本来の仕事である編集職の合間を縫って、9月25日に出す『愛は毒か 毒が愛か』の書き下ろしを書いたり、嵐のような加筆修正に関わっていたこの2ヶ月間。8月の最終週に、ようやく全てが終わったわ。書籍になるのは心から嬉しいことだけれど、加筆修正ほど、文字通りの意味の「駄文書き」としての自分と向き合わなきゃいけない作業って、ないわね。いったい何度「こんなもんを書籍として残しちゃマズいんじゃないか」と思ったことか。いや、ラブピースクラブに原稿をお送りした瞬間には「これでOK」と確かに思っているのだけれど、アップされたものを読み返す段階になると、毎回少なくとも3箇所は「直したいわ……」と頭をかきむしりたくなるフレーズが必ず見つかるのよ。2002年にここで連載させていただいていた『オトコは顔 私は技』の頃からそれはまったく変わらないので、まあ、この性格はそうそう直るもんじゃないわね。とは言え、その性格のままに毎回アップされた原稿の手直しをお願いするのは、ラブピースクラブの方々が本来する必要もない仕事を増やすことになるだけだから、自分ひとりで「ヒーッ!」なんて身悶えしてるわけ。ひとりSMも極まれりね。
アタシのこの性格を、人によっては「完璧主義」と捉える方もいらっしゃるかもしれないけれど、そんなことはないの。単に、「心配性」というか、自分の書くものの中に美点よりも粗のほうをたくさん見出してしまう性格なだけ。だいたいアタシ、「完璧」というもの正確にはどのような状態を指すのか、まったくイメージできないしね。イメージすらできないものを目指すなんて、ありえないことでしょ。
で、アタシは「完璧に練りこんだ文章」がどんなものなのか知らないのと同じように、「完璧にキレイな部屋」がどんな状態を指すのか知らないし、「パートナーと完璧に愛し合っている」という状態がどんな状態を指すのか知らないし、「完璧にキレイな肌」がどんな状態を指すのか知らない。ただ、仕事に関してだけは、「お金をいただくのだから」という思いがあるので、自分が設定したタイムリミットまで(原稿を送る瞬間、あるいは校了の瞬間)は注意深く行かないと、と思っているだけなの。って、本気でそう思っている割には、誤字脱字はおろか日本語として意味が通っていない文章までしばしば見落としてるんだけど、それはアタシの能力のなさが原因だから、認めないと仕方がないわね。
で、そんな忙しい日が続いたせいで、ただでさえ「惨状」と呼ぶにふさわしいアタシの部屋はますます大変なことになり、ただでさえ「パタリロ激似」と言われるアタシの丸顔はますます大変なことになり(ストレス解消法すべて食うことに向けたから)、ただでさえ薄くなっていたオトコの子ちゃんとのお付き合いは「かそけしっぷり」にますますの拍車がかかっているわ! アタシ、この3つに関しては、昔から自分を責めたりしません。こんなアタシに愛想を尽かしてオトコの子ちゃんが離れていったとしても、それはアタシが止められることではない。って言うかそれ以前に、お付き合いなんて何がきっかけで終わるかわからないしね。
「アタシを参考にしなさい」などと言うつもりは露ほどもないけれど、絵に描いた餅のような「完璧」をすべてのカテゴリーにおいて目指すような生き方って、疲れない? 特に、キレイ方面とか、恋愛をはじめとする対人関係方面って、理想論がハバをきかせやすいでしょ。そんな理想論(たいてい、それを提唱している張本人が守れていないのですが、そういう方々は、自分が吐いた言葉を自分が守れているかどうかを検証することはまずありません。こういう態度を「偽善」と言います)を真に受けて、きっちり実践できない自分を責めるようなことになったらそんなの悲しいじゃない。恋と愛、それからビジュアル磨きに関して、自分を責めがちになるオンナたちが多いのは知っているから、余計にそう思うわ。
理想論が理想論たりえているのは、それが本質的に「不可能に近いほど、実現が困難だから」だとアタシは思ってる。「高みを目指すな」と言うつもりはないけれど、「頂上が見えない山のてっぺんを目指し続けることに時に挫折しても、自分を責める必要なんかない」ということだけは強く言いたいわ。ラクにいきましょうよ。お互いにね。
PS
本の発売に合わせて、3回ほどみなさんとお喋りをする機会を持ちたいと思っています。東京と大阪の書店さんで1回ずつトークショーを開こうと思っていますが、その前に、10月13日のラブピースクラブのイベントにもお邪魔して、ご挨拶をさせていただくことになりました。挨拶の前後も会場をウロウロしていますので、沢知恵さんとチ・ヒョンさんのライブ、辛淑玉さんのトークショー以外の時間帯に、お気軽にお声をかけてください。写真を撮られるのは苦手な人間ですが、お喋りは大好きです。推定5人の読者のみなさんにお目にかかれるのを楽しみにしています。