趣味は?・・・と聞かれて「読書と、映画鑑賞です」と答える人間のことを無趣味な人、というのだと、どこかで聞いた事があるのですが、私は、まさにそれです。
この連載一回目に紹介した『たった一人の友人』と、映画についてああでもない、こうでもないと長電話をするときがあります。彼女にはいつも「はっ!」とさせられる言葉をもらうのですが、数年前にもらっていまだひきずったままのお題があるので、今回はそれを紹介したいと思います。『そこが問題だ』というところは理解できても、どうしても客観的に考えることができません。どうすりゃいいのか。どうにもできない。これの繰り返し。
私のこの駄文を読んでくださっている方たちの中に、答えを持っている方、おりましたらぜひ、教えていただきたいなと思っています。
『トゥルー・ロマンス』。タランティーノ作品らしい、暴力にあふれた恋愛映画。このなかで、パトリシア・アークエット扮するアラバマというヒロインが、オトコにぼこぼこに殴られるシーンがあります。目蓋は腫れ上がり、裂けた唇と鼻から血を流しながらも暴力オトコ相手にアラバマは中指をおったて、そのせいで余計に殴られてしまいます。買い物で外出している恋人が帰ってきて彼女を救うのかと思いきや、彼女は一人きりでオトコに反撃し、なんとか返り討ちに成功するのです。
「(映画のなかで)オトコがぼこぼこやられてても全然痛く感じないけれど、オンナだと痛みを感じるのはどうしてなんだろうね」というようなことを話していて、私が「あのシーン、アラバマはぼこぼこにされた挙句、殺されると思ってたから、形勢逆転するまでは見てるのが辛かったよ」と言うと友人は「アンタそんな風に見てたの?」と語尾を吊り上げました。「アタシはいつ、彼女が反撃するのかと待ち構えながら見てたよ」と。
「もし殺されるにしても、タマを握り潰すくらいのことはやるだろう、ってね。そう思わなかった?」「・・・うん。思わなかった。というより、思いもしなかった・・・」
『オンナは、オトコより弱い』という常識に、無意識レベルでどっぷり浸かっていた自分を発見して、ショックでした。恋人のクリスチャン・スレーターが彼女を救う、という展開を期待しながら見ていたんだもの、ヘタレもいいとこです。「オトコよりも非力だろうが小柄だろうが、やるときゃやるのよ、って気概もたなきゃ。最初から負けちゃうよ」と、彼女に教えてもらいました。
・・・で。その『気概』を持った『大人のオンナ』になるためには。『女の子』をどのように育てりゃいいんでしょうか?そこら辺がもう、試行錯誤というか五里霧中というか。さっぱり分からないのですよ。
『幼い女の子』は、スペシャルに扱わなくてはならない、と思います。大なり小なり、事件に巻き込まれてしまう危険性が男の子より大きいからです。私自身が専業主婦であることに唯一メリットを感じる瞬間は、ちいさな娘の公園遊びにず〜〜〜っっっとくっついていられる、それを実感しているときです。
幼稚園児、及び小学生低学年のうちは、なるべく一人にならないように。習い事やお友達のうちへ遊びに行く道中は必ず付き添っています。カラダについて、「水着で隠れる部分は、見られたり、触られたりすることを拒否する権利がある。たとえ、相手が知り合いの、尊敬するべき立場の大人であっても」ということもレクチャーしました。防犯ブザーも持たせています。
後は、成長に合わせて初潮の知識、セイファーセックスなどおいおい教えていき、興味が出てきたらいつでも手に取れるように北原さんの著書『おとこはときどきいればいい』を本棚に飾っておけばオッケーね、と。・・・そう思っていたんですが。
問題は、「いつ、一人行動を解禁するか」ということ。自分が子供の頃は、暗くなるまで一人っきりでも外にいて遊んだものですが、それを我が子にさせてあげられないのがつらいところです。でも、「もしも」を考えると、できません。私が「働きたいけれど、せいぜいパート勤務かな」と思うのもこのためです。少なくとも小学生のうちは。万全の態勢で守ってあげたい。これは、「娘のため」という言い訳のついたエゴだ、という自覚がありますが、やめられません。
こんなことを続けていれば。『守る』ことで、『守られる』ことを刷り込んでしまうのではないか。『気概』を育てる土壌を娘らに提供しなくていいのか・・・いや、そもそも「気概が試される状況」などできれば一切経験して欲しくない。単なる『知識』としてレクチャーしておけばきっと大丈夫。・・・本当に?大丈夫なの? いつまでも親の庇護の下にいるわけでもないのに。庇護といったって、24時間親が張り付いていられるわけでもないのに。
小さな女の子には性的なリスクがある、ということを娘に教えるのは正しい事だと。そう信じてきたのですが、勿論今でも信じているのですが、そうすることで“オンナは、弱い”という“常識”をも刷り込んで“気概”の芽を摘み取っているんじゃないかと、友人とのアラバマ問答以来、考えています。
・・・もちろん、娘たちが私以外から吸収する経験の中にいくつも芽があるに違いないとは思うのですが。私自身、幼児期に性被害に遭っているので「同じ轍は踏ませない!」と過剰に意気込んでしまうのです。どうすればいいのか。どうにもできない。・・・答えが、でません。「はやくオトナに育ってくれい!」と祈るばかりです。
(私の熱意で現実の事象が左右される事はないのかもしれないけれど。先月二十日から行方不明になっている大阪の四年生の女の子が、一分一秒でも早く、無事に発見されますように。願ってやみません。)
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