この5、6年でもっともひどい頚椎ヘルニアに苦しめられ、ようやっとの状態で日々を過ごしている高山です。自宅で仕事をしている友人が「何かあったとき、そばに人がいたほうが便利でしょ」と家に呼んでくれ、掛かりつけの整骨師を出張扱いで呼んでくれ……と、えらいこっちゃ手間をかけさせてしまったわ。友人が仕事部屋でずっと仕事をしている間、アタシはすぐ横のベッドルームでのたうつ秋の夜長。ひとりで暮らしていくことをやめるつもりはこの先もないけれど、というか、ないからこそ余計に、「都会の互助会」のようなお友達って本当に重要だわ、とつくづく感じる今日この頃です。友人に何かあったときは、アタシがきちんと何かをできる存在であらねばね。
昨年の10月に大きな別れを経験してから、1年が経ったけれど、アタシを救ってくれたのは、間違いなく友人たちだった。
ゲイの友達2人とオカマメンタリティを持ったオンナ1人が、思いっきりオシャレをして西麻布で食事〜お酒をする『SATC』風のイベントを開いてくれた。ひとりが携帯にダウンロードしたSATCの映画版テーマ曲を流しながら、4人で横一列になって西麻布交差点から広尾方面に30メートルくらい闊歩しながら(あんまり長々と公道を占拠するのは迷惑なのでね)、4人で笑いを爆発させた。
何かにつけては電話やメールをくれ、食事に誘ってくれたり家に泊めてくれた友人に最近、かなりショッキングな出来事があった。食事をしながら話を聞いたけれど、果たしてアタシは、彼がアタシにしてくれたように、彼の重荷を軽くすることができただろうか、と自問する。
この1年、精神的が肉体的にもなかなか仕事がはかどらないアタシをフォローするように、さまざまな面倒を引き受けてくれた友人もいる。「ものを書く」ということに関して、アタシの背中を押してくれた友人もいる。そういった人たちすべてに助けられたから、アタシは亡くなったお身内に、自分なりに対することができたような気がする。恋もお転婆も楽しんできたけれど、ベースになるものはやはりお友達。アタシはずっとそう思ってきたけれど、その思いがますます明確になった1年だった。
高校を卒業するくらいまで、自分にここまでの友達ができるだなんて思っていなかった。大学生になってから今まで、「友達を作りたい」という気持ちで動いたことはないけれど、「アタシはこれこれこういう人間である」ということが、さまざまな言葉や行動で表現できるようになってきたのと、友人ができてきたのとは、ほぼ比例する。出会うすべての人と仲良くできるはずがないからこそ、こういう生き方をしてきたのだけれど、それは結果としてよかったのかもしれない、と考えられるようになったのも大きなプレゼントのひとつなのでしょう。
さて、しばらくは静養に努めます。推定6人の読者の皆さん、体は資本ですよ!