フェミに片思い
プロフィール

第06回 パンツ、洗ってる?

 『シンデレラ』や『白雪姫』などの西洋お姫様物語を幼児期に夜な夜なたっぷり聞かされて育ったせいもあると思うけれど、私はヘテロなカップルの幻想に乗っかりやすい素地を持っている、と思っています。けれど、「私の王子様は搾取しない特別なタイプを選んだの、だって私はフェミを知っているんですもん♪」などどアホな自惚れを抱けるほどにおめでたい気分で毎日を過ごしているのかといえば、そうでもありません。両親に比べ抑圧度は格段に低いけれど、やっぱり私、搾取されてるわ・・・と、フェミの文脈を都合よく利用し、悲劇のヒロインぶって過ごしているわけでも、ありません。たまに、「もーいや!やっぱりアンタ、高下駄はいてるじゃんか!」と相棒に突っかかり、喧嘩することはありますが、娘が赤ん坊から幼児に成長して、家事の合間に多少自分の時間を作れるようになると余裕が生まれて、「月数万円のわずかな小遣いで馬車馬の如く賃金労働にいそしむ相棒だって、『下駄でも履いてなきゃ、息もできない』と言いたくなったりするだろうな(言わないけど)」、と思ってしまうときだってあります。(でも、それはほんのわずかの期間に持てる憐憫の情、ってもんでしょう。些少でも私が仕事を持ったらなくなってしまう“余裕”ですね。多分。)

 「フェミが好き」なんていいつつ、「寝た子が起きた」といいつつ、「父母のパワーゲームを見るのが辛かった」といいつつ、私は、母がこなす家事労働に感謝こそするものの、尊敬などしてきませんでした。あまりに当たり前で。空気のようで。
 田嶋陽子が「オトコもパンツを洗え!」とTVで勢いよく吠え始めていた昔。私は自分の情けなさにガクゼンとしていました。私は、パンツを洗っていなかったのです。
 私は一人暮らしの経験がありません。家から会社に通っていた数年間、『食費』という、少ない金額を家に納めていれば、夜出した洗濯物は翌日たたまれて自分の部屋にありました。夕食が、待っていました。晴れた日には布団はふかふかに干されていて、リネン類は定期的に交換、洗濯されていました。『躾』の名の元に家事一般はレクチャーされていましたが、『勤め人』という語彙に弱いのか、専業主婦の母は家事分担を申し出なくなっていて、愚鈍な私もそのことにまったく気付かずに、家庭外での“賃金労働”に慣れるのに精一杯でした。  

母が、繰り返し言った「おとうさんが働いているから、生活できるのよ」という台詞。確かにそれは本当のことだろうと思います。でも何故、その後に「私だって家の一切の家事を受け持っているのよ」と、誇らしく、子供の頃の私に語らなかったのでしょう。ジェンダーを肯定している母なら、自分の価値を子に伝えればよかったのに。どうして尊敬を得ようとしなかったのでしょう。それともこれこそが、ジェンダー肯定感ゆえの“オンナの奥ゆかしさ”なのでしょうか。・・・理解不能だけれど。
今、家族四人分の家事をこなしています。洗濯、掃除、買い物、炊事。手を抜こうと思えば抜けるけれど、完璧にやろうと思えばきりのない仕事。やればやるほど達成感のない(「ある」というひとも、いるでしょうが)仕事。とてもじゃないけれど、『いただきます』『ご馳走さま』『ありがとう』の言葉がなければやってられない仕事。
嗚呼、それなのに。私は母にパンツを洗ってもらっていたのです。無償で。フェミで起きた『寝た子』はおねしょでべたべた、自分の始末もできていなかったのね・・・と。当時を振り返ると消え入りたいほどに恥ずかしいです。  

ネットの掲示板などで、保守的な価値観のひとが「オンナジェンダーを当たり前にやってる女を一番バカにしているのがフェミニズムだ。フェミはオンナの間に階級をつくり、自分達だけ上に乗っかるつもりだ」といった書き込みをしているのを見るとどきっとしてしまいます。「そうじゃないでしょ」と反論するにしても、私はあまりに母親を、不払い労働を尊敬してきませんでした。
「家庭」とか、「家族」とか、生活を共にする幻想をカタチにするのにジェンダーロールは便利な存在だと思います。小学校の掃除や給食当番みたく、順番や配分を考えなくてもいい分、ある意味合理的とも言えましょう。言いたくないけど。
「不払いだから、やりたくないのか?」「有償ならば満足か?」
違う違う。どうしてオンナばかりが、高いところに立ってるオトコに「やるのか、やらんのか」と、問いただされなくてはならないのか、そこに「不満を感じる」んだよ〜。
 保守的な母性賞賛主義には反吐がでそうだけれど、「おかあさん」をやってることを「おかあさん本人」が「不払いだけれど、労働だ」とアピールすることは必要じゃないのかな。
「やる」ことを前提として「なぜ?」を抱えるオンナに、「やらなくていい」ことを前提として「やりたくないのか?」とエラソーに言えるオトコ。両者のミゾの深さと暗さを、ニッポンの母の奥ゆかしさが助長させているように思えてなりません。「仕事もしんどいだろうけれど、家事だってしんどいのよ」と。言わなきゃ、誰にも気付かれない。「当たり前」で終わります。“稼いでいない”という虚しさから口をつぐんでいたら、悪循環は繰り返されてしまうでしょう。多分、ずっと。
「“当たり前”だからやっているわけではない」「“オンナ”だからやっているわけではない」を添えて、「無償だけれど、仕事なのよ」と。声を上げていきたいと思っています。ちょっぴり虚しいところもあるけれど。言わないよりはきっといいよね。

 G.W.に帰省して、完璧なジェンダーロールワールドに漬かってきました。
家族がそろって夕餉を囲み、ほろ酔い気分の義父が「ほんの少し、違うものがつまみたいから、天麩羅でも揚げてくれ」と夜の10時過ぎに義母に言うと、文句も言わずに義母が台所へいきました。ほんの少しの、天麩羅。目玉焼きも焼けない義父は、かかる手間を想像もしないで、言うのでしょう。酒を呑めない義母の、天麩羅を上げる手つきは無駄がなく、手早く、この手際が今まで誰にも尊敬を寄せられずに40年近くこの台所で発揮されていたのかと思うと・・・なんとも複雑な思いです。

INDEX
第12回 [2003/jun/18]
『主婦』って、なに?
第11回 [2003/jun/11]
ボツになった再就職
第10回 [2003/jun/04]
”女の子ジェンダー”のジレンマ
第09回 [2003/may/28]
予定外妊娠・僻地事情
第08回 [2003/may/21]
予定外妊娠
第07回 [2003/may/14]
ミニオヤジ
第06回 [2003/may/07]
パンツ、洗ってる?
第05回 [2003/apr/30]
連休の憂鬱
第04回 [2003/apr/23]
私の「働けイデオロギー」
第03回 [2003/apr/16]
嫌いと言われても
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