これまで、低階層と知識階級、田舎と都会の人びとの受胎調節の受け止め方を、受胎調節指導員の手記から、見てきた。
今度は、彼女達がすすめてきた避妊手段に焦点を当てたいと思う。
1950〜60年代の資料を読んでいると、受胎調節指導員や公衆衛生院はコンドームよりペッサリーの普及に力を入れているように見える。
連載第3〜9回に登場してもらった辻本さんも主にペッサリーの挿入法を指導していたし、墨田区の下町で指導を行った結果、コンドーム使用者よりもペッサリー使用者の数が増え、避妊実行者の半分強を占めたとされる(週刊読売1954/10/03、24頁)。
表1は神奈川県の農村・上府中村での指導前と指導後の避妊法の比較である。ペッサリー使用者の人数が10倍になっている。
公衆衛生院はいろいろな方法を指導しただけで、どの方法を取るかは村民に任せた結果とされているが(婦人朝日1954/01、63頁)、ただ「任せた」のだとすれば、ちょっと信じられない数値である。
選択を村民に任せたのは事実でも、器具の無償配布ぐらいはしていたかもしれない(*1)。ペッサリーを無償配布したあとで、「使うか使わないかは村民が決めることで、ウチは使えとはいっていない」と主張したとしても、それは基本的には矛盾のないことである。
日本鋼管に勤める夫とその妻の避妊法の調査でも、ペッサリーは高い伸び率を示す(表2)。
逆に、コンドーム使用者は減ってしまっている。
これは後述の「新生活運動」での受胎調節指導の成果である。
コンドームが勧められるのは、新婚期間だけなど限られた場合だけであった。
「産婆なのに産児制限に熱心」なことで有名だった羽生たきは、新婚夫婦に「最初からペッサリーをつかうのは無理なので、暫くコンドームをご主人が使って様子を見るようおすすめした」という(サンデー毎日1955/11/06、4頁)。
ペッサリーは出産を経験した人向けの避妊具である。
本来ならペッサリーを勧めたいところだが、出産未経験の新婦にはそうもいかないので、コンドームを勧めたというところだろう。
コンドームはあくまで二次的なチョイスだったのである。
では、指導員は、一体なぜ、ペッサリーに力を入れていたのだろうか。
第一に考えられるのは経済的理由である。
1950年代半ば、コンドームはおよそ90円。だが、これは1回使うとダメになると当時の雑誌でいわれている。
いっぽう、160円のものなら、2回使える。
一回使ったコンドームをまた使うことは、避妊効果が薄れるので絶対にやってはいけないことだけれど、当時はそのような認識はあまり無かったらしい。
いつごろの話なのかは定かではないが、「空耳アワー」でおなじみのイラストレーターの安斎肇の親戚に、洗ったコンドームを洗濯物といっしょに干す人がいたそうだ(*2)。
いずれにしても、コンドームだと、避妊1回につき80〜90円のコストがかかる。
同じ時期、ペッサリーは初期費用として300〜400円がかかったが、洗って繰り返し使うことができる。当時でも2〜3年はもつといわれているから、仮に400円の品を週1回3年使用したとして、1回につき2円50銭のコストである。
ペッサリーのほうが断然安い。
もっとも、貧困層には、初期費用の300〜400円の負担がままならないことが問題だったのだけれど(サンデー毎日1955/11/06、9頁)。
ペッサリー普及に力点が置かれたもう一つの理由は、コンドームは男性の性感を損ねるから、というものである。
(*1) 現に公衆衛生院がある受胎調節モデル村にて無償でゼリーを配布したことが、後日報告されている。古屋芳雄1957「農村、炭鉱および生活保護世帯の家族計画に関する研究」『公衆衛生院研究報告』6巻3号、75頁参照。
(*2) J-WAVE『GOLDEN TIME』2005年6月11日深夜放送での発言。