中、高校生だった頃の日常的な話。学校から帰宅すると、玄関に家人のものではない靴。居間には父の兄嫁が母と炬燵にはいっている。また今日も亭主の愚痴を母にこぼしに来たんだな、とハラのなかでは思いながらもにっこりと「ただいま」を言い、急いで自室に入って制服を着替え台所へ。チラッと見た炬燵の上には蜜柑しかなかったからだ。あのおばちゃんはすごい甘党だったから、コーヒーに砂糖を三つ、母は胃が弱いからミルク多め。適当なお茶請けを漆器の入れ物に入れて、「いらっしゃい、おばちゃん」と言いつつ、ついでに愛想笑いしつつ居間に運ぶ。これをやっとけば、後で母に文句を言われない。
こういったことをするのは「いちいち言われなくても、女の子ならするのが当たり前」であって、昔、母にこと細かくレクチャーされたような記憶があります。母曰く、「あなたを躾けるのには、苦労したわよ〜」ですって。
ママ、それは「躾」じゃないのよ。「性別役割を刷り込みする」っていうのよ。お兄ちゃんには「躾けて」なかったじゃない。なんて言ってももう遅い。
いまや私はごくごく自然に「そういうこと」ができるカラダになってしまっているんである。ジェンダーロール、恐るべし。
大分前に小倉千加子の『セックス神話解体新書』を読み終わって、あー面白かった、と本を閉じようとしたら表紙裏の著者プロフィールに“嫌いなもの:結婚しているフェミニスト”と書かれているのを見て、「どうせアタシは結婚してるわよ! きぃ!」と憤慨したことがあります。大人気ないですね、自分。(実際、彼女はこの発言でかなりパッシングされたらしいですね。)
去年でしたっけ、いや一昨年かな。彼女は上野千鶴子と『ザ・フェミニズム』という本を出版しています。両者の対談が面白くて、そこに小倉女史が社会的ひきこもり状態になっていた、ということが書かれていて。知らなかった私はびっくりしたんですが、ひきこもってしまったというその「理由」に、私は「え?」と。
まるで胃のなかにごろっと石を詰め込まれたような、重苦しい気分になってしまったのでした。
その部分だけを要約するとこうです。『どんなにフェミニズムに関した講演をこなしても、主婦の単なるガス抜き程度にしか扱われない現実に嫌気がさし、ひきこもることになった、云々』
・・・どれほど『お前は、オンナだ』という抑圧がかかっているとしても、まだ若いうちはどうにかそれに抗うことができる(かもしれない)。それなりの足場を固め、踏ん張る事もできる(多分ね)。目に見えて変化できないのか、いつまでジェンダーにしがみついているんだ、と小倉女史に一喝されても仕方ない。
彼女が「結婚しているフェミは嫌い」という言葉の言外に込めた「フェミを鬱憤晴らしに使わないで」というメッセージにはぐさっとくるものがあります。そうだよね。「好き好き」ばかり言ってないで、好かれる努力もしろってもんだよね。小倉さん、アタシ達に疲れちゃってたんだね。と、なんだか謝っちゃいたくなるような気分にもなりました。
でもね。ジェンダーロールが当たり前の常識で、週末もお正月も休む間もなくアンペイドワークに明け暮れて、気が付いたらいい歳になっちゃったけど「なんだか割に合わない」と思い続けて何十年、という中年、壮年の女性達は? 自分名義の財産もなく、そこそこに配偶者と折り合いつけて生活している彼女たちが自分のやってきた家事、育児、介護などに価値を見出して、自己査定の基準をバージョンアップできるんだったら、それはそれでステキなガス抜きになるはずだとは、思ってみてはもらえなかったのだろうか。ダンナと離婚し、職を見つけ、自立してからでないとフェミな気分を満喫しちゃいかんってか? この不況時に? 第一、婚姻制度つきでオトコと仲良くするのはそんなに悪いことなのか?・・・そして私は既婚者だ。・・・と、数年ぶりにまたもや「む〜ん」と唸ってしまったのでした。
(対して上野女史は『講演は、(自身の)飯の種でしょう』と、至極まっとうなお答えをしていたように記憶しています。・・・むぅ。クールだ)
生活を変えられなくてもフェミにメンタリティを支えてもらってどうにか日々をやり過ごしている片思い組の存在はフェミにとって迷惑な存在でしかないのか?とタメイキを漏らす私。女性の社会的地位の向上という「しっかり目に見える成果」を得られないことに苛立ちを感じる小倉女史のフェミに対する情熱はすばらしいのかもしれないけど。なんだかなぁ、私はとっても寂しいよ。
誰のための、何のための、フェミニズム?
オトコとかオンナではなく、そのひと個人がそのひとらしく生きていくための、っていうのがフェミだと思っていたけど、違うのかなぁ、と不安になりながら。「女性に再抑圧をかけていることに気付いて欲しいです、小倉さん・・・」と胃をさすりなェら読んだ、『ザ・フェミニズム』。
結婚制度そのもの(もっといえば専業主婦)の存在がオヤジ中心社会の潤滑剤になってしまっているのは分かっている。私達の余力を吸って100%以上のチカラをもって社会に出て行くオヤジ達とまっこうから勝負しなきゃならない働く女性達の足を、結果として私達が引っ張ってしまうことになる世の構造のありかたにやりきれない気分になる。結局フェミの足を引っ張っているだけなのかと、途方にくれてしまう。
個人的に気に入ってる自分のパートナーに『だけ』余力を与えつつ(だってそうしないと生活できないから)フェミな女たちにエールを送る事は不可能なのだろうか?・・・不可能なんだろうな・・・というか虫が良すぎる願い?
考え出すと、どんどん弱気になる。でもやっぱりフェミが好き。うーん。切ないなぁ。 |
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