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| 第44回 |
「開放区」「PIECES OF PEACE」 |

先日、某青年コミック誌のグラビア撮影見学に行って来た。メインであるはずのマンガよりも、その週のモデルによって部数が変わると言われる、マンガの巻頭と巻末に必ず付いてくる水着写真ページだ。今回のモデルの××ちゃん(一応名は伏せる)は、最近バラエティー番組のレギュラーが決まったものの、まだまだこれからのアイドル。しかし、彼女を間近で見た瞬間、思ったね。「これは、あたしと同じ種類の生き物ではない…」と。
ものすごく顔が小さいわけでも、ものすごく痩せているわけでもない。しかし、お肌はスベスベで、その瞳はあたしの5倍はあるだろう。ゲイノウジン的にはどうかわからないけど、客観的に見て、すごくバランスのよい外見をなさっていた。こんな生き物とあたしを、ただおっぱいと子宮と卵巣とマンコがあるというだけで、「女」とひとくくりにされてはたまらない。考えてみてよ、タッキーと小倉久博の二人を、「男」という言葉でくくるのは乱暴すぎだと思わない?(悪気はないぞ。オグちゃん好きです) だからといって、人間を「美しいもの」と「そうでないもの」に分けろっているんじゃありませんよ。そうではなく、「女」というだけで日焼けするなだの毛を抜けだのやせろだの言われるのなんて、本当にナンセンスだと思うのだ。あたしがプチ整形しようが、エステ通おうが、高い化粧品使おうが、最初っから「美しい人」には(美しさという点では)かないっこないのである。仲間由紀江と、ユースケサンタマリアだったら、あたしはユースケ寄りの生き物だと思うのだ。内面は知らんが少なくとも外見は。って、自分でも何を言ってるのかわからなくなって来ているが。
先日の「はねるのトびら」(コント番組。ロバート秋山のためだけに見てる)で、こんなコントを放送していた。北陽の虻川美穂子と、男(名前がわからん。髪の毛が緑というだけで芸のない男)が、カップルという設定。虻川はカレに話しかける。
虻「あのね〜、ケイコがプチ整形したんだって〜」
緑「へ〜、整形って聞くと引くけど、プチ整形だと、何か許しちゃうよな〜」
虻「だよね〜。あと、ルミコの妹がプチ家出したんだって〜。でも、プチ家出だから一週間で帰って来たんだって〜」
緑「マジ家出だと問題あるけど、プチ家出ならアリだね」
虻「だよね〜。プチってなんかいいよね〜。あのさ、話変わるけど、あたしってさ、すっごい美人とは言えないけど、プチ美人じゃん?」
緑「ううん、ブス。」
虻「あっ…プチブスかあ…」
緑「ううん、ドブス。オレ、ブス専じゃん。だからお前と付き合ってんじゃん」
虻「あ、何か笑いづら〜い…。受け止めづら〜い…。そっかあ…ブスかあ…」
(スタッフの笑い声挿入)
この、相手役の男も、あたしから見たら「ドブス」なんですけど…。笑えな〜い…。「ボウリングフォーコロンバイン・ビューティー版」でも作ろうかしら。「美しくなければ女ではない」という恐怖感を植え付けられる女たちのドキュメンタリー。で、途中このコント流して、「だが、彼の顔は?」ってナレーション入れるの。どう?
別にきれいごとを言ってるんでもなんでもなく、人間は顔だけではない。しかし、恋愛(セックス)市場や芸能界では、外見がいい方が圧倒的に有利だ。それは女だけでなく男も同じ。でもなあ! 顔がいいからって、何やっても許されると思うな! キムタクと窪塚あ! はい、ようやく本題です。なぜこんなに前置きが長かったのかと言うと、どちらのベストセラーも、内容が全くない、カスのような本だったからです。ようやく手に入れたよ〜、「開放区」。すでに3刷だったよ〜。これ一冊だけ買うと、増刷心待ちにしてたファンみたいでシャクだから、「志麻子のしびれフグ日記」も一緒に購入してみた。これじゃまだ弱かったかな。「せんせい」(ヤマタクの愛人の告白本)もその上に乗せとくべきだったか。しかしひどい本だった。分厚いし、値段高いし、読んでも何も心に響かないし。てゆうか、読むの辛かったし。この本であたしが学んだことは、キムタクは負けず嫌いで謝るのが嫌いで海とネイティブアメリカンが好き。ということだけでした。あとは、意味不明な日本語の羅列。ゴースト、いるんならもっとしっかりしろよ!
『写真で見た俺の脳は、シワが左右対称に入ってて、切り込みみたいなものが通ってた。クサい表現だけど、「これって俺が今まで書きためてきた日記みたいなもんなんだよな」って、妙な感慨があった。』
『バスケットだって、ルールがあるからマイケルジョーダンは神様になったんだし。』
『今、俺、ブラインドタッチできる言葉って“TAKUYA KIMURA”の他には“ありがとう”のひと言だけ。』
この、回りくどくて間違った表現の羅列は、郷ひろみの「ダディ」を思い出させますね。
『よく、テレビドラマなんかで、「あたしって何? あなたにとって空気みたいな存在なの?」ってセリフがあるじゃん。俺、それって、実は最高に幸せな関係だと思うんだ。お互いを、空気みたいな存在にとらえることができたらいいよね。』
…すっげー(←キム風)都合のよい読み違い〜…。男にとって、彼女は空気のような存在だとしても、きっと女にとっては違うのに。工藤静香のような女が、男が気持ち良く過ごせるようにと、先回り先回りでお世話してることに気付かず、男はその空気の居心地良さを味わってるんだろう。女は男のことを24時間考え続けてるんだから、相手が空気になんかなりようがない。でも、工藤静香はその不満を男にはぶつけないだろう。不満を不満とも思わないようにできているんだろう。「男なんてね〜、所詮女の手のひらの上で転がってるだけなんだから、かわいいもんよ〜」って感じ? お前はみのもんたか。
一方の窪塚本、こちらは発売日に本屋に行ったので、即購入できた。こちらは、社会批判、ポエム(リリックてゆーの? おばちゃんわかんない)、イラスト、そのどれもが中途半端。故岡本太郎は『アートとは、「こんなものは見たことがない!」と感じるものだ』とおっしゃったそうですが、だとすれば、窪塚の「表現」は、すべてどこかで見たようなモノばかり。おそらく日本全国の大人たちが、実家に置いて来た学習机の引き出しには、こんなうっとりポエム満載のノートがこっそりしまいこまれていることでしょう。青春時代のしょっぱさが思い出されます。若気の至り味。装丁がまた自称詩人の自費出版本みたいで、パーフェクト。
話題になっている「アホだけどバカじゃない」妻の写真も見た。そりゃ、窪塚が結婚すれば相手の顔を見たいとあたしも思うよ。でもね、ここでの顔出しは、サービスとしての顔出しじゃない。「どうよ! イケてる俺たち!」な写真。こんなもんアンナと羽賀のラブラブヌード写真集と同じじゃん。あたしは他人の前で堂々といちゃつくカップルが語る「愛」ってのは信用しないことにしてる。「愛あるセックスにコンドームは不要」と、本の中に書かれていたとか、いなかったとか。
男は外見だけでは不十分だからということで、彼らは人生を語るのだろうか。女のタレントにも、つっまんないエッセイ書き散らかしてるのいるけど、せいぜい「自分の身の回りで見つけたちょっと素敵なもの」とか「私はこうしてキレイになった」とかなのに。
水着でソフトクリームをなめる××ちゃんを見ながら思う。あたしは、たとえ16歳の頃でも、あんな食べ方はできなかったなあ…。と。16歳のあたしも××ちゃんも、ソフトクリームがどのような意味を持つのかはたぶん知っている。キレイに産まれてしまった女の子だけが身に付けさせられる、あたしが持たなくてすんだ「何か」を、彼女は内面化しているように感じた。そして、その「何か」は、少し悲しい色をしている。それは、キレイな男たちの無邪気さとは、まったく別の色だ。
最後に言っておくけど! 一般のブス男たち! お前ら勘違いして人生語るなよ! 女たちがキムタクや窪塚の「語り」を買いあさるのは、彼らの顔がいいからなんだからな!(…と、ここまで書いて「じゃあ、326は?」と、内なる声があたしに突っ込む…。世の中わからん)
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