仕事と週刊誌の仕事。当然忙しくはなったが、その分収入も増えた。かつて子持ち女であることに負い目を感じながら勤めていた“男性主体の会社”の給料に比べたら、その4倍は稼いでいる。ざまーみやがれ、「子持ち女」だって稼ぐ気になったら稼げるんだい! ってなもんだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ オフィスを出て電車を乗り継ぎ、かんかん森に到着した。2階のコモンダイニングからは、食事を終えて遊びまわる子どもたちの声がキャーキャーと響いてくる。今日は居住者が持ち回りで食事を作る、コモンミールの日なのだ。もちろん、その声の中にはコトリンの笑い声も交じっている。 「よし、今のうちだっ!」  私はコトリンのいるコモンダイニングを避け、エレベーターで3階まで行き、音を立てないように自宅の扉を開けた。こっそり部屋に入り、机の上のノートパソコンと電源コードを抱え持ち、すぐさま玄関を飛び出した。私が帰ってきたという痕跡は残さぬよう、まるでコソ泥のごとく最善の注意を払う。そして私は「いつものところ」に向かった。 「いつものところ」とは、自宅と同じ階にある「ゲストルーム」のことだ。ここは居住者の親類や知人が宿泊できる部屋なのだが、宿泊者がいないときには居住者が自由に使っていいことになっている。 「おっ、ウダちゃん。こんばんは。今日もお勉強がんばってるねー」  パソコンと電源コードを抱えてゲストルームに入ると、20代のウダちゃんがいた。彼女は仕事を終えて帰宅すると、ほぼ毎晩この部屋で国家試験に向けて勉強をしているのだ。彼女の隣に座りパソコンを開いていると、18歳の海ちゃんが「こんばんは!」と、顔を覗かせた。 「あっ、こんばんは。あのさ、海ちゃん。私がここにいること、コトリンには内緒にしておいてくれる? コトリンに見つかると、仕事にならないからさぁ」 「オッケー! 言わないから大丈夫ヨ。がんばってね〜」  本当は、こんなハズじゃなかったのだ。マイマイというシッターさんがいれば、仕事をしている私の横でコトリンを寝かしつけてもらうことができる――と思っていた。しかしそんな考えは、あっという間に打ち砕かれた。私が部屋にいるとコトリンは「マーマ、マーマ」と、からだ中にまとわりついてくる。マイマイが「お風呂に入ろう」と誘っても「ママと一緒にぃ〜!」と駄々をこね、寝かし付けを頼んでも「ママもネンネ〜!」と泣き叫ぶ。子どもは、こちらの思惑通りにはいかないものであった。  そんなわけで私は、コトリンから逃げ隠れしながら仕事をするようになった。こんな状態のままで、いいハズがない。子持ち女の模索は、まだまだ続くのであった……。... minori 2007-09-17T20:40:51+09:00 [第11回目]木に登る義母 http://www.lovepiececlub.com/nanny/archives/001151.html 夫の妹のリカちゃんは切迫早産で入院し、予定日より2ヶ月早く出産した。赤ちゃんの体重は約1200g。約3800gで産まれたコトリンと比べたら、約3分の1の大きさである。赤ちゃんはしばらく保育器に入り、リカちゃんも1ヶ月以上入院したとのことだった。 リカちゃんが無事退院して里帰り中だというので、私とコトリンは夫の実家へ遊びに行った。3ヶ月になる赤ちゃんの体重は4000g。産まれたてのコトリンと同じくらいの大きさだ。 「赤ちゃんが産まれて、ダンナさんに変化はあった?」 夕食後、義父母が近くにいないことを確かめてから、リカちゃんに小声で聞いた。お義母さんは別の部屋でサスペンスドラマを見ている。お義父さんは台所で食器を洗っていた。 「なんも変わらんよ。ダンナが病院に来たのもたった一度だけ。しかも保育器の中の赤ちゃんを見て『気持ち悪い。猿みたい。見たくない』って」 「ひぃっ、そんなこと言う人なの?」 「うん。それに病院では、ずっとケータイでメールしてるの。浮気相手とね。私の入院中は、その人を家に連れ込んでたんだ。相手は会社の部下だってことも分かってる。せめて私にバレないように、うまくやってくれりゃいいのに……」 リカちゃんは赤ちゃんにおっぱいを飲ませながら、淡々と話している。そんなリカちゃんを励ますつもりで、私は言った。 「証拠が揃ってるなら、調停を起こして慰謝料ガッポリ請求したら?」 しかしそれは見当ハズレだったようで、リカちゃんは笑ってこう言った。 「私、お金は不自由してないの。私が出て行って経済的に困るのはダンナのほうだからね。ふふふ」 「あ、そっか。……で、このまま実家で赤ちゃんと暮らすの?」 「ううん。数ヵ月後には向こうに戻るつもり。お母さんが近くにいると、「ムダ遣いするな」だの「相続がどうした」だの、あれこれうるさくって。もうコリゴリ」 義母の部屋からドラマのエンディングテーマが聞こえてきた。と同時に、義母が小走りでやってきた。 「さぁー、寝よ寝よ。あたし、もう寝るかんね。ユミちゃん、明日はよーちゃんちの庭に、みかん取りに行こうね。それじゃおやすみ〜」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 翌朝、義母と私とコトリンは、義父母の家から2、3分路地を下ったところにある“よーちゃんちの庭”へ、みかんを取りに行った。「よーちゃん」というのは義母のお母さん、つまりコトリンのひいお婆さんのことである。しかしよーちゃんは、孫にもひ孫にも「お婆さん」とは絶対に呼ばせない。娘にも婿にも孫にもひ孫にも、徹底して「よーちゃん」と呼ばせているのだ。そんなよーちゃんの家は築300年の古民家で、庭には温州みかん、はっさく、デコポン、いよかん、甘夏、金柑など、季節ごとに収穫できる数種類のみかんの木が10本ほど植えられていた。 よーちゃんちの庭をずんずんと進みながら、義母が私に聞いてきた。 「ユミちゃんは今、どこに住んどるん? みかんやらなんやら宅配便で送るから、後で住所教えて」 「今はね、かんかん森っていうコレクティブハウスに住んでるんです」 私は、かんかん森に居住者共有のキッチンやダイニングがあること、そして居住者が持ち回りで夕食を作ることを義母に説明した。 「ふうん。それならみかんが食べきれなくても、ご近所に配ったらいいじゃんね」 そう言いながら義母は、スルスルとみかんの木によじ登っていった。数年前、初めてこの光景を目の当たりにしたときは、かなり衝撃的だった。なにしろ義母は、ブラウスにタイトスカート、足元はパンプスといういでたちで、木に登るのである。私は義母のこういうところが大好きなのだ。まるで、周りの目をてんで気にしない、おてんばな少女を見ているような気持ちになってしまう。 とはいえ、そんな少女のような義母も、ひとたび「家」が絡むと一筋縄ではいかないことは、「長女」であるリカちゃんを見ていると伝わってくる。「家」とか「嫁」とかわずらわしいことからは、いつまでも無縁でいたいものだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 駅まで送ってくれた義母が、みかんを5つ入れた袋をコトリンに手渡しながら言った。 「このみかんは新幹線で食べてって。お米とみかんとアサリは、宅配便でかんかん森へ送っておくからね。それじゃあ、気いつけて帰りん。またユージには内緒にして、2人だけで来てよ」 新幹線の中、缶ビールを飲む私の横で、コトリンが5つのみかんをペロリとたいらげていた。... minori 2007-08-29T00:44:21+09:00 [第10回目]義母の家系は女系一族 http://www.lovepiececlub.com/nanny/archives/001144.html 「もしもし、リカです。ごぶさたしてます」 「あっ、久しぶり。元気ィ?」 とっさに返事をしたものの、ケータイ電話にかかってきた相手がどこの「リカさん」なのか思い出せずにいた。 (リカ、リカ、リカ……、んんん、誰だっけ?) 「今日はおねえさんに相談したいことがあって電話したんです」 (おねえさん? 私には弟しかいないはずだけど……) 私は頭の中をぐるぐると回転させて、記憶をたどった。 (げげっ! この声は、夫の妹のリカちゃんだっ) 夫の妹から電話をもらうなんて、初めてのことだった。ましてや別居中のことである。 (まさか“お兄ちゃんと離婚しないで”とかなんとか、お義母さんと一緒になって私を説得しようって魂胆じゃなかろうか。はぁ、そーゆーのって、わずらわしいなぁ……) げんなりした気持ちを悟られないよう、私はなるべく明るい声を出した。 「いやあーホント久しぶりだねぇー。そういえばリカちゃん、結婚したんだって? 私ってば、お祝いもしてなくてゴメンね。なんせ家を飛び出して、バタバタしてた時期だったもんで。えへへへ。……で、どしたの?」 リカちゃんは、絞り出すような声で言った。 「私、妊娠してるの……」 「へっ、妊娠?!」 妊娠を報告する声のトーンがあまりにも低いので、一体どんなふうに返したらいいのか戸惑ってしまう。とりあえず私は、抑揚を付けずに淡々と答えた。 「そうなんだぁ。何ヶ月になるの?」 「5カ月。だけどダンナは『父親になりたくない』って言ってるの……」 「なりたくない?! だって結婚してるのに? しかも、もう5カ月なのに??」 リカちゃんの話は、私が危惧したようなことではなかったものの、あまりに重たい内容だった。 「そうなの。父親になるなんて考えたくないって。最近は外泊がちで、あんまり家にも帰ってこないから、もう3カ月くらい話もしてなくて。あはは……」 リカちゃんの声はフルフルと震えている。かすかに鼻をすする音も聞こえた。最後の「あはは」には、随分と自暴自棄な感情が込められていた。 「今どこに住んでるんだっけ? 実家の近く?」 「ううん。こないだダンナの転勤先に引っ越してきたばかりなの。だから近くに相談できる人もいなくて……。そしたら母が、『ユミちゃんに電話して相談しなさい』って。『きっとユミちゃんも夫で苦労してるから、気持ちが分かるはずだ』って」 「ええっ! お義母さんが???」 つくづく義母は不思議な人だ。私は夫の妹に、どんな立場で何を言ったらいいのだろう? なにしろ義母は「一生別居してても構わないから離婚だけは絶対にしないで」と、私に懇願するような人である。でもまあきっと、深い意味はないだろう。とにもかくにも、私は思ったままを言うことにした。 「そんなの、今のうちに別れたほうがいいよ! 今からそんな調子だと、子どもが生まれてからますます苦労するよ」 「そうだよね、私もそう思う……」 こんな弱々しいリカちゃんの声を聞くのは初めてだった。独身の頃(20代半ば)は学習塾の先生などをして月に50万円以上は稼ぎ、ヨーロッパやモンゴル、エジプト、中国など、自由気ままに旅行をしているような女性だったのだ。どちらかというと気は強いほうで、言いたいことはハッキリ言う性格だったはず。そんなリカちゃんが、仕事を辞めて妊娠した途端に性格まで変わってしまったように見えた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ リカちゃんが結婚して家を出ることを決めたとき、義母は猛反対していた。相手が気にいらないとか、そういうことではない。義毋の家は代々、女系一族なのである。義母は長女であるリカちゃんに家を継がせ、結婚相手には婿養子に入ってもらうつもりでいたのだ。それなのにリカちゃんは 「家なんて継ぐつもりはない。土地も財産もいらん。私は出ていく」 と言って、さっさと結婚相手の戸籍に入ってしまった。このときの義母の怒りたるや、凄まじいものだった。結婚相手の実家に電話をかけ、 「うちの娘はやれん!」 などとまくし立てたのだ。これにリカちゃんはブチキレて、母親に結婚を反対されたまま家を出たのである。 なんでも、義母が言うには 「うちの家系はね、男が継ぐと死んじまうのよ」 とのことだった。一度その言い伝えを破り、義母の弟が家を継ぐことを決めたときもあったのだが、彼はその数カ月後に40代の若さで本当に死んでしまった。そんなことが数年前に起きたため、その言い伝えはより信憑性を増した。もともとは駆け落ちをして一緒になった義父母だったが、その一件を機に、義父が義母の「家」に婿養子に入った。つまり義父母と夫は、異なる苗字(家)になったのである。 おかげで私は、「長男の嫁」が味わう苦労とはまったくの無縁だった。“近々離婚する夫の実家”に、なんのしがらみもなく遊びに行ける。夫と離婚した後も、義父母とは仲良く付き合っていけたらいいな、と思う。「家」から離れて「人」と「人」の関係でいられるなら、それも可能かもしれない。... minori 2007-08-22T22:39:33+09:00 [第9回目]乙女が夢見る「結婚」 http://www.lovepiececlub.com/nanny/archives/001126.html 「ねぇママ? パパとママはどっちが『結婚しよう』って言ったの?」 湯船につかり、なにやら考えごとをしていたコトリンが、突然そんなことを言いだした。コトリンは最近、「結婚」に興味があるらしい。なぜって、数日前にカレシのカイ君(6歳)から、 「オレたち結婚しようぜ!」 と言われたからだ。コトリンは私の顔をのぞきこんで、何やら期待しながらウキウキと返事を待っている。 「最初に言い出したのはパパ。だけどママは『結婚なんて、まだまだ考えられない』ってソッコーで却下したの」 「ええっ?! どうして? どうして結婚したくなかったの?」 コトリンは目をまんまるくして大声を上げた。 「だってさぁ、そのときママはやりたいことがいっぱいあったんだよ。いろいろとお勉強したい気分だったし、なにかコレだっていう仕事も見つけたかったし、いずれは仕事でいろんな国に行きたかったし。結婚したら、そーゆーのが自由気ままにできなくなりそうだなーって思ったんだ」 「ふうん。そのときママ、何歳?」 「えーっと……22歳。あっ、マイマイと同い年だ! ねっ? マイマイみたいに若かったら、結婚なんてまだまだ先って思うじゃない?」 「そお? こないだマイマイが言ってたよ。『結婚でもしよっかなー』って」 「えっ・・・・・・。と、と、とにかく! ママの場合は、結婚したいって思わなかったの! そーいえばパパの前に付き合ってた人も、結婚したいって言い出したのが煩わしくなって別れたんだわ」 5歳ともなると、こんな会話が成り立つようになった。つい数年前までは、「まま」と「あんぱんまん」しか言えない赤ちゃんだったというのに。 「じゃあ、どうしてママはパパと結婚したの?」 コトリンが、口をとがらせながら言う。 「あ、それは簡単なことだよ。2人でマンションを買うことにしたから」 コトリンがポカ?ンと口を開けて、考えあぐねている。どうやら「お買い物」と「結婚」が結びつかないらしい。 「あのね、最初は結婚しないでマンションを買おうとしたの。だけど、これがまた厄介なのよ。結婚してないと、面倒くさいことがいろいろあってさ。それで今度はママが『面倒だから結婚すっかー』ってパパに言って、結婚したってわけなのよ」 当時、私は26歳。同僚のハカセと連日飲み歩いたり、女2人旅を楽しんだり、ときには海外取材に出かけたり、まだまだこれからって感じで、「結婚も出産も到底考えられない」と思っていた。しかし、私は突然マンションが欲しくなってしまったのだ。というのは、住宅金融公庫の税控除がもうすぐ廃止されるというのを聞き、「どうせ買うなら今!」と、購買意欲をそそられたのであった。所得税の控除を最大限に受けるため、マンションを共有名義で買うことにした。しかし夫婦や親族でなければ、共有でローンを組むことができなかったのだ。 「まー、戸籍上の苗字が変わっても、仕事やプライベートではこれまでどおり「はたい」を名乗れば、それほど困ることもないか。なにしろ所得税が戻ってくるんだから、苗字が変わる不便さくらい妥協しなきゃ」 ??そんな気持ちで、これまで面倒がって避けてきた「結婚」に足を踏み入れたのだった。 コトリンはすっかり、シラケた顔をしている。 「しっかしさぁー、コトリンは一体“結婚”ってどういうもんだと思ってるわけ? 私、別に結婚がいいもんとも悪いもんとも、なんにも教えた覚えはないんだけど……」 ふと疑問に思い、私はコトリンに聞いてみた。するとコトリンは、瞳を輝かせて答えるのだった。 「えっとね、結婚はね、踊るの。ピンクのドレスを着てね、王子様とお城で踊るんだよぉ!」 どうやらコトリンは、シンデレラや白雪姫のお話によって、「結婚」とはなんたるかを理解したようであった。... minori 2007-07-31T14:37:30+09:00 [第8回目]「亭主関白」を目指した夫のルーツ http://www.lovepiececlub.com/nanny/archives/001123.html 初めて夫の家族を紹介されたのは、結婚する4,5年前のことだった。 義母は初対面の私に、 「ねぇ? ユージのどこがいいの? この子って、やさしいの? ま、すぐイヤになって別れるに決まってるわよ」 と言って、一笑した。 「え? やさしいですよ。パソコンが壊れたらすぐに直してくれるし」 「へぇ??、この子、やさしいの?! 信じられない!!」 驚いて叫ぶ義母に、義父は笑ってこう言った。 「そりゃそうだよ。ユージだって彼女にはやさしいよ」 このときは、義母がどういうつもりで言っているのか、真意を測りかねていた。だけど夫の態度を見ていたら、義母が言わんとしていたことはすぐに理解できた。夫は母親に対して、口やかましいのだ。 「私ね、ユージが近くに来ると面倒だから、『来たな!』って思うとピューッて走って逃げるようにしてるの」 今から思えば、結婚後は、私も義母と同じようにピューッと走って逃げるようになっていた。母親に対する態度が、そのまま私にシフトしたのだ。とくに出産後、仕事を再開したあたりから、その傾向はどんどん強くなっていった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 結婚の挨拶をしたとき義母は、 「どうせすぐ別れると思ったけど、よく続いたわね。ユミちゃん、ホントにこんなのでいいの? 苦労かけるね。ごめんなさい、ごめんなさい。よろしくお願いします。本当にごめんなさい」 と、何度も私に頭を下げた。私は「謝られてもなぁ」と困りつつ、笑っていた。 別居していることを伝えたとき義母は、 「ユミちゃんの気持ちは、誰よりも私がよく分かる。ごめんなさい、ごめんなさい。私の育て方が悪かったんだわ。本当にごめんなさい」 と、電話口で泣いていた。 「だけど、お願いだから離婚だけはしないで! だって、それでユージがこっちに戻ってくるなんて言ったら、私が困っちゃうもん。あんなうるさいのが近くにいたら、私イヤだもん!」 私は混乱気味の義母に、 「気持ちは分かりますけど、離婚は私と彼の問題ですから」 と言って、義母をまた泣かせてしまった。 といいつつ私は今でも、夫には内緒で夫の実家にコトリンを連れて遊びに行っている。夫の実家は心地いいのだ。漁港が近いので、新鮮な魚介類が朝から晩までたっぷり食べられる。庭にはミカンやスイカや野菜が植えられていて、まるでバイキングみたいに食べ放題だ。木に登って夏みかんをもぎり、その場で皮をむいてかぶりつくのも刺激的。食事は主に外食、または義父が作ってくれる。台所には、私も義母も滅多に立つことがないので、嫁姑戦争とも無縁だった。 「私は、ごはん作らないの。ユージが高校生のとき、さんざん文句言われたから。そんなにうるさく言うんだったら、もう作るのやめた!って言って、それっきり」 そんな義母の言い分を聞いて、夫はまた怒っていた。 「お弁当のおにぎりには化粧品のにおいがしみこんでいるし、味噌汁には味噌が溶けずにゴロゴロ入ってるんだ。ありえねーよ!」 朝になると義母は、お化粧を手早く済ませて、いそいそと家を出ていく。そして、義父と私とコトリンが朝ごはんを食べ終わった頃に帰ってくる。毎朝どこに出かけるのか不思議に思って聞いてみると、義母はなんと、近所の友だちの家で朝ごはんを食べさせてもらっているのだった。 「私、肉も魚も大っきらい。だから、パンと果物とお菓子しか食べないの。それなのに、お父さんが作る朝食は魚ばっかり。だから私は、お友だちの家で食べてくるの。だけどさ、お父さんが作ったご飯を『おいしい』って喜んで食べてくれる人がいて、よかったねぇ!」 夫が「亭主関白」を目指して突き進んでいったのは、こんな家庭環境に育った反動なのかもしれない。... minori 2007-07-24T16:07:55+09:00