なぜ、夫は眠姦をするのか。それを知るには、当時の田舎の人びとが、家庭内セックスに置いた価値の高さを知る必要がある。ある農村の男性は次のようにいう。
「街の男衆アカツドー(映画)も芝居も見るし、又、カフエー(飲屋)もあり、ゴラクに不足してねがんすべ……山の中で暮らすオラドァ一日一生ケンメイ働いて家へ帰っても、何のたのしみつてながんす結局、アッパ〔母親〕さゴラク求めるのす……」(沢田千代子1954「保健婦の手記」『岩手の保健』34号、1954年2月、45-6頁)
街の男たちは映画や芝居やカフェーなどの娯楽で気晴らしができる。が、山の中にはそのような娯楽が無い。けっきょく、妻(母親とあるが、妻のことだろう。日本では夫が妻を「母ちゃん」と呼ぶ)とのセックスが唯一の楽しみになる、ということである。
このような考えが支配的だから、そして、妻は夫の所有物という考えも支配的だったから、夫たちは妻が眠っていようが何しようが妻を犯してもOKと考えていたのだろう。
この「セックス=他に楽しみがない人の唯一の娯楽説」は当時の雑誌記事に、何度か出てくるものである。くだんの辻本さんが、東北地方の比較的「文化のすゝんだ」地域で避妊講習会を開いた時の手記にも、次のような描写がある。
「最初に借りたのは漁業の網元ーーいつてみれば、土地の有力者の家であった。
「神を汚す大馬鹿者」
赫ら顔の、たぶん、たぶん、その席にも列席している筈の、網元の夫人の旦那さんが、私を袋たゝきにしかねまじき、権幕で子分の漁師と共にどなりこんで来た。
「俺たちのたった一つの娯しみを奪う奴らが勝手な熱をふいている」
大たいそのようなことを怒鳴っているのである」(週刊サンケイ1953/09/20、8頁)。
この漁師はセックスを「俺たちのたった一つの娯しみ」と考えている。受胎調節イコール禁欲と取り違え、受胎調節指導員の辻本さんをその娯しみを奪う人間と受けとって、怒鳴りこんできたわけである。
はなから「俺たちの娯しみを奪うな」といえばいいものを、その前に「神を汚す大馬鹿者」と大上段に構えた前置きをしたのは、ストレートに「セックス=娯楽観」を出すのがさすがに恥ずかしかったからだろうか。
余談だけれども、現代のバックラッシュ派も「神」の等価物である「自然」を持ちだして、「男と女は生まれつき違う」という自分たちの議論を正当化する。その背後にはストレートに出すには恥ずかしい欲望が潜んでいるのかもしれない。
ともあれ、このような土地では受胎調節運動を展開するのがとても難しい。沢田さんは、ある役場が男衆を集めて、避妊薬を使いましょうと呼びかけたところ、係の者がさんざんやられたという話をしている。避妊薬を使うことは禁欲をするということではない。また、避妊薬は性感を損ねない。にもかかわらず、他人によるセックスへの介入はいかなるものも自分たちに損なチョイスであると男性に「短絡」させてしまう何かが、1950年代の田舎にはあった。その「何か」とは、あんなに素晴らしいものを奪われてはかなわないという、男たちのセックスへの強い執着だったのではないか。
田舎だけではなく、都会でも「セックス=他に楽しみがない人の唯一の娯楽説」は効力を持っていた。辻本さんが靴屋のおかみさんを訪問をした時に、おかみさんはこういって辻本さんを歓迎した。
「実は困っていたのですよ。私の家では子供の間が早くて、これで四回もおろしたのです。私は、産制の方法も知らないし、父ちゃんは真面目一方で、道楽をするわけではないから余計困るんです。子供たちのありもしない運動会をこしらえて、明日までに、このパンツを縫わなければ、といって、父ちゃんが待ち疲れて寝るのを待っている、ということが何回あったか判りません」(週刊サンケイ1953/09/20、7頁)
辻本さんは、一回はこのおかみさんに追い払われた。なぜなら、初回訪問時には夫がいたからである。他人の夫婦生活に口を出すなと怒る夫の前で、子宝が欲しかったのでいいのです、とおかみさんは悲しげにいった。