黄金臭歓(強度のMが見たら泣いて悦びそうな誤変換)真っ只中ね。このエッセイをお読みくださっている推定5人(思い切って増やしてみたわ)の読者のみなさんはいかがお過ごしかしら。アタシは現在、実家のすぐ近くに住んでいる祖母の話し相手を務めるために帰省したばかり。以前どこかで書いた、「生まれてすぐに養女になって、それからもさまざまな苦難を味わってきた」祖母とは、母方の祖母のことで、この近くに住んでいる祖母は父方の祖母なのね。時間を見て母方の祖母にも会いに行きたいわ。まあ、実家に戻る目的なんて、「父方の祖母の話し相手」が8割を占めるようなものだから、母方の祖母に会いに行く時間もいかようにも作れるけれど。
父方の祖母は90を超えた身で、連れ合い(アタシの祖父ね)を亡くして15年以上経っているの。ここ数年は足腰もだいぶ弱ってきて、出歩くことはほぼなくなったせいか、アタシが話し相手を務めるときは介護用のベッドに寝ているか、ベッド脇の座椅子に座っているかのどちらかという感じね。
90を超えて、ここ数年で周りの茶飲み友達も次々に鬼籍に入り、そして身体の自由がきかなくなり……と、気持ちが弱くなるのも仕方がない状況なのだけれど、「早く死にたいのに、いつまでもお迎えが来てくれない」ということを5分ごとに口にするようになって、すでに5,6年は経っているかしら。そして、一緒に住んでいる家族が話し相手になるでもなく、孤独はますます深まっていってしまう、という悪循環をたどっているの。そんな状況もあって、アタシの訪問を心待ちにしてくれているわけね。って、アタシと話すときも、ほぼ5分おきに「どうしていつまでもお迎えが来てくれないのか」が出てくるから、アタシもケラケラ笑いながら「お迎えだけは仕方がない。ウチの母親みたいに“もっと生きたい”と思いながら死んでいく人もたくさんいるんだから。生き死にが一番思い通りにならないわ」と返すのがお約束よ。こういうことって、あんまり深刻に返事しないほうがいいような気がするのでね。
「○○くん(アタシの本名)は休みに外国に旅行したりしないの?」
「おばあちゃんに会うことのほうを優先してる」
「そんな、悪いねぇ」
「全然悪くない。自分が好きでやってることだから。っていうか、言っちゃ悪いけど、10年後も会えるか分からないでしょ」
「10年も生きてないわぁ。そんなまで生きてたら困るわ」
「旅行は10年後もできるから、いいの。お迎えが来るまでは話し相手になるからね。母親が病気だったときも、死んでからしばらくも、おばあちゃんには世話になったから、恩返しだと思っておいて」
などというやりとりを毎日しているわ。認知症ではないものの、昨日話した内容を大して覚えていないから、話すことも“様式”と化しているようなところがあるわね。
くれぐれも誤解してほしくないのは、アタシは、祖母と一緒に暮らしている家族(つまり、アタシの親戚筋)の不実をなじるつもりはこれっぽっちもない、ということ。むしろ、きちんと祖母の面倒を見ていると思うわ。それなのに、“5分に1度・しかも毎日”の勢いで「早くお迎えが来てほしい」と言われてしまったら、気が滅入るに決まってる。アタシが祖母の話し相手を務められるのは、それが年に2、3回の“サービス”であることを自覚しているからにすぎないのよ。
アタシはただ、「アタシの祖母は、現在だって三世帯同居だから、たぶん死ぬときも、新聞や雑誌が伝える“孤独死”という言葉からはもっとも遠いところにいる。でも、そんな祖母にも身を切られるような孤独がある。家族と同居しているたくさんの老人の中にも、アタシの祖母と同じように、凍えるような孤独を抱えている人がきっといる」ということを思うだけ。「孤独」について思いを馳せなくてもすむような“状況”を手にしても、いえ、手にできたがゆえに、人生の終幕になって「手痛い」では収まりのつかないほどの、それこそ毒針で刺されるようなしっぺ返しをくらうことも大いにあるうるんだわ、と。
『こんなオトコの子の落としかた〜』に書いたように、アタシが「孤独」をもっとも痛切に感じていたのは、一人暮らしをしている現在ではなく、「自分の正直な姿を、一生、誰にも明かさずに生きていかなくてはいけないのか」と思っていた10代の頃だった。「では、いまは孤独ではないのか」と言われたら、孤独だけどね。お付き合いしているオトコの子ちゃんと、このまま永続的に付き合っていくことは、たぶんないと思っているから。オトコの子ちゃんとのお付き合いは、彼のお母様の闘病生活を助けることを通じて、「自分の母親の面倒を見られなかった」という悔いへのリベンジをしている部分が明確にあるし。そのことを差し置いても、「いずれは子どもがほしい」と言っているバイセクシュアルの彼が、モノガミーを望む女性のパートナーを見つけたら、その瞬間にアタシから終わらせるつもりよ。見目麗しいうえにできた性格のオトコの子ちゃんなので、「相手が見つからない」ってことはないと思うし。って、それ以前にケンカ別れする可能性だってゼロではないしね。
アタシはもう、「孤独」というものを受け入れて生きていく準備はできている。10代の頃に感じていた、あの種の「孤独」はもう感じずにすむ確信があるから、単に「一人で生きていく」という意味の「孤独」をハンドリングしていくのは、自分に課せられた手ごたえのあるゲームだわ、と思っているの。でも、自分がそうだからと言って、「“幸福な”結婚をし、“幸福な”家庭生活を営んできた」ゆえに、そのことに思いを馳せるチャンスを与えられないまま生きてきた祖母を責める気になんて当然なれない。アタシはただ、これを読んでくださっている読者の方々に、「孤独」の意味を考え、アナタなりの答えを探ろうとする時間を、できれば若いうちに持っていただきたいと願うだけよ。