「元アイドルの強さ」
2009年9月24日
去年のコラムで中森明菜のことを書いたとき、読んでくれた人から、内容がマニアックでちょっと気持ち悪かった、という感想をいただきました。けれど懲りずにまた書きます。すみません。
今年の夏は明菜で始まり明菜で終わりました。六月からのアルバムの三ヶ月連続リリース、八月の音楽番組の出演、そして横浜での十日間ライブ、今までになく精力的な活動でした。CDを買い続け、テレビを録画して、ライブにも行ってきました。明菜の活動を追うことくらいでしか、動かなかったような夏でした。
長いことファンでありながらコンサートは初めてでした。なぜか一番前の左端の席がとれて、ナマ明菜を近くで見ることができました。椅子に座ったまま、ちっちゃい、ほそい体を折り曲げたりそらしたりしながら、太い声を出していました。昔の光沢のある声ではありませんが、声量は健在でその声には凄みがあります(中島みゆきもそうですが、年を取って声は低くなりますが音域は広がっているような気がします)。
アイドルライブの名残なのか、昔からのファンらしき人たちがけっこういるようで、MCのときには、明菜に話しかけるような野次が飛び交います。それを明菜は、時折テレビで見せていたような謙遜風な対応ではなく、投げやりな風情でいなしていきます。
「夏ももうすぐ終わりですが、一人の人もまだ諦めないで、外に出かけたら素敵な出会いがあるかもしれませんので、がんばってくださいね」
と、明菜は適当なことを言います。すぐさま「明菜もな!」と野次が飛ぶと、「私は外に出ることがないからいいんです」と身もふたもない返しをします。
何年か前にテレビで、「友達はいません」と淡々と答えていた姿を思い出しました。
小学生の女の子が客席にいるようで、彼女が舞台に向かって話しかけます。
「さっきね、外で転んだの、それでね、恥ずかしかったの、痛かった」
すると明菜は、「そうか、転んで恥ずかしくて痛かったのか。そうだね、そういうときは、その場で笑いなさい。そしたら人は見てみぬふりをしてくれるから。そして、それも夏のいい思い出になるよ」と、ほぼ無関心な様子で切り捨てます。
女の子はそのあとも何度か明菜に話しかけました。ついに明菜はため息をついて、「それにしても君はおしゃべりだね」と低い声でいなしました。女の子が一瞬黙ったのがわかります。続けて、「ごめん、怖かったね、でも私は性格悪いから」とそのままくるりと椅子を翻して後ろを向いてしまいました。暗転して次の歌が始まります。
明菜のそうした返しに観客は大喜びで、私も隅の席で楽しんでいました。
買ったCDには入っていなかった、薬師丸ひろ子の「WOMAN」を少し苦しげに歌い上げたあと、「すみませんでした」と謝りました。なにかミスをしたようです。変調の繰り返しでどんどん音程が高くなっていくというユーミン(作曲)独特の節回しです。
「ぜんぜんわからなかったよー!」と会場のファンからフォローのような野次が出ました。それにも明菜は、「わからない人にはわからないほうがいいんです」と静かに言い捨てました。
終始こうした切捨て系のテンションで、じっさいのところ普段散々聞いている歌声よりも、そうしたMCの様子に明菜節を堪能しました。
ビデオ屋のお客で明菜のコンサートは二度と行かないと怒っていた人がいました。私がしょっちゅう店内でCDをかけているので、それに反応しての話の流れでした。どうしてですか、と尋ねると、MCなんてサービス精神にかけてるんだもん、とかそんなことを言っていました。今回、それを体験したような気がして、怒る人もいるだろうな、と思いました。古い話ですが、桃井かおりがテレビCMで「最近、馬鹿が多くて疲れません?」という台詞を言って、「馬鹿とはなんだ!」というクレームが殺到した事件を思い出しました。明菜のMCに怒るのはそういう系統の人たちのような気がしました。
それにしても、近年は活動を歌一本に絞り、新境地を開いたカヴァー作品は70曲以上にのぼり、オリジナルアルバムもつくり、安室ちゃんみたいな新曲に挑戦して、友達がいなくて、外には出なくて部屋で筋トレをして、なんにでも一味唐辛子をボトルの半分以上かけて食べて、あとは部屋のホコリをくまなく掃除するのが趣味だと言う、彼女から目が離せません。というか、その職人のような歌手活動と、偏屈にみえるプライベートの話を聞くと、なぜかとてもホッとしてしまいます。これはその逸話に他人と比較している箇所がないせいかもしれません。出来ることを、したいことをし続けているだけのように見えて、そこに潔さと強さを感じます。
明菜が出演したNHKの「SONGS」という番組には、今年の初めに明菜と同期だった小泉今日子も出演していました。キョンキョンは、基本的に一人でいるのが好きで、外に出るのは散歩するときくらいで、誘われたら食事にも行くけれど、たいていは家で本を読んだり料理したりしています、と話していました。お正月は食料を大量に買い込んで一週間ひきこもっていました、と笑います。あとは、芸能人だからってそれに甘えるようなことはしたくない、この社会の一員で大人であることを忘れたくない、というようなことを言って、気持ちは若いときと変わらずヤンチャであり続けたいけど、と付け足しました。初期のアイドル時代は、途中でアイドル稼業がつまらなくなって、こんなことは長く続かないだろうし田舎へ帰ろう、と思ったこともあったそうです。
明菜、キョンキョンと、連鎖反応のように書いてきた私の頭にあるのは、酒井法子でした。記者会見の大量のフラッシュに反応したのか、笑いかけてすぐさま口を曲げたのりピー、芸能人だわ、と思いました。
あのダンナもベラベラ喋りやがって、とか(誰かに靴を投げられていました)、DJとタトゥーの何がいけない、といった文句もありますが、私はかつて、マンモスうれピー時代のことを、「こんなもんだろう、と高を括ってやっていました」とテレビで笑いながら暴露していた、のりピーの復帰を望みます。
したたかに生き抜いてきた元トップアイドルの現在を、男選びと覚せい剤の過ちで、表現の世界から消し去ってしまうような方向は、あまりにも残念です。
茶屋ひろしのプロフィール
茶屋ひろしのプロフィール
1975年、大阪うまれ。京都の私大生をしていたころに、あたし小説家になるんだわ、と思い立ち、卒業後も京都でアルバイトしながら執筆を続けるが、その生活は鳴かず飛ばず。
このままじゃ将来が不安、手に職をつけなくちゃ、と夜の世界へ飛び込んだら、思いのほか楽しくて2年間酒びたりの生活を送ってしまう。ああ、もう書かない人になるのかしら、と最後の危惧を感じて突然上京を決意。東京に来て2年が経ち、少しずつ書く機会が出てきました。行く末はライターか小説家か、は保留。ゲイというよりオカマ。
二丁目で働いていて感じる違和感を言葉にしていきたいと思っています。
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