第5回 フィールドワーカーとしての受胎調節指導員(3)

「ペニスを人前にさらす野蛮な身体検査など、悪しき軍国主義の産物である。そんなものは戦前で終わったのに決まっている」と思う人が多いかもしれない。

が、さにあらず。M検は、1950年代に入っても続いていた。
受験雑誌『螢雪時代』の記事を調べてみると、東京教育大(当時)、名古屋大、阪大、横浜市立大ほか数校は1950年ごろまで、一橋大や慶大や東北大は1952年ごろまで、東京都立大(当時)は1954年ごろまで、M検を実施していた痕跡を認めることができる。性病の有無をチェックされるとか、「生殖器」「陰部」「身体の内外全部門」を調べられるなどと書いてあるのである。

防衛大と西日本にある某私大では、1970年代はじめも入学時にM検を実施していたという噂がある。しかも、某私大のほうでは卒業時も実施していたらしい(*1)。入学時と卒業時のサイズを較べていたのか、性病があると卒業させなかったのかは、定かではない。

筆者の先輩の高校時代のクラスメートも、1970年代はじめの航空大受験時にM検を受けている。その受験生は、クラスで「すごい検査を受けた奴」として、もてはやされたという。「すごい検査」と言われたからには、70年代に入ると、さすがにM検は「普通の検査」ではなくなっていたということだ。

もちろん東大でも実施されていて、1957年度までM検が行われていた。
検査場には、本郷キャンパス内にある「七徳堂」という武道場が使われた。『読売新聞』のコラムは、「横に並んだ七、八組の医師・看護婦チームの前に一糸まとわぬ若者数百人が行列したのは壮観だった」と述べている(読売新聞1993/05/01東京夕刊1面)。

素っ裸の男子が数百人。
そして、素っ裸あるいは自前の衣をまとったペニスが数百本。
なんともすごい光景である。
M検経験者に聞いたところ、こういう時にかぎって勃ってしまう者がいるのだそうだ。「なにもこんな所で!」と焦れば焦るほど反りかえる不如意棒。ペニスというのは、つくづく厄介な器官である。

M検会場の七徳堂は、ラブピースクラブから近い所にあるので、買い物に来た時にでも見ていくといいと思う。M検があったことを示す手がかりなどいっさい無い武道場で、剣道部が元気に練習をしている。

脱線ついでに、どうでもいい情報をひとつ。地図を広げて見てみると、七徳堂とラブピースクラブとコンドームメーカーのオカモトは、南北にわたって、ほぼ一本の線上に位置している。いずれも何かと下半身とかかわりの深い場所である。
その線を南のほうへ伸ばしていくと、日本一、生殖にうるさい場所に突き当たる。
4つのポイントを結ぶ「下半身ライン」。興味のある人は地図で確認してみてください。

閑話休題。羞恥心の話にもどろう。
直接採便やM検が1960年代に入ってはじめて騒がれたということは、それ以前は、「被検者の羞恥心」などに関係者はあまり配慮をせず、また、そのことがさしたる問題だとは考えられなかったことを意味している。
そんな状況下で、「貧しい人たちにも」という言い方ではあるが、受講者の羞恥心の存在に気づくことができた辻本さんは、当時の保健関係者としては珍しい部類に入る人だったのだと思う。

辻本さんは「貧乏人」のハートに敏感である。厚生省(当時)が避妊具の無料配布をしようとしているというニュースを聞いた時も、喜ぶのではなく、「その人たちの気持をどんなにスポイルすることになるか」と懸念を示している。
「彼女らは、自分の生活の範囲内で、受胎調節をし、あるいは出産をすることに、どんなに誇りを感じているか判らない。/ホドコシは、いくら貧乏人でもいやである」(週刊サンケイ1953/09/20)

そんな辻本さんの思いをよそに、1955年、厚生省は生活保護世帯を対象に、避妊具を無料または低価格で配布した。対象者は20万人、予算は3200万というから、かなり大規模である(*2)。
なぜ、政府はそこまでして人を減らしたかったのか。
その理由は、「逆淘汰」という概念ぬきには考えられない。

(*1) 農上輝樹、1971『続・薔薇の告白』第二書房、102頁
(*2) 木村又雄1957「家族計画の普及対策について」『公衆衛生』21巻4号、15頁


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