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2000/9/12〜2001/6/1
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冷たい朝の風のなか、タイのニタヤさんはエアポート行きのバスに乗って、帰ってい
った。
きのう、「越境する女たち21」展が終わったのだ。
今、私は駅のカフェに居る。搬出作業に行くまでの時間つぶし。
仕事前の人々がいつもの朝を迎えている。
展覧会の会場に足を運んでくれた人々と、どこかで繋がっているこれらの人々。
私たちは何を残したのだろうか。
私たちは何を運んだのだろうか。
慢性の寝不足と虚脱感が身体を覆う。そして同時に事をやり終えた充足感が広がる身
体を持て余す。
40組のアート作品は、細やかに、大らかに、優しく、力を込めて存在していた。
毎日のように会場に通い、作品と対面していた。だんだんいとおしく、愛を感じざる
をえなくなっていった。
信じるという言葉があるのなら、作品の奥に見え隠れする、作家たちの光を放つ瞳の
中にあるように思った。
女たちが何を考え、何を求めているのかも私は知った。そして、何処へ行きたいかも
知った。
女性のつくるアートの展覧会。
アートとは自分とは何かを探っていく行為である。自分を裸にしてさらけだしていく
営みである。
「女」としてのアイデンティティを探ろうとするのが展覧会のテーマだったのだから
、同時代性と女性の置かれている状況の光と闇が前面に押し出されたのは当然のこと
であった。
ジェンダーについて意識したら、誰もがアイデンティティ・クライシスにぶつかる。
それにつきあうことも避けて通れないことだと、若桑みどりさんが私たちが企画した
アートサロンのレクチャーで言った。
まったくそうだ。ウィメンズアートネットワークの定例会で、またこの展覧会の準備
中にもたくさんたくさんアイデンティティ・クライシスに出会ってきた。
自分の過去を思い出さねばならない、自分の居場所を考えなければならない、傷口を
開けなければならない、そして自分で傷口をなめなければならない。
「女であることを考える」、「自分を取り戻すことを考える」。
私自身がそうであるように。
社会構造の中で女であることをしっかり認識し、アートの持つ力を認識し、明日私が
どうありたいか考えよう。
「越境する女たち21」が何だったのかはっきりした。
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