私の周りは今、新築ブームです。
去年の秋頃からもう、立て続けに四件。・・・先週、転居前の土地で母子ともに仲良くしていた一家が「広い家も建ったし、桜もきれいだし、春休みだし、泊りがけで遊びにおいでよ」と誘ってくれたので、娘二人を連れて、電車を二回乗り継ぎ、行ってきました。疲れました。未就学児って、切符はいらないけれど、未就学児を連れた親が自動改札を通過する時も一人分の時間しかゲートは開いてないんですよね。駅員さんは定期券を持ってあわただしく通過していく勤め人の方達の対応に忙しそうで、そこに割ってはいるのもはばかられてしまい、荷物と子供を抱えてよたよたと改札をぬけました。
到着してすぐ、お茶の入った水筒を持って、某所にある“桜の見所”へ。広場と、少しの数の動物(馬とか、鹿とか、モルモットとか)と、鯉が泳ぐ池と、幼児のための遊具と、そして、満開の桜。
ぽかぽかと陽気を感じるほどのいいお天気。緊迫している世界情勢と同じ時系列に生きていることが信じられないような牧歌的な風景に身を置いて、ふと周りを見渡してみると、老人と子供以外は、ほとんど皆、オンナでした。
これを“女ならではの特権”と受け止めるか、“世間からスポイルされてる”と感じるか。・・・フェミ好きの私は、どうしても後者を無視することができません。
お邪魔した一家の奥様とは5年来のお付き合いです。三人の娘の母親である彼女は末娘が昨年小学校に入学したのをきっかけに、最近パートに出始めました。(この日は休んでくれました)「夏休みはお休みできる勤め先なのよ」と嬉しそうに言う彼女。
彼女と私の付き合いが細々なりに続いているのは、子供同士の相性がいいこともありますが、小さい子を連れて、こういうことはしたくない、という部分が共通していていることが大きな要因となっているように思います。
私達は(というか、たいていのオトナは、だと思いますが)、図書館やファミレスや病院で元気よく騒ぎ立てる子供が嫌いです。電車の座席やショッピングカートの荷物置き場部分に土足のまま乗り上げている子供にもイラつきますが、それらを平然とやってのける親の醜悪さは見るに耐えません。・・・言い出すときりがないのですが、これらの共通点のおかげで、ふた家族が一緒に行楽地へ遊びに出かけても、お互いストレスなく過ごすことができています。
が、しかし。彼女と私の共通項の出発点は明らかに異なっています。彼女はとても自然に、なんのてらいもなく上記の所業についてこうのたまうのです。
「ああいうことをするのって、同じオンナとしてゆるせない」「オンナの責任よ」と。
オンナ。・・・『親』でもなく、『人間』でもなく、『女』。子育ては、『オンナ』の仕事。彼女はジェンダーロールを引き受けることに『何故?』を持ち込まない女性です。大抵、フェミを気嫌いしている女性でも多少の違いはあれなんらかのフェミ的な自己矛盾を抱えているものですが、ここまでハードとソフトが完全合致しているひとも珍しい・・・と思いつつ、それでもお付き合いが続いています。なんというか。彼女はとても。とても安定していて。一言でいうと、“幸せそう”に、見えます。こんな女性がいるのも悪いことではないような気がしてしまうほど、彼女の放つオーラはほのぼのとしていて。
そして、そんな彼女と私は生活環境がとてもよく似ています。はたから見れば子供の数と家が新築かどうかの違いがあるくらいのものでしょう。
幸せなら、そのままがいい。私は彼女との話題にフェミを出しません。
フェミニズムに相反する思想は『男女差別意識』と単純にひとくくりにするにはあまりに巨大で、幾重にも錯綜しつつ私達を取り巻いています。そして、その錯綜そのものに『文化』や『芸術』、『愛』、『慣習』といった美しい名前があてがわれ、賞賛されていますよね。(なんせ、国技が相撲なんだもの、この国。)『フェミニズム』という名前ひとつしか持たないフェミって大変です。明らかに分が悪い。・・・そう、分かっているんだけど。
彼女のようにジェンダーロールを苦もなく受け入れるキャパがあればなぁ、とちょっぴり思う反面、そんな余裕なんていらないや、とも思う自分。保守的な現状に生きていて、どうしてこうもフェミに惹きつけられてしまうんでしょうね。自分でも不思議です。
「オンナは貪欲でなくちゃいけません」と仰ってくださった高山さん。メッセージをありがとうございました。見事なオンナっぷりに、いつも元気をもらいます。
『お前がオトコだったら楽しみだったのに』という親がかけた呪いを蹴飛ばしてもいいんだと思わせてくれたフェミニズム。自分を惹きつけてやまない『イズム』がフェミニズムであるうちは、私が言語化する『私なりの“イズム”みたいなモノ』の冒頭に「私は、フェミニストじゃないんだけれど・・・」というZリフだけは乗せたくない、というこだわりが、私の“30代半ばにして『フェミに片思い』などという青臭い口上を言ってのける厚顔さ”の源泉になっています。
『片思い』:一方だけが恋い慕うこと。片恋。
ジェンダーロールに乗っかって規格内のオンナやりながら、軌道に乗っている現実の生活と、どうしても捨てる気になれない想い。両者の、矛盾。
私が内蔵しているハードにフェミニズムをインストール可能にするOSを模索しつつ(←書いてて自分でもよく分からないけど、雰囲気伝わります?)、その辺のギャップをつらつらと。書いていきます。ではでは。 |
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